そこは、本当に真っ白な空間だった。ひたすらに真っ白で、雪や絵の具や雲なんかよりも純白を極めている。光によって奪われた視界のように、痛々しいくらいの白の世界だった。
緋暮城苺味はその空間に置かれた一つの椅子に座っている。艶やかな真鍮の飾りや白金の彫刻が煌めく豪奢な椅子だ。座面は緋色のビロードで出来ていて、ビスクドールを飾るエレガントチェアさながらである。
彼女の意識はまだほんのりと虚ろで、たった今眠りから覚めたようだった。しかし目覚めたばかりの身体の熱さや肌寒さなんかは感じることがない。まるで彼女だけ世界から区切り取られたような、そんな状態だ。

目の前には、《彼女》がいた。

緋暮城苺味が座っているものよりよっぽど上等な椅子だった。眩しいくらいに輝く金色で、繊細かつ緻密な彫刻が施されている。座面は同じ深紅のビロードで出来ているのだが、そこに刺繍された壮大な幾何学はロイヤリティーチェアのよう。
そんな、座ることさえ忍ばれるような上等な椅子に、《彼女》は乱暴に脚を投げ出し座っている。片足を座面に膝立てて両手できゅっと縛っていた。すらりと白く光るその脚は、こんな乱暴な座り方をしているというのに、まるで王女のような気品に満ちている。
そういえば《彼女》は、紅顔可憐な容姿に似合わず割と奔放的な行動や言動の多い人間だったな。
そんなことを考えながら、緋暮城苺味は、目の前でにやにやと笑う《彼女》――赤果実林檎を見つめた。


「久しぶり」
「久しぶり」


無感動に呟いた彼女の言葉とは違い、赤果実林檎の言葉はまるで歌っているかのようだった。玉が転がるような美しい響き。
(ああそうだ、忘れていた)
(この女はただの挨拶だけで自尊心を打ちのめしてくるような女だった)
小さく吐息したあと、もう一つ彼女に言う。


「元気だった?」
「苺味ったら、いなくなった人間にそんなことを聞くの? 野暮だね。うふふふっ、ふふっ、でも、そうだね、元気だったよ」
「そうかい」
「苺味は? 元気?」
「元気にしてたら《ここ》には来てないだろう?」
「あははははっ、そうだね」


楽しそうに笑う彼女。目が冴えるような赤い髪も、ルビーのような瞳も、何も変わらない。あのときと何一つ変わらない彼女が、今、目の前にいる。


「それで、林檎」
「ん?」
「君は……“満足”かい?」
「うん!」


悪びれもせずに彼女は言った。花が咲いたような笑顔を浮かべて幸せそうに続ける。


「びっくりした。まさか苺味まで私の作戦に手を貸してくれるなんてさ。マジだって」
「どうだかね。わたしは、手を貸さざるを得ない状況に立たされたにすぎない」
「あははははっ、してやったり」
「してやられたり」


さっき緋暮城苺味を見つめていたような、悪戯っぽい笑みを浮かべる。彼女は多分、何をしても、何をされても、笑える人間だ。


「我ながらナイスでしょ? まさか私、自分がここまでスマートだとは思わなかったよ! うふふふっ、マジで傑作! 有終の美を飾った飾った!」
「自分の命、才知畑、わたしとおとうさんを、引き換えにしてな」
「ふふ、怒ってる?」
「自分でもびっくりしているんだけどね」


肩を竦め。


「全く怒る気になれないよ」


その一言で、赤果実林檎の顔色がもう一段階明るくなったのがわかった。ぱっと照明で照らされたよう。嬉しそうにキラキラして、妖精のように端整な顔立ちから喜びが滲み出ている。


「まったく……末恐ろしいよ、君はさ。ここまでの作戦をまさか一人きりで考えていたとは」
「どう? なかなかよかった?」
「まあねぇ……憎らしいこともたくさんあるけれど。君の言う通りだったのかもしれないよ」


“大丈夫、苺味、きっと幸せになれるよ”


「幸せに、なれたのかもしれないよ」
「そう」
「緑川萵苣の伸ばす手を見た瞬間に、わたしは全てを悟った。…………林檎の目的は、“これ”なんだ、ってね」
「えへ」
「君もなかなか献身的な人間だった、ということか。彼の為に、才知畑をぶち壊すだなんて」
「うーん。それはちょっとだけ違うかもしれないなあ」
「は?」
「いやあねぇ、私の意志もちゃーんとあったからさあ。性分なのかな……完璧なものがあると、壊したくなっちゃうんだよね」
「呆れた」
「呆れられちゃった。でも、ありがとう、苺味」
「なにがかな」
「私の遺志を察して、貴女があそこで死んでくれなかったら、多分私の作戦は成功しなかった」
「……………」
「ありがとう、死んでくれて」
「ひどい厭味」
「お互い様でしょう?」
「それもそうだ」


緋暮城苺味は苦笑する。もしかしたら彼女は久しぶりに、こんなふうに笑ったのかもしれない。


×/

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -