名無しの画家の知恵と約束 7/8



 ヒストリカの呪文に陶磁器質の騎士は爆散する。土煙が霧のように広がっていった。それからヒストリカは石畳の瓦礫に目を遣り、杖を向ける。
意のままに動けアクタスミミンド
 操られた瓦礫は飛行船のように規律正しく列を作り、ヒストリカが横薙ぎに杖を振るうと、まるで火薬を取りつけられたかのような速度でザッカリーに襲いかかる。しかし。
57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェン
 ザッカリーが杖を向けるとそれらは呆気なく地に落ちた。
 先ほどと同じだ。まるで、魔法を剥ぎ取られたかのような光景だった。
 ヒストリカが強く息を呑むと、ザッカリーはしたりと口角を上げる。
「物問いたげな顔だな、ヒストリカ」
「……どうせドリスタンの入れ知恵だろう? 本当に君たちはお熱いね。ごちそうさま」
「否定はしない。俺だけだと思いつかなかっただろうから。それに僻む必要もない……お前も彼のようにすぐに地面に寝そべることになるさ」
意地の悪い魔法だ。ヒストリカの操り糸から逃げた瓦礫を、今度はザッカリーが操る。
意のままに動けアクタスミミンド
 瓦礫の弾丸がヒストリカを襲う。走って避けていたが、すぐに捉えられた。瓦礫のいくつかがヒストリカの頭を直撃し、膝を地に着かせる。
「ヒストリカ!」
 金髪の奥から血が滴った。目尻や鼻先を伝い落ちるのを見て、アイオネは息を呑む。
 まだ襲いかかろうとする瓦礫を、ヒストリカは魔法で弾いた。覚束ない足でなんとか立ち上がって、次の呪文を唱える。
大亀裂走れクラッカグロウンド!」
 まるで魔物が地表を揺らしているかのように、地面は裂け、亀裂が伸びた。
 襲いかかる足場の不利をザッカリーはなんとか避けたが、ドリスタンは逃げ遅れて「うわっ」と悲鳴を上げる。その彼の手をザッカリーは掴み上げ、亀裂の谷に落ちそうになった体を引っぱった。
 それを見てアイオネは違和感を覚える。
 道理に合わない。ザッカリーの用いた57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェンは確かにヒストリカの魔法を無効化した。まるで魔法が引き剥がされてかのように、操っていた瓦礫は地に落ちた。ならば、何故、その57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェンを、さっき使わなかったのだろう。亀裂を生んだ魔法だけでない。氷の波や、粉砕魔法。ヒストリカが使った魔法はいくつもあった。それをわざわざ使っていないとなると、もしや、使わなかったのではなく、使えなかったのではないか。
 アイオネは魔法の攻防を見つめる。ザッカリーは無効化魔法を使わない。やはりあの魔法には条件が揃わなければ使用できない決まりがあるのだ。だとしたら、それはなんなのか。
 そのとき、アイオネはザッカリーの言葉を思い出した。
 俺だけだと思いつかなかっただろうから。
 これはつまり、魔法族の視点では思いつかないということだ。だからヒストリカも、アイオネやハロルドに意見を仰いだ。そして、アイオネには、ドリスタンと同じ、錬金術師の視点がある――もう一度冷静に考えてみよう。
 無効化魔法。57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェン。無効化する、と言ったが、あれは単に温度を上げる魔法だ。しかし、操られた瓦礫の様子からして、実際には魔法が引き剥がされた≠ゥのように見えた。引き剥がす。分ける。分別。分離。
「――――蒸留」
 ひらめきに脳が重りを捨てたような感覚。
 無意識に口を突いて出た言葉だったが、アイオネは確信した。
「ヒストリカ! 57℃は沸点だ!」
「えっ?」
 アイオネの叫びに、攻防を繰り広げていたヒストリカは上擦ったような声で反応した。
魔法の沸点は57℃だ、、、、、、、、、、! だから操作魔法じゃ物質から魔法が分離する、、、、、、、、、、、、、、、、、!」
 ヒストリカは慣れない単語に戸惑っていたが、ザッカリーの背後で控えていたドリスタンの顔色は苦渋の色を浮かべている。おそらくアイオネの仮定に間違いはない。
 普通は、魔法にも他の物質と同じく沸点が存在するなんて考えない。
 だから魔法族であるヒストリカやザッカリーには思いつかなかった。
 きっと推察通り、可能性を見出みいだしたのは《背徳の錬金術師》・ドリスタン=ナヴァロ。
 操作魔法で操った物質を57℃にまで加熱。物質にかけられていた魔法は蒸発し、物質は宙に落ちる。しかし、氷の波や亀裂を生む魔法というのは魔法式から生まれた現象、、による攻撃だ。加熱させる対象がないから分留もできない――ゆえに。
「操作魔法以外を使え! そしたら相手も手出しはむぐっ」
 上に乗っていた狼の前足がアイオネの口を塞ぐ。さっきまでぺちゃくちゃしゃべらせてくれていたのは、相手が油断していたからだ。これ以上話されれば困ると判断したに違いない。アイオネはさらに確信を深めた。
「ああもう、なんなのあいつ! 俺だってつい最近発見したのに!」
「黙ってろドリスタン、お前の口も塞ぐぞ!」
「ザッカリーこそさっさと終わらせろ! ヒストリカは手負いだぞ、どれだけ時間をかければ気が済むんだ!」
 ザッカリーは青筋を浮かべてヒストリカに向き直る。
 そんな彼とは対照的にヒストリカは血を流していた。だが、おそらく傷はとっくに癒えている。ドリスタンの言う通り、ザッカリーは時間をかけすぎた。そして、ヒストリカが己の血を使い、攻防しながら陣を描いていたことに、気づきもしなかった。
Abrakadabra
 片手に持っていた魔導書の表紙、そこに描かれた血の陣から、蜂の大群が姿を見せる。まるで針を持つ凶暴な嵐のようだ。空気を破るようなはためく羽音を響かせて、その大群はザッカリーとドリスタンに襲いかかった。ヒストリカはそれを見送ることなくアイオネに近づく。
「ぷっ、なんだあの魔法」
 大量の蜂と逃げ惑う二人。
 その光景に噴きだしたアイオネに、ヒストリカも思わず顔を緩める。
「蜂寄せ。戦いながらだと、たいそうな魔法陣は描けなくて」
「魔法族のやつらも面白いこと考えるな」
「先達に失礼だよ。待ってて、拘束を解くから」
 杖を向け、呪文を唱えようとしたときに、大きな影が差しかかった。その正体にヒストリカが気づいたときには、強い衝撃を受けて吹っ飛ばされていた。
「ヒストリカ!」
 影の主は陶磁器質の騎士だった。爆散させてから蘇生を終わらせたようだ。
 ヒストリカの体は遠くまで転がって、摩擦により静止した。打撲と擦過傷がひどい。吹っ飛ばされた衝撃で腕の骨が折れていた。なんとか杖だけは握っていたが、新たにできた傷に呻くことしかできない。
皆止まれフレーゼ・アル
 蜂に取り囲まれていたザッカリーが魔法でそれらを制する。ぼろぼろと地面に落ちていく蜂を容赦なく踏み、こちらへと近づいていった。
「油断したな、ヒストリカ」
 哀れむように眉は顰められているが、その口角は吊り上がっている。なんとか起き上がろうとする傷だらけのヒストリカを見て、さらに笑みを深くした。
「早くひっ捕らえてよ。あれはすぐに傷が治るんだ、いつ反撃されてもおかしくないよ」
「わかってるさ、ドリスタン」
 また杖を振るおうとする相手にアイオネは「待て」と言った。
 二人の視線がアイオネに集う。拘束され、地面に伏せっている自分、対照に、相手は武器を持ったまま見下ろしている。あまりいい気分ではなかった。命を握られているような心地もして、手が冷えていくのを感じる。
「……何故ヒストリカに固執する」けれど、アイオネは訊いた。「お前たちだって同じくらい長寿じゃないか。不死というのは珍しいが、お前だっていつかはいきつくだろうに……これ以上なにを望む」
 アイオネの問いに、ドリスタンは不機嫌な顔をした。
「俺たちの長寿は完全とは程遠い。そりゃあ、この町の誰よりも長生きしている自身はあるけど、残念ながら不老じゃあないんでね」
 その言葉にアイオネは眉を寄せた。
 ドリスタンはさらに続ける。
「トゥリトプシス・ヌトリクラ――いわゆるベニクラゲの要領だよ。六十歳を最高限界齢とし、成長しつくせば赤ん坊へと退化を進める。若返りきったら再成長する生活環。老化と発育を繰り返すだけだ。これのどこが不老不死か」
 おそらく《背徳の錬金術師》による不老不死研究の一環だろう。不完全ながらに不老不死に近い状態になる方法を発見し、それにより《裏切りの魔法使い》共々二百年の時を生きながらえている。
 ヒストリカの言っていた二人の奇妙な身体変化にも、これで得心できた。時代によって見た目の年齢がばらばらなのはこのためだ。老いては若返り、若返っては老いる。保ち続けるのではなく、変わり続ける。それゆえに長寿。
「だけど、ヒストリカは別物だ。完全なる不老不死。若い姿のまま老いることなく、あらゆる傷や病気にも屈服することはない。人間にも、同じ魔法族にも、そんな能力を持つ者はいない。あれだけだ。ヒストリカ=オールザヴァリだけなんだ!」
 生に狂う男の目を、《背徳の錬金術師》は湛えていた。
 おぞましい。百年では恋も冷めまい。若い姿をした怪物のような男は、闇のように欲深い。
 思わずぞっとするアイオネに彼は不敵に笑う。
「ザッカリー。彼を解放してやってよ」
 アイオネは目を見開いた。



return/march


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -