センチメンタルシティの夜の始まりは町並み全てがサイケデリックライトに照らされてからだろう。ラズベリーレッドとバイオレッドの電飾がキラキラと光るたびにチェリーピンクの影が落ちる。歩けば歩くほど視界の後方へ電飾はうごめき、新たな電飾に晒されるたびに落ちる影の色はインディゴブルーやカナリアイエローへと変貌していく。半酩酊したような世界はまるで幻想を孕んでいるみたいに“非現実さ”を塗していた。

羞月閉花はその、バーの中に掛けられた絵画のような風景を、こよなく愛していた。

夕暮れの淡い匂いを拾い上げて、マジックタイム特有の病的な空色に浮かぶ黄昏色の雲を見つめ、その愛する風景を待ち侘びながら、彼女は《錯乱カジノ》に裏口から入った。関係者以外立入禁止――黄色いテープをかい潜り、暖色のライトに照らされた廊下を歩いていく。
さっきまでトップスピードで走っていたせいか、彼女の額には僅かに汗が滲んでいた。虹色の髪もほんの少しだけ乱れているが、目立つほどではない。コツコツとクラシックブーツを鳴らしながら歩く急ぎ足の彼女は角を曲がって従業員のホールへと赴く。


「おやおや、妖精の国のお姫様のご帰還だ!」
「カジノ開店ギリギリに帰ってくるなんて、随分と余裕なことですねえ?」
「で、今日の収穫はなにかございますかあ??」


にやにやとからかうような仕事仲間の言葉に、羞月閉花は眉を曇らせた。
発光するような虹色の髪を持つ彼女は《錯乱カジノ》の仕事仲間から“妖精の国のお姫様”などと茶化されていた。そんなちゃちな台詞を好むような歳でもないし、そんな稚拙な台詞を喜ぶような性格でもない。彼女が嫌そうに舌打ちをすると周りは「怖い怖い」と肩を竦めた。


「そっちも余裕の態度ですなあ、ジュグラーごときが。あと数ヶ月で切られるのがわかってはるのになんにもせんと喋ってるだけやなんて……優秀なお人はやっぱりちゃいますわあ」


彼らの胸に付いた下等のバッジを嘲るように見ると、茶化す声は少しだけ静まった。
《錯乱カジノ》の従業員は、羞月閉花のようなドアマンやかつて花瓶硝子がしていたようなディーラー、ボーイ、ルームキーパー、バニーガール、バイヤーなど実に様々だ。職によって制服のカラーリングは異なり、ドアマンは皆ネイビーの生地にホワイトの襟が眩しいジャケットを着ている。マゼンダとネイビー、チョコブラウンとスカーレット……実に様々だ。
しかし、その様々な制服の胸元についた真鍮のバッジには、一定の規則性と統一性が見られる。バッジは――――従業員たちの“契約期間”を表したものだった。
“キチン”は四十ヶ月、“ジュグラー”は十年、“クズネッツ”は二十五年、“コンドラチェフ”は五十年。初等キチンから始まり最高等コンドラチェフに終わる。定められたバッジの年数だけ、世界屈指の賭博場《錯乱カジノ》で働く名誉を許されるのだ。


「妖精の国のお姫様は厭味がお好きなようだ」
「こっちの台詞ですわ。ジュグラーからお姫様を守る騎士にでも昇格すれば、満足出来はるのやろかねえ?」
「ああ、もう、諦めろお前ら。我等がプリンセスはカジノ唯二のコンドラチェフであらせられるんだぜー?」


ちらほらと上がる声に「わかったよ……悪かったな」と、誇らしげに微笑んでいる羞月閉花へ握手を求めた。手を差し出された彼女も肩を竦めながら「おあいこやな」と手を預ける。

彼女は、《錯乱カジノ》に二人しかいない、五十年契約を結んだ従業員――コンドラチェフの一人だった。
ドアマンとしての技量、その人間離れした怪力や嗅覚が、特別有用だと重宝されているのだ。
彼女の胸につけられた真鍮のバッジは、彼女の誇りだった。


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