信者やだ | ナノ

魚の小骨を拾う

「やっぱり俺みたいなのがお金を作るとしたら臓器売買くらいしかないんですよ。人間の体って、全部売ったら三十億円くらいになるらしくて……今生を売って来世で幸せになれるんなら最高じゃないですか」
 コメントのしづらいことを言う少年だ。
 どれだけ不健全であろうと、僕は職業柄、彼を否定するわけにもいかなかった。
 適度に相槌を打ったり、反応を求められれば当たり障りのない答えを返したりしながら、彼の気が済むのを辛抱強く待つ。
「でも、そこで気になるのが順序で……俺が死ぬことでお金が手に入るのに、そのとき俺はこの世にいないから、加入の手続きもできないってことなんですよ。先に加入だけしておいて、臓器を売って発生したお金をそっちで引き出してもらう、みたいなことってできるんでしょうか?」
「いろいろ手続きは踏まないといけませんが、不可能ではないでしょうね」
「俺の担当として囃子崎はやしざきさんにお願いしてもいいですか?」
 そのご指名に、ウッと吐きだしそうになった呻きを飲みこむ。
 彼個人と付き合いたくないというわけではなく、また仕事が増えるということに心がひずんだだけだ。僕の担当している加入者の数は、労働時間から考えると、既に飽和状態にあるのだ。これ以上抱えこむとなるとそろそろ死んでしまう。
「まだあきらくんは加入していないので、正式に加入するまで、誰が担当になるかは……」
「俺は囃子崎さんがいいです」
 死からは逃れられない!
 銀色の眩暈を覚えながら、僕は微笑んで「ありがとうございます」とだけ返した。
「……あ、それと……保険が降りるのにも最低十年の加入が必要って……一番最初に十年分払うだけじゃだめなんですか?」
「そのあたりは、僕のほうからはなんとも。一度上に相談してみますが、厳しいと思いますよ。ただ、備考欄にそれなりの理由を埋めれば特例で認められたケースもあったはずです」
「よかった……あ、と……何回もお願いしてることなんですけど、生命誓盟保険って本当に十八歳からしか加入できないんですか?」
「はい。できない決まりになっています。これから先、改変されることもないでしょうね。現在の規定でも金銭や精神的な責任能力が問われていて、基準年齢の引き上げを見直されているような状態です」
 テーブルを間に向かい合って座っている彼は、おそらく僕を見上げた。毒々しい黒髪で目元がよく隠れるため、些細な動きでしか視線を把握できない。ここに目があるんだろうなとあたりをつけ、僕はじっと見つめ返す。
「俺、十七歳と半年なんです。四捨五入したら十八なんですけど」
「僕、二十年以上生きてきましたが、年齢を月で四捨五入する子なんて初めてです」
「えっ、囃子崎さんってそんなに年上なんですか? 見えないな……」
「普段から子供っぽく見られるんですよ。諦くんよりはずっとお兄さんですよ」
「身長は俺のほうが高いのに」
 痩躯で猫背な体格からわかりにくいが、彼の身長は平均よりもうんと高い。何度も「見えない」と呟く無邪気な口を封じれば、一見して彼のほうが年上に見える。くうっ。悔しい。
「それって、どうにかできないんですか?」
「もうこの歳で身長は伸びませんよ」
「え、身長の話じゃないですけど」
 彼はそっけなく言った。
 なんかすごく空しい。
「その、いまから加入するってほうですよ。認めてもらうことはできませんか?」
「できないでしょうね」僕は続ける。「道理に背けば御仏みほとけに祟られる。でしょう?」
「……はい」
 三十分前に僕が出した紅茶に、彼はやっと口をつけた。それから控えめに「また来てもいいですよね」と言った。ここ一週間毎日来ているのだ、拒絶しても来るだろう。僕がにこりと微笑むと、彼は安心したように肩を落とした。
 個室を出て互いに頭を下げる。彼は黒い袴を揺らしながら長い廊下をすんすんと去っていった。僕は振っていた手を下ろし、自分のデスクへと戻った。くらっとした銀色が視界を走る。ごつんと頭を突っ伏すと、死にかけていた仕事仲間に「お疲れさん」と声をかけられた。
 そこかしこで死屍累々。
 鏡を覗けば隈付きのゾンビ。
 保険局にあるまじき光景だった。日ノ本大帝国直属の公務員として、帝国政府を訴えたい。お役人の中でも特殊な仕事を行っているとはいえ、この極限状態はあんまりだ。捌いても降ってくる仕事、仕事、仕事。睡眠欲は最早ピークに達し、気を抜くと上瞼と下瞼がディープキスをかます勢いだ。みなが言う、ここに勤めてからからというもの、限界のその先で生きるようになってしまった、と。僕の班は主任が優秀なため、課の中ではましなほうだが、他の班の連中の目は完全に逝ってしまっている。我を忘れ、発狂する日も近いだろう。
 僕は突っ伏したまま、デスクの引き出しを開けて書類を探す。
「確認案件があと三つと……不正加入と滞納の始末書……だめだ。今日も寝れない」
 そんな愚痴をぼやけば、背中合わせに座っていた同僚が妙に明るい声で返してきた。
「二徹目かい。がんばれ。今日を生き抜けばステイアッパーズハイが来る」
「そのマッドなポジティブ思考……さては君、五徹目だな? 死ぬぞ」
「死んでも来世があるさ」
 僕は返答をしなかった。
 呆れたわけではない。
 同僚の言ったその言葉こそが、生命誓盟保険の指針に則したものだったからだ。
―――幸福追求権が来世にまで適用されることになってもう久しい。
 人は、輪廻転生を繰り返し、半永久的にこの世に生み落とされる。そんなことわりを定められているのに、来世でも人間界で幸せに暮らせるとはかぎらない。そこで帝国政府は、六十年ほど前、一億総幸福来世のスローガンを掲げ、来世を保障するという、新たな保険制度を打ち出したのだ。
 座禅や読経、瞑想、行脚など、数多くの仏道修行という正規手続きを踏まずに、条理や道理を恣意的に操作することで、加入者を幸福な来世へと導く。整備に気が遠くなるような時間がかかったが、現代の高精度技術と卓越した制御により、それが可能になったのだ。
 当時の野党側からシステム構築のメソッドの追及を受け、施行開始直後も賛否両論だったが、皇歴二六七六年のいまや、国民の三分の二がこの保険に加入している状態である。一般世帯に上流階級、役人、大臣、各代首相、果ては公家の出、天皇様に至るまで、生命誓盟保険は一般化し、日ノ本大帝国に広く浸透していった。
 ところで、保険制度の統括、管理を行う、日ノ本大帝国行政務機関保険局生命誓盟保険部。
 ここがかなりのブラック部署である。
 なんせ急激に拡大した保険制度の一切を任されながら、人間の人生どころか御仏という繊細なものにまで関わってくるこの仕事。公務員と呼べるのは役名と給料だけで、定時上がりなど夢のまた夢。僕のいる業務課は主に保険外交を任されており、営業窓口、加入者・脱退者のチェック、手続き、滞納者への訪問や申告、エトセトラエトセトラ。各地域に支部があるものの、一人あたりの担当数が爆弾級に多いため、慢性的な多忙という問題を抱えている。不眠不休なんて常のこと。エナジードリンクを片手に死に物狂いで書類を片づける局員の姿が二十四時間大ヒット上映中だ。仮眠室では悪夢に魘される人間の声が無料販売されている。最近では死んでも来世がある≠ニいうブラックジョークが横行し始めた。笑えない。上はこの状況を知るか知らないか、加入を考えているひとのためのお悩み相談室まで設立し、その一切を業務課に押しつけてきた。おかげでこっちはてんてこまいだ。相談されるたびに通常業務に遅れが出ていた。僕がよく話を聞いている諦くん、壮絶な人生を送っているようで、今生に見切りをつけたのか、熱心に相談室に訪れる。もちろん、誰かのためになる仕事ではあるのでこちらも頑張って取り組んでいるのだが、如何せん負荷が大きすぎる。誰だったか、半日も相談の相手をさせられて、その遅れを取り戻そうとあくせくした結果、ぶっ倒れて入院してしまった者もいる。哀れ。退院後は溜まりに溜まった仕事の処理に、もう一度死ぬ羽目になるだろう。重ねて哀れ。




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