確かそれは。定期発表会をもうすぐにひかえたとある夕暮れのことだったと思う。
夕暮れと言ってもここ《エデン》には夕焼けの陽の光などは差さないし、もちろん映像による産物なのだけれど……まあ、そんなことは、どうでもいい。
どうでもよかった。
定期発表会のことさえ、どうでもよかった。
わたしは、緋暮城苺味は、ただただ立ちつくしていた。否――泣いていた。
折角――折角頑張った、発表するはずの作品すら、今となってはもうどうなってもよかった。
この緋暮城苺味には、《イチゴ》には、なんの関係もなくなっていたからだ。
隣では、彼女がわたしのことを見つめている。先程から健気にわたしに話し掛けるその《赤》を、わたしは腹立たしく思った。
“ねぇ、苺味は一体何を発表するの?”
そんな無邪気な問い掛けを、わたしにする。
やめてくれ、もう何も言わないで私に話し掛けないで構わないで心の深いところに触れないで。
目をごしごしと擦る。痛い。目が真っ赤になりそうだ。元から赤いけど。
暫くすると、隣の彼女の声がやんだ。
やっと静まったかとほっとする。今は、こんなみっともない姿を見られたくなかった。見てほしくなかった。数日後には、まあ、見られることなど、永遠になくなってしまうのだが。
“私ね、爛熟しすぎたと思うの”
突然――彼女はその口を開けた。
人が泣いているときに。
自分の話を、この女は。
“そう思わない? 苺味”
踊るように軽やかな調子で、林檎は問いけてきた。
どうでもいい。
どうでもいい。
目の前にいる赤果実林檎のことなんて、ひたすらにどうでもよかった。
なんなんだ、この女は。
なんでいきなりこんな話をするんだ。
苛々しながらその声を聞いていたのだが。
“そろそろ私って、いなくなったほうがいいんじゃないのかな”
――その彼女の言葉に、わたしは全てをかなぐり捨てた。
嗚咽も、呼吸も、自棄も、何もかもを脱色させ、彼女に集中する。
“ずっと思ってたんだよね。私は爛熟しすぎた。これ以上は、駄目なの”
駄目って、なんで。
“多分私はさ、てっぺんを極めちゃったんだよね。熟し過ぎた。熟し過ぎた果実なんて、あとは腐るだけだよ”
そこで彼女は私を見つめる。ルビーよりもずっと艶やかな、その赤い目で。
“他の実をも浸蝕して、破滅しちゃうだけだ”
彼女がいるから、誰もが駄目になる。彼女が生きているから、誰もが食べられる。
“だから、次は私が食べられる番なの”
微笑む彼女は、絶句するくらいに美しかった。
“そしたらさ、せめて一人くらいは、助けられるかもしれない”
わたしの頭を撫でる彼女は、鳥肌が立つくらい優しかった。
何を言っているのか。
わからない。
でも。
なんとなく、わかる。
彼女は知っている。
知っているんだ。
全てを。
わたしが、いなくなることすら。
“だから、誰かに食べられちゃおうかな、なーんて考えてるんだけど。ゴメン。苺味は大事な友達だから、食べさせてあげられない”
――苺味まで腐っちゃったらヤだもん――、そう言う彼女の顔は、次の瞬間ぱっと明るくなった。
“でね、相手はもう決まってるんだ!”
まるで恋する乙女みたいに、照れ臭そうに髪を触る彼女。
“名前は知らない。声だってわからない。でも優しい緑の髪と目をしてるんだ。いつも疲れてるんだろうな、目の下のクマが野暮ったいの! まあ、毎日徹夜して《アレ》を作ってるんならしょうがないよね”



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