――硝子、そこの口紅を取ってちょうだい。


花瓶瑠璃(かがめ・るり)――それが、わたしの育ての母親の名前だった。ボルドーのストレートの長髪で、少しブロンドに染めているのかチリチリと煌めく金色が印象的だった。毛先はセクシーなピンクへとナチュラルにグラデーションしていて、海外のファッションショーに出てきそうな女性だった。正直、わたしが産まれる前からそんな色をしていたかはわからない。ミスユニバースを生みの母親と競い合っていたときは、その艶やかなボルドーの地毛でいたような、そんな気がするのだ。彼女の容貌はやはり美しく、歳を経たように色褪せることはないようだった。いつも見なりを正していて、そのせいか奇抜な髪色は彼女に似合わず、いつも不思議な印象を与えている。しかし、彼女のボディラインは非の打ち所が無いくらいに完璧で、隣に立つ同性のプライドをこてんぱんにしてしまうタイプ。そのグラマラスな体型は奇抜な髪色とマッチし、目を奪うような存在感を放っていた。


――はい、母親。


わたしは真っ赤な口紅を彼女に渡した。
育ての母親である花瓶瑠璃は、わたしに“お母さん”と呼ばせるのを徹底的に拒んでいた。家の中では“母親”、外では“母”と呼ばせて(多分対面して礼儀正しいと思わせるために“母”をチョイスしたんだろう)、決して“お母さん”を許さなかった。大嫌いだった女の娘から、お母さん扱いされるのを厭んでいたのだろう。


――ありがとう。


でも、わたしは冷遇されることはなかった。十歳になる頃には育ての母親に敬意を抱いていたし、彼女だってわたしを虐げるようなことなどしない。割と穏やかな、円滑な人間関係を築き上げることが出来ていたように思う。


――ねえ硝子、そこのオパールのネックレスとクリスタルガラスのネックレス……どっちがいいと思う?
――クリスタルガラスって、スワロフスキー?
――そうだけど。
――だったら、オパールのほうがいいと思うわ。今日は“木曜日の彼”が来るのでしょう? その人とスワロフスキー社はライバル会社じゃなかったかしら。
――なるほどね、忘れてたわ、ありがとう。


笑みなど浮かべない頑な無表情だったけど、彼女は感謝の印にわたしの瞼に軽いキスを落としてくれる。まだ親離れもしきれない幼いわたしにとって、それだけが唯一の、わたしを抱きしめることすら嫌がった彼女と許されたスキンシップだった。

彼女はわたしと自分の生活費を稼ぐために、一等級のクラブでホステスをしていた。今日は木曜日。彼女にお熱な大企業の社長がクラブで彼女を指名する日だった。
その日になるといつも彼女は気合いを入れて化粧をする。いつも美しかった彼女が、磨かれた宝玉のようによりいっそう美しくなる。誇らしいまでのその姿を見れる日を、わたしはいつも楽しみにしていた。


――どう、硝子。今日のアタシは綺麗?
――なにを言っているのかしら、貴女はいつも綺麗よ? もしこれ以上美しかったらくらくらしていたに違いないわね。
――六十点。……やっぱり“抜き打ち”は苦手ね。今の言い方はわざとらしすぎるわ。次は気をつけるのよ。
――わかったわ、母親。


彼女はわたしから目を剥がして、オパールのネックレスを手に取った。
オパールだのスワロフスキーだの高級な装飾品を持ってはいるが、花瓶家の生活は正直あまりよくなかった。電車が通っただけでガタガタと軋む1LDのアパートメントでトイレも風呂も共同だった。しかし彼女は見た目や私物にこだわりを持っていて、いつも美しく着飾っている。


――心はボロでもシルクを纏わなきゃいけないの。


その傲慢で逞しい言葉は、わたしの心に深く染み付いていた。彼女とわたしを表すに忠実な的を射た言葉だと思っていた。


――ああ、そうそう、硝子。
――なにかしら、母親。


真夜中、仕事に出掛ける前に、必ず彼女はわたしに言うのだ。


――ちゃんと《あの子》と仲良くしてるわよね?


その言葉だけが唯一、彼女に冷たく扱われたことのない十歳のわたしにとって、つぶてを投げつけられることより残酷で酷い仕打ちだった。


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