::十頁
「だって、皇室の幻花なんて、あったって何にもならないでしょ? そりゃあ、皇室にあるくらいなんだから、さぞ美しいだろうとは思うけど……絢は美術や芸術には無関心じゃない」
「関心なら無いわけじゃないさ。父は陶芸家、母は茶道の家元だ」
「じゃあ、絢は生け花に興味があって?」
「……………」
「違うじゃない」
私は肩を竦めた。
「まあ無理にとは言わないけど、少し気になるんだ」
「気になる?」
「うん。絢が花盗人として刑に処されてまで、幻花を欲しがったわけ」
私みたいな人間では、絢や菩薩党のお爺さんの気持ちは、全くと言っていいほどわからない。
何故皇室の幻花を盗んだのか。
何故お天道様を盗んだのか。
これっぽっちも理解出来ない。
でも。
その行動には真意がある。
その行為には意味がある。
「ねえ、どうして?」
「……………」
「……………」
「……大した、理由じゃない」
彼は帽子を更に目深に被った。彼の形の良い瞳は伺えなくなる。
「ただ、それを渡そうとしただけだ」
「渡す……? ……贈り物ってこと? それは誰に?」
私が首を傾げると、絢は私をじっと見つめた。蕩けた黒糖のような瞳が私を射抜く、射抜いたまま、離さない。まるで三色団子のように竹串に貫かれた気分だった。私は訝しんで眉を寄せる。すると絢は二瞥もせずに歩きだす。
……一体何なのかしら絢は。本当にさっぱりわからない人間だよ。
私はまた一つ溜息をついて、彼の後を追った。
◯
そこから私たちは暗い朝の界隈を巡った。
碁盤状に区切られた亜渦中先斗通り。カクテルバー『淡水人魚』や明石料亭の並ぶ豪華絢爛な観世屋通り。職人さんが住まう長屋のある荒唐無稽路地。ツチノコが出ると噂されていた虚夢巣区画。
絢は私を振り返りもせずに、一方的に呟きだす。
「不思議に思っていたことがあるんだ」
私は首を傾げた。
「何故太陽は簡単に盗まれたんだろう」
「…………確かに」
それは甚だ疑問だった。
お天道様だってお喋りが出来るんだし、助けを呼ぶなりなんなりが出来た筈だ。それこそ、お月様を呼ぶことだって。
でも、そうしなかった。
「何か理由があるんでしょう」
「だろうな」
「例えば……風邪を召されて喉が潰れていたとか」
「潰れた声でも誰かが気づくだろう」
「じゃあ、菩薩堂のお爺さんに恋をしたからとか」
「ハッ、有り得ないな。あんな爺さんに惚れるようなやつは人間じゃない」
「お天道様だもの」
「揚げ足を取るな」
過::次