多分だけど。先生はイライラすると指でトントンとリズムを取る癖がある。リズムを取るというか、明らかに苛立ってそうに、こう、連打するのだ。マウスのダブルクリックよりは緩やかだけど心臓の鼓動よりは忙しいリズム。いかにもイライラしてそうな、そんなリズムだ。
誘くんは、実はイライラしているところを見たことがない。長年の付き合いになるあたし達だが、彼が何かに苛立っているシチュエーションに出くわしたためしがないのだ。あたしが気付かないだけかもしれないけど、いつも彼はにこにこと可愛らしい笑みを浮かべていた。
キューテンキューはというとわかりやすい。癖や表情どうこうではなく、もう物理的に苛立ちを垂れ流してくる。誘くんの体験談として。コーヒーに砂糖の代わりに大根おろしを入れられる、資料を縮小コピーして渡される、インク切れのペンばかりを揃えられる、などなど。あからさまな嫌がらせが殆どだ。
三月はわからない。正直わからない。いつも眠そうなトーンと態度で、イライラするタイミングをあたしは知らない。沸点があるのかも謎だ。っていうか喜怒哀楽の感情、あるのかな。でも前にイラついてた(と思う?)ときは割と表情に出ていた。多分。眉を潜め嫌そうな顔をしつつ、頬を抓るなどの小さな攻撃をするタイプの人間だ。
ちなみにへーくんは苛立たない。全てを許容し許諾し、自分への反感や逆境、悪態、それこそ価値観の食い違いまで、爽やかな笑顔で受け入れるような人間だからだ。
こんなふうに、人それぞれ。怒ったときや苛立たったときには、色んな反応があるわけだけど。嫌なことがあったとして、それを表に出すか出さないか、色んなパターンがあるわけだけど。
さて。
では、あたしはというと?



*****



あたしが向日葵屋敷に着く頃には生憎の雨だった。空はどんよりと重く、色鮮やかな筈の向日葵たちは薄暗く菫色に染まっている。鈍く鉛を帯びる曇天は湿気を含み一面に広がっていて、降り注ぐ雨は激しく、向日葵畑の土を泥のように仕立てていた。
雨め、と。湿気で鬱陶しくなった髪を払いながら、あたしは屋敷の玄関口に立つ。
傘を折り畳んで軽く水気を飛ばした。


「んじゃ。三月。また呼ぶ」
「ふぁゎ……了解っす」


三月を追いやって、あたしはその扉をガランと開ける。


「ただいまー」
「えぅぁ!?」


二階から、ラヴィのマヌケな声が聞こえてきた。物凄いマヌケだ。いつものラヴィからは考えられないようなマヌケ具合である。
あたしは言い知れぬ心境になり、眉を潜めた。
暫くすることもなく、そのマヌケな声のあとすぐに、ドタドタッと乱暴な足音が聞こえてくる。なんかもうどれだけ焦ってるのかがわかるくらいである。
そして階段から彼の姿が見える。いつものキッチリした執事服ではあるが、髪は心なしもなにもなく乱れている。さっきのドタドタが原因か。そして階段の中腹あたりまでに達したとき。


「あ」


階段から、転げ落ちた。
そりゃもう有り得ないくらいマヌケな絵図だった。いい大人が何やってんの?
やっと地上についたとき、ラヴィはとんでもない姿だった。手が擦り切れたりしてる。さっきの衝撃で唇を切ったのか出血さえしていた。えっ、これ執事? あたしの執事?


「おーい、ラヴィー……おーい。大丈夫?」
「…………っゔ」


酸素の多量そうな呻き声をあげるラヴィ。まじで死なないかな、どうしよう。あたしはその場にしゃがみこんで「病院行く?」と問い掛けた。その発言に対する反応はべらぼうに皆無だったが、変わりにラヴィはあたしに言った。


「…………ふざけないでくださいよお嬢様」


いや。
今のアンタほどふざけてはないと思うけど。
彼はがばりと顔を上げる。傷だらけになった頬や唇が晒された。目は爛々とした光彩を放ちながら熱気に満ちている。


「なに勝手にいなくなってんですか! 心配しましたよ!? しかもなんですかその足! 前に見たときはそんな怪我してなかったじゃないですかッ! 貴女はもうまた変なことを…………!」
「や、これは文字通り不可抗力ってやつでさ、あたしは別に」「お嬢様」


ラヴィはまた言う。


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