俺は彼女にまた一歩近寄る。もう手の届きそうな範囲だ。彼女の落ち着いた息遣いも聞き取れるし、放つ芳香も強くなっていく。
誘惑される。
蠱惑される。
今すぐにでも俺を彼女でいっぱいにしたい。
その全てが、俺は欲しい。


あと一歩で、俺はその全てを手に入れる。
ゆっくりと、手が伸びた。


「あーあ……」


彼女は、すうっと顔を上げた。髪がふんわり揺れて、放つ匂いの暈が増した。

そして。
俺は、無言のまま。
目の前にいる、彼女を。



「×××、××××××××××××××××」



――――――蹂躙するように、食い尽くした。



*****



「………――――――これで、俺の話は、終わり」


全て言い終わったとき、魚と硝子は困惑したような顔で俺を見つめていた。フルボトル姉妹ですら俺を無表情で見つめている。
豆乳鍋の火は、空気が読めてないみたいにグツグツと煮え立って、その沈黙に覆いかぶさってきていた。

とうとう、話しちまった。
俺の過去。

酷く矮小で、酷く迷妄で。
たった半日で落ちこぼれ以下に成り果ててしまった、愚者の過ち。


今でもわからない。
あの日のこと。

林檎と出会ったわけも。
彼女と過ごした時間も。
とぐろを巻いた感情も。
爆発してしまった欲も。

何もかもが、夢のようで。
滑稽な、寓話のようで。

俺は未だに。
気付かないままなんだ。
――気付かずにいてほしい、だけなんだ。


「えっと…………萵苣」


硝子が呟く。
その溢れるばかりの艶色が、目に飛び込んでくる。
俺は「ん?」と返した。


「その、なんて言うのかしら」


気まずそうに口ごもる。何となく言いたくなさそうな歯ごたえだった。隣の魚もなんとなく腑に落ちないような表情だった。しかし我慢の限界が来たのか、パッと顔を上げて言い放つ。


「食べるって、なんなの」


硝子が目を見開いた。
魚は俺を見つめてる。


「普通に会話の中に出てきたけどさ、食べるって何なわけ? もしかしてカニバリズム? 俺よくわかんないんだけど、どういう意味なの?」


硝子は“あー、言っちゃったー”みたいな顔をしていた。
そしてゆるゆると額を押さえて俺に目を遣る。


「あたしも同意見よ、萵苣…………………その、どういう意味なのかしら?」


俺は首を傾げた。
どういう意味もそのまんまの意味なんだけどなあ。
未だ動揺する二人に、俺は苦笑した。


「とりあえずはカニバリズムじゃないことだけは言っておく」
「じゃあなんなの」


間髪入れずに返してきた魚。
俺は頭を掻いた。



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