後日談[1/1]

 どこまでが夏で、どこからが秋なのだろう。
 暦では八月を終え、九月に一歩踏み出したというのに、娑婆はまだ蒸し暑いままだ。
 さして美味しくもないだろう私の血を狙う蚊共は元気よくそこらを飛び回っているし、弁当箱だって二日も放置すれば異臭を放つ。ちょっと外を出歩くだけで汗はびっしょりだった。新しい制服は純白。下着が透けて見えないか、それだけが不安だった。
 転校先の中学校の制服はセーラー服だ。よくある暗めの色に、白いラインの入ったセーラー服。タイは珍しいリボン型なのでそこだけは気に入っている。だが、これも冬服だけの話。夏服はだめだ。全然可愛くない。セーラー襟をそのまま持ってくればいいものを、幼稚園でもよく見るような丸襟で、テラテラと妙な光沢を持つ棒タイが胸元を彩る唯一の色素だ。冬の蝶が恋しい。早くあの制服に身を包みたい。うんざりするのは暑さだけで十分だというのに。
 とまあ、こんなふうに、猶予のような二週間は、一瞬で消えてなくなったわけだ。
 なにもすることがないくせに、夏休みというのは存外消耗が激しい。学校からあらかじめ提出されていた課題をせっせとこなしていれば、あっという間に使い果たす。
 かくして、私の神夏祭は終わったのだ。
 終わってしまえばそれまでだった。
 私から神風は剥離され――もしくは、神風から私が隔離されたのかもしれない――どこにでもいるような女の子へと戻ってしまった。神が与えた才は、神禍神宮の敷地内という縛りの中、神夏祭の二日間しか使えない。私があの風とまた出会えるのは一年後ということになる。一年後、また彼らと再会するのも楽しみだ。
 そして、あの祭りは凄まじい影響力を持っている。
 私はそれを、再確認することになった。
 多少の不安を持ちながら、つやつやの黒髪やチェリーレッドの唇を諦めた私。そんな私を待っていた新しいクラスメイトは、転校初日、休み時間になった途端に私の元に集まって言ったのだ。
――神化主になったのって御風さんだよね?
 驚きの誤算だった。夏休み明けの新学期、私はクラスで浮くことも蔑ろにされることもなく、若干の敬意と憧れを持たれつつ、溶けこむことができた。
 初めは怒涛の質問攻め。そして数多くのお昼の誘い。私は嬉しい板挟みにあい、折衷案として、初日は女子の全員でお弁当を食べることになった。休み時間に行動を共にするグループもできた。そう目立つような子はいないけど、同じ趣味の子同士が固まったグループ。みんないい子で、教室を移動するときも丁寧に教えてくれる。
 そしてもう一つ、この学校には、驚きの誤算が潜んでいたのだ。
 それは三時間目終了後の休み時間。トイレに行こうと教室を出たときのことだった。廊下では教室移動のために多くの生徒が行き来している。学校ではよく見る混雑だ。祭りの雰囲気と少し似ているなあとぼんやりしていると、一人の生徒と目が合った。
「「えっ」」
 私たちの声はダブった。相手も驚いた顔をしているが、きっと私も同じ顔をしている。
 まさかこんなところで会えるなんて思っていなかった。
 往来のある廊下で運命的に再会したのは、あの天ノ川桐詠だった。
「すず、この学校にいたの?」
「転校してきたの。桐詠だって……」私は思わず笑ってしまった。「こんなことってあるんだね」
 桐詠は一緒にいた女の子たちに「先に行っといて」と声をかけた。桐詠の友人たちは私のほうを見て「あっ」となにかに気づいたように漏らし、その場を去っていく。実はこういうことは何度もあった。みんな、今年の神化主の顔をちゃんと覚えているらしい。すれ違うたびに塗りたくられる視線には、ちょっと気疲れするけれど。
「桐詠って何組?」
「三組」
「あれ? 私も三組なのに、どうして会わないの?」
「当たり前じゃん。スリッパの色、見てみなよ」
 そう言われて、私は足元を見る。
 私のスリッパは青。
 桐詠のは緑。
 その差に愕然とした。
 転校して間もないけれど、学年で別せられるスリッパの色システムのことはちゃんと頭に入っていた。一年生が赤で二年は青、三年生は緑だ。
 つまり桐詠は、私の一個上ということになる。
「三年生だったの!?」
「こっちのセリフ。あんた二年生だったんだ」
「ああ、あああ、あ、天ノ川先輩ぃ……」
「やめてよ。いいって」桐詠はぶらぶらと手を振った。「歳とかあんまり気になんないし、いまさら他人行儀でしょうが。桐詠って呼んで。私もそっちのほうがいい」
「……うん……わかった」
 私は改めて桐詠を眺めてみた。
 浴衣姿でない彼女なんてイメージがつきにくかったけど、こうして見ると、案外違和感もない。むしろ似合ってる。丸襟に棒タイなんてなんのかわかいげもない制服も、桐詠が着ると爽やかで眩しい。さすがに祭りのときのような派手な髪型はしてなかったけど、ファッション雑誌に載っているような難解な編みこみを施し、サイドで一つにまとめたおしゃれなスタイルは、いもくさい雰囲気を完全に払拭していた。自信と誇りに満ちた、はっとするような顔はもちろん健在。だから私も、祭りでの姿とは違う彼女に気づくことができたのだろう。彼女も私に気づいてくれて嬉しかった。
 でも、まさか、桐詠が同じ学校にいて、同じ制服を着てるなんて……。
「そういえば……此の面もこの学校にいたりする?」
 私の声があまりにもしみじみとしていたので、桐詠はしばらく注視されていたことを流してくれた。そして、なんの摩擦もなく、私の質問に答えてくれる。
「ううん。知らないみたいだけど、弧八田兄弟は私の一個上よ」
「えっ、高校生!?」
 私はまた驚いた。
 狐面で顔が隠れているため年齢がわかりづらかったし、なにより男の子なんてみんな私より背が高いから身長は基準にもならない。うやむやにしてきたけれど、まさか二つも歳が離れていたなんて。
「……ま、いっか」
 どうせ此の面だし、彼だって気にしないだろうしね。
 若干なめくさった態度で、今回発覚した事案に、私は目を瞑ることにした。
「でも……変な感じだね」
「なにが?」
「桐詠も此の面も、祭りで出会ったひとたちだから……こうして普通にしてるところで出会うのって、なんだか変な感じ」
「ああ」桐詠は納得したように頷いた。「祭りは、特別だからね。みんなが楽しんでる。楽しまずにはいられない。そういうところだから、たしかに、変な感じ」
 廊下の窓から爽やかな風が吹く。
 私も桐詠も同時にそちらへと目を遣った。
「あの二日間は、みんなが特別だった。みんなが普通じゃなかった」
「うん……」
「だから、普通ないまは、変な感じ。普通なのに変って、そっちのほうが変だけどね」
「でもね」私は小さく笑った。「思ったより、つまらなくないかも」
 真っ青な空に大きな雲が聳えている。風に掻かれてにわかに伸びた線が溶けていくような白さ。蝉の声も徐々に減っていった。この暑い季節はもうじき終わりを迎える。
「あ。そうだ」私は首を傾げながら尋ねる。「私、今日の帰りに神禍神宮に呼び出されてるんだけど、なんだと思う?」
「ああ、神化主の業務よ。毎年恒例。そんな大変なことでもないから安心して」
「えー、なんだか面倒……」
「狛犬サポートセンターも言ってたじゃない。いとし子という名誉に役して、、、いただきます――そういうこと。もっとシャンとしたほうがいいわ」桐詠は腕を組む。「精々楽しむことね。三日、いえ、一年天下よ。来年には都落ちさせてあげる」
「強気だなあ、もう」
 私はくすくすと笑った。
 桐詠は氏子らしい、卓抜した表情で、最後に一つこぼすのだ。
「だから来年も、神夏祭へおいで」


× 表紙 ×

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -