二日目[1/13]

 天気が良かったので、汗を吸いこんだ浴衣は洗って干すことができた。朝にはちゃんと乾いていたし、靴擦れも思ったよりひどくなった。絆創膏を貼れば草履も怖くない。
 たっぷりと麻酔を受けて蕩けた脳は、目を覚ましたころには覚醒していた。
 昨日のことは本当に起きた出来事なのだろうか。あんなに浮かれてしまったけど、もしなにかの間違いだったらどうしよう。あれは私の妄想で、まだどこかのラムネの中に眠っていたとしたら。やだ。私の宝物、とられちゃう。私、ちゃんと天恵受け取りましたよねって、運営に確認したほうがいいのかもしれない。
 午前中はずっと項垂れていたけど、その検証は存外すぐに終わった。インストールした祭り専用アプリを起動してみたところ、神池のクリスタル液晶パネルに映しだされた私の動画がアップされていたからだ。新しい項目が更新されていると思ったらこれである。あまりの視聴者数に私は数時間に渡り、悶絶した。
 部屋に浴衣を取りこみながら、自分の胸を撫でる。
 もうあの光や熱量はない。
 祭りの帰り際に表参道で巻き起こった風も、鳴りを潜めていた。
 どうしてだろう。
アプリから祭りの詳細を見る。Q&Aで天恵制度の項目があったので目を通すと、才能は祭りの二日間、それも神禍神宮内でしか使用できないらしい。なんとまぼろしい力だ。
 ブブッとスマートフォンがバイブする。祭り専用アプリから通知が来ていた。どうやらふとん太鼓の成敗の中継が動いているらしい。
 私はタップして様子を確認する。
『ふとん太鼓の猛威は止まることを知りませんね。これは凄まじい光景です……』
『ここ一帯の屋台はほとんど全滅ですね』
 映し出された光景に驚く。屋台が見事に潰れていた。ふとん太鼓が荒したのだろう。この緩やかな坂道には見覚えがあった。たった一日でこんなありさまになるとは。
『おや、一件だけ無事なものがあるようですが……』
『おそらく型抜き屋でしょう。ここには運よく型抜きの女王がいましたから』
『なるほど。たしかに彼女がいればなんの問題もないでしょうね』
『惜しむは向かいの射的場ですね。残念ながら、このときヒットマンはいませんでした』
『あああ、ぺしゃんこだ! でも、昨日のうちにほとんどの商品を落とされていたので、ある意味被害はないのでは?』
『間違いないです』
 私はくすっと笑ってしまった。
『おーっと、新たなバグの情報が入ってきました! どうやらお化け屋敷に本物のお化けがでるようになったとのことです! もちろん、ふとん太鼓によるただのバグですよ!』
『むしろ面白がって行列ができるんじゃないですか?』
『気になってきましたね。続報をお待ちしております!』
 まだ日も落ちきっていないのに、神夏祭はたいへん賑わっている。ふとん太鼓の成敗も終わっていない。
 私はハンガーにかけてあった浴衣を手に取り、お母さんに着つけを頼んだ。
 かくして、私は再び、神夏祭へと赴いた。
 神禍神宮までの道中、ちらちらとこちらを伺うような視線が多く感じられた。最初は気のせいだと思っていたが、神宮に近づくにつれて、追いかけてくる目の数が多くなっていく。これは気のせいではない。確実に、私は見られている。
 思い当たるとすれば、昨日、神様の宝物を見つけた件だ。
 動画としてアプリで配信されているのだから、そりゃあ、みんな、私の顔を知っていて当たり前だ。
 有名人になったみたいでむず痒いけれど、それと同時に恐ろしい。いたたまれない。こういうの、慣れてないんだってば。
 境内に一歩足を踏み入れると、淡い発光体が出迎えてくれる。まだ夕方なのに祭りの灯りは忙しなかった。ディスコみたいに鮮やかに光っている。
 私は此の面を探す。
 紺色の浴衣を着た、瞬きのような男の子。
 彼は縁も所縁もないこの神夏祭にで、ほとんど唯一の糸だった。
 彼なら今日も祭りに来ているはずだ。
「……うっ、わ」
 人の行列にまみれながら歩いていると、むわっとした独特の匂いが鼻孔を撫でる。
 いい匂いではない。どちらかと言えば臭い。
 なんだなんだと匂いのほうを見遣ると、どこかズレた水色をした暖簾に赤い字でカメすくい≠ニ書いてある露店があった。白いテーブルのようなケースには水が張られ、中では悠々と亀が泳いでいる。それもたくさん。小さな手足はかわいらしいが、こうして見るとちょっと気持ち悪かった。青と紫の波模様のライトが澄んだ大海を思わせる。BGMは祭りの雰囲気に似つかわしくない、色っぽいピアノとサックスのスロージャズだった。まるで煙草の煙が満ちたバーのようだ。神夏祭にはいろんな出店があるけど、これは群を抜いてへんてこだった。
「あら、お嬢ちゃん。こういう店は初めて?」
 でも、もっとへんてこなのはそこの店主だ。
 思わずビクッと震えてしまった。
 面長な顔には剃りたての青髭。肌の色が白いから少し目立ってしまう。私より一回りも二回りも歳をとった大の大人で、表情だって達観しきっていた。白いポロシャツにジーンズと、そこまではどこにでもいそうないでたちだったのだが、男にしては長い髪を高い位置で二つ括りにしたヘアスタイルが、おののくほど異彩を放っている。似合う似合わないで言うなら似合っていない。だって彼は男だ。なのに、口調も動作も妙に女性じみていて、一目で彼がオカマと呼ばれる人種であることがわかった。
 私は引き気味に返事をする。
「どうせならやっていかない? うちの子たち、みんなかわいいでしょ? 特にこの子、ジェニファーちゃんなんて、甲羅から出た後ろ足のラインがすごくセクシーでね」
 一匹の亀を掬い上げて見せてくれたけど、紹介されるまでどの亀がジェニファーちゃんなのかわからなかったし、今でさえその魅力が理解できない。
 どうしようかな、と心中でこの状況を思案していると、店主は「あらら?」となにかに気づいたように、硬そうな頬に手を当てた。
「もしかして貴女、昨日、神様の宝物を見つけた子じゃない?」
 ほあっ。
 こんなひとも私のことを知ってるんだ。
「すごいわ。おめでとう。今年は、ラムネの中のビー玉だったんですってね」
「ありがとうございます……今年はってことは、宝物の在り処って、毎年違うんですか?」
「違うわねえ」店主は顎に人差し指を添える。「去年は狛犬の裏、一昨年はおみくじの中、その前は射的の景品に紛れこんでたのよ」
「へえ」
「昨日一緒にいたのに、此の面ちゃんったら、教えてくれなかったのね」
 ぽんと出てきた名前に私は目を瞬かせた。
「此の面を知ってるんですか?」
「当ったり前じゃない」店主はフフンと鼻を鳴らして続ける。「毎年神夏祭に来ている氏子であの子を知らない人間はいないもの。去年来てたならなおさらよ。弧八田兄弟。異例の同時発見で、二人して天恵を受けたんだからね」
 私はその言葉に目を見開いた。
 しゅるりと紐を解くように、得心がいった。
 ずっと此の面のことが不思議だった。鳥居からひょいと飛び降りたり、息だって切らさずに、簡単に私に追いつけてしまえたりする身体能力。あと、やけに主張してくる聴力。そして、去年の神化主である弧八田彼の面と対になったような狐のお面。きっとあれこそが、此の面が受け取った才能なのだ。
「立ち話もなんだわ。どうせなら、いらっしゃいよ、お嬢ちゃん。お金は取らないから、今夜くらいハッチャケちゃいましょ」
 いよいよ夜のお店っぽくなってきた。初対面の相手ということもあってか、若干鳥肌が立ったが、それ以上の拒絶反応はない。本音を漏らすと、この店主に嫌悪感は抱いていなかった。あるのは、不慣れな自分の不甲斐なさから来る躊躇いだけ。
「あの、でも、私、カメすくいとか初めてで……」
「お嬢ちゃんにはまだ早い感覚だったかしら。この際一歩踏み出すのも悪くないわよ。ちょっと大人な気分、味わってみない?」
 茶目っ気たっぷりにウインクされた。近くで見るとヌルヌルと赤く光沢しているリップが美しく持ち上げられる。
 心細い気持ちもあるけれど、私はふわふわと、また浮かれてしまっていたらしい。
 一歩、踏み出すのも悪くないかも。
 そう思い、屋台の暖簾を潜った。


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