名無しの画家の知恵と約束 6/8



「私は彼の魔法を魔方式をほどく魔法#T至は魔法円の均衡を壊す魔法≠セと思っていたんだ。魔法陣は魔方陣と同じ作りになっているのは君たちも知っているね。陣内の均衡が少しでも狂えば、魔法は呆気なく崩壊する。けれど……この魔法はそういう、狂いを与えたりするようなものではなかった。可視光線とは違う光、なんと言うんだっけね、電磁波、だったか。それを多種飛ばす式が組みこまれていた。その内側には単純な熱魔法。子供のときに足し算の練習として教わることが多い。単純な式に複雑な式を組み合わせた二重構造になっているみたいだ。効果を徹底させているのかもしれない」
【ふうん。どんな魔法か大体予想はつくね】
「いかにも」ヒストリカは頷く。「端的に言うと、これは温度を上げる魔法だ」
 算出した魔法陣を見ただけでは理解できなかったが、解説が入るとなんとなくそうであるような気もしてくる。アイオネは初めて羊皮紙に描かれた陣が意味のあるものであるように見えた。陣を見ながら、ヒストリカの話に耳を傾ける。
「短略式を57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェン=A対象や特定周囲の温度を一気に57℃にまで引き上げる魔法だよ。魔法で直接作用させていないとなれば、もっと別のなにかを狙っていると思うんだけど……」
「けど?」
【けど?】
 アイオネもハロルドも、ヒストリカから紡ぎだされるはずの、具体的な言葉を待っていた。
 それは、きっと、ついさっきまでなら、一生かかってもヒストリカから聞きだせなかったかもしれない、懇願の言葉だった。
 ヒストリカは観念したように、一度唇を噛んでから、その言葉を紡ぐ。
「魔法族以外からの視点で見てみたいんだ……君たちの意見を聞かせてくれ」
 やっとの思いで言ったヒストリカが、緊張をほどいたよそで、アイオネとハロルドは弾むように議論を交わしていく。
【すぐにはピンとこないかも。いまの段階じゃ、子牛ならミディアム、鹿肉ならミディアム・レアってところ? もう少し判断材料が欲しいかなあ……アイオネはどう?】
「俺も似たようなものだ。ヒストリカ、それはどういう状況だったんだ?」
「そうだね……魔法で折れた杭を操って、彼らに向けたときだった。私の操っていた杭が途端に地面に落ちた。杭にかけた私の魔法が解けたんだと思う」
「温度変化で杭内の空気が膨らんで魔法で操る軌道を逸れた、ってのはどうだ?」
【杭の素材によるんじゃない? それに、その程度の要素で魔法作用が負けるかも疑問だ】
「気流の可能性もなしだろうな。条件が足りなすぎる」
 アイオネとハロルドが議論を進めていくのをヒストリカは黙って聞いていた。二人の声が完全に途切れたあたりで苦笑を漏らす。
「まあ、なんとかしてみせるよ。要は一発で済ませればいい」
 乱暴なことをヒストリカは言った。
 飽きられたと思い、アイオネが「待て」と言うと、ハロルドも【そうだよ】と後を追う。
「そう熱くならなくてもいい。別に君たちに失望したわけじゃない」
 見透かされていた。肩を落とす二人だったが、回復はハロルドのほうが早かった。
【でも、そう言って無茶するんじゃないの?】
「今回仕掛けた罠は、私が彼らから先攻を奪うためのものだ。もし坊やの言う通りになったら、この罠から破綻していることになる。身の安全は考えているつもりだよ」
「なるほど。つまり俺がいても問題ないわけだ」アイオネはにやりと笑った。「本当に安全なら、俺がいようがいまいがヒストリカにとってなにも変わりはない。だろう?」
 ヒストリカの反応はよくなかった。じっと押し黙ったままで、表情はない。ハロルドににやにやと見つめられるのに甘んじている。それから小さなため息をついて「好きにすれば」と呟いた。アイオネが情熱的であることなど、ヒストリカはずっと前から知っている。
【話は以上だよね? 新しい患者さんが来たみたいだから僕は戻るよ】
「ありがとう」
【じゃあまたね。僕から君たちへ、愛をこめて】
 そう言い終わったとき、鏡からハロルドが消えた。じわじわと普通の鏡面へと景色は戻り、映るのはヒストリカとアイオネの顔だけになった。
 鏡を置いたヒストリカは、カーテンに隠れながら窓の外を見遣る。
 ばらばらと人影は見えるが、目当ての二人はまだいないようだった。慎重になっているのだろうとヒストリカは予測する。今夜いっぱいの長期戦になるのを覚悟した。アイオネもヒストリカに並び、外の様子を確認する。
「可哀想に、俺のヒストリカは首だけの状態であそこに放置されている」
「ご、ごめんなさい」
「あーあ、もうすぐで完成するはずだったのになあ」
「ごめんなさい。ごめんなさい。許して……」
 いじめすぎたと思ったアイオネは「涙に免じて」と囁いた。なんのことか察したヒストリカは、しおらしい態度を一変させ、アイオネの足をしたたかに踏みつけた。
 日が暮れて、すっかり外が暗くなっても、広場に二人が現れることはなかった。時刻は真夜中と言っても過言でないほどだ。外には人影もなく、静かな暗闇だけが広がっている。月明かりのおかげで辛うじて外の様子がわかるような状況だった。
 ふとしたとき、ヒストリカはじりりと背筋を正す。
「……あれか?」
 いる。晒し首の台に近づく、二人の男の影。
 けれど、本当にあの魔法使いと錬金術師だろうか。
 夜の暗さに遠目が重なると、二人をよく知るヒストリカすら確信が持てない。
「どうするんだ?」
「杖を出すまで待つ。もしも彼らなら、確信を持てていないのはあちらも同じさ。あの首が本物かどうかを確かめるために魔法を使うはず」
 ヒストリカが緊張気味に杖を構えるのに、一気に空気が汗ばむのを感じた。
 そして、その影が細長い棒を首へ向けるのが見えた途端、ヒストリカは呪文を唱える。
稲妻出でよロアル・ケラウノス!」
 鮮烈な電撃が空気を裂き、二人は身を焦がす――はずだった。
 だが、偶然にも二人はその場から動き、魔法の照準から見事に逸れる。ヒストリカが放った電撃は台の上の偽物の首に直撃した。煙を上げながら黒焦げになる首を見た二人はこれが罠であることに気づく。
撃ち穿てドリヴェアナイル!」
 ザッカリーの呪文が飛ぶ。
 ヒストリカとアイオネはその場にしゃがみこむことで避けたが、砕くような衝撃音が鳴り響くと、壁に深い穴が開いていることに気づいた。とんでもない攻撃だ。ヒストリカは目を細めて「失敗だ」と立ち上がる。
「ここから逃げるよ、アイオネ。もう私たちも悠長にしちゃいられない」
 ヒストリカは魔導書と覆面だけを回収して部屋を出る。アイオネもそれに続き、その身一つで部屋を出た。燭台もない暗闇の中を、ヒストリカの足音を頼りに走る。
 宿を出てヒストリカと合流。そのまま大通りを疾走していると、自分たちのものとは違う足音が聞こえてくる。あの二人が近づいてきているのだとアイオネは確信した。
 ヒストリカもそう判断したようで、ぐんと思いきりよく杖を振るう。
強く願うイオーデル意のままに動いて妨害せよアクタスミミンダンドヴィオラッテ!」
 直後、あたりにあった全てのもの――干された衣服に転がされたバケツ、重たい植木鉢、野良猫や野鼠まで、ありとあらゆるものが一斉に空を舞った。哀れな猫の威嚇的な鳴き声が響く。変則的なその動きは世界が発狂したかのようだった。縦横無尽に一定の動きをして、後方から追尾を完璧に拒んでいる。
「チッ……57℃まで上昇せよガインヒート・フィフティセヴェン!」
 男の声で呪文が叫ばれる。
 その途端、さっきまで相手を惑わせていた物体の数々が、力を失ったように地面へと落ちていった。ヒストリカが促したものと同じくらいに異様な光景に、アイオネの芯は冷え、けれど肌は熱気を帯びる。
 並走するヒストリカの顔色は悪かった。
 そこにあるのはきっと自分の魔法が通じないことへの恐怖だけではないのだと、アイオネは思った。ヒストリカには、彼らに利用され、酷使された時間がある。一度確定された関係差は、そう簡単に覆ったりしない。精神的優位に立っている彼らに対する怯えを、本当は克服しきれていないのだ。
 そのとき、背後から呪文が聞こえた。進路方向に、地面の石畳が盛り上がったような壁ができる。今度、行く手を妨げられたのは、アイオネとヒストリカのほうだった。
「どこへ行くの、ヒストリカ」
 振り返ると、ドリスタンが偉そばった態度で佇んでいた。
 隣にいるザッカリーが一歩前に出て金色の杖を向ける。
 ヒストリカは「下がってて」とアイオネを腕で庇うようにして前に出た。
 ザッカリーの色とは違う、神聖な銀色がすっと相手方を向く。
灼熱の炎出でよデヴァスタティング・フィレ!」
凍結の氷出でよリシング・イケベルグ!」
 ザッカリーは炎の攻撃を仕掛けたが、相手の呪文を聞いてから反応したはずのヒストリカのほうが魔法の効きが早かった。優勢を手中に収めた氷と冷気の波は、炎の波を飲みこむように広がっていく。舌打ちをこぼしたザッカリーは炎を霧散させるように杖を振るい、ヒストリカの魔法から逃れてから新たな魔法を繰り出す。
土くれクレイドール!」
 ザッカリーの十八番である陶磁器質の怪物だ。通りの花壇の土が大仰に盛り上がり、一つの塊を形作っていく。次第にそれはくっきりとしたシルエットを形成し、ついには大きな騎士へと変身した。その姿を茶化すようにヒストリカは皮肉る。
「守ってもらおうって? お姫様」
「よそ見をしている暇があると思うな」
 陶磁器質の騎士は襲いかかる。咄嗟に隆起した石畳の陰に隠れたが、その壁をザッカリーの魔法が打ち砕いた。土埃が舞う中、ヒストリカは脇にいたアイオネに目を遣る。
「見ての通りこちらが不利だ」
「だろうな」
「今日のところは退散する。時間は稼ぐから、君は陣を――」
 と、そこでアイオネの体が後ろに吹っ飛んだ。陶磁器質の狼が襲いかかってきたのだ。身動きが取れないようにのしかかって、アイオネを地面に拘束している。
 ヒストリカはザッカリーを睨んだ。
「この前みたいに変な動きをされちゃたまったものじゃないからな」
 ザッカリーはそう言うと、指揮をするように杖を上に振り上げた。それに従うように陶磁器質の騎士はヒストリカを襲う。
 アイオネはじたばたともがいたが、上に跨る狼を振り切ることはできなかった。全く手出しできないようにされている。アイオネには、魔法族同士の攻防を、見ていることしかできない。同じく高みの見物をしているドリスタンとは、形勢的に、天と地ほどの差があった。



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