名無しの画家の知恵と約束 5/8



「いや。正確には、私の魔法の一部を無効化させた、といったところだ。無様な話、私はやられっぱなしだったさ。泣く泣く戻るしかなかった」
「それであの惨事か」
「魔法が通じないなら隙を作ってそこを突くしかない。だから今回の騒動を画策した」
 アイオネの絵のヒストリカ=オールザヴァリ≠実体化させ、それを囮にする。適当な国のお偉方えらがたを魔法で操り、情報を流し、処刑騒ぎを起こす。《裏切りの魔法使い》と《背徳の錬金術師》が確かめに来たところを攻撃する。それがヒストリカの考えた流れだった。
「話すことはなく、感情を持つこともないが、魔法で実体化したあの私は、三日三晩姿を保てる。もうすでに死体とはいえね。急に私が死んだと知ったら、二人は絶対に確認に向かうはずだ。二百年の付き合いだからわかるよ」
 ヒストリカがそう言うのだから、きっとそうなのだろう。アイオネよりもヒストリカのほうが二人と縁が強い。アイオネの知らない二百年とはおそろしく壮大だ。
「一つ聞きたい」
「なんだい?」
「あんたが絵を実体化させる魔法陣を算出していたのは怪我する前のことだ。つまり二人に魔法が通じないとは思ってもみなかったころ。今回の騒動を計画する必要はないよな? 何故ああも熱心に算出していた?」
 ヒストリカはばつの悪そうな顔をした。
 それだけでアイオネは察し、ため息をついた。
「その段階から、俺と別離する算段を立てていたんだな」
「いや、あの、出来心だったんだよ。ああいう魔法があれば便利だろうなあとは常日頃から思っていたし、算出できたらなにかしら役に立つだろうからと……今回のような用いかたでなくても確かによかったんだけれど……それに、あの二人が君を、だって、だって」
 ヒストリカはアイオネの服の裾を握りつつも、目を合わせようとはしない。
 わざと拗ねたような顔をしてその動作を眺めていたアイオネが「まあいい」と飽きたような声でつっぱねた。
「それより、広場を見張らなくてもいいのか? さっきの話の流れでいくと、この部屋はおびきだした二人を探すために借りたんだろ?」
「怒ってない?」
「もう怒ってないから」
「うん、その通りだよ。でも、まだ来てないみたい。人混みがすごいから落ち着いたら来るんじゃないかな。間近で確かめたいだろうし、私はそう踏んでいる」
 ヒストリカは窓際に近づき、カーテンに隠れるように広場の様子を眺めた。
 偽物のヒストリカの首が台に置かれて晒されている。公開処刑後にはよくある光景だった。見せしめとして数日間そこに置かれるのだ。なにに対する見せしめかは知らないが、これもヒストリカが手を回した結果なのだろう。
 窓の外から視線を外し、ヒストリカはテーブルの上の上に置いてあった手鏡を取る。それを覗きこみながら口を開いた。
「ハロー坊や、いるかい?」
【やっほう、ヒストリカ。待機していた甲斐があったよ】
「は?」
 鏡の中から聞こえた声に、アイオネは声を漏らす。
 ヒストリカの持つ手鏡を隣から覗きこむと、そこには見えるはずの己ではなく、おそらく施療院の洗面台にいるだろうハロルドの姿が浮き上がっていた。こちらの姿も見えているのか、アイオネを一目見るなり【アイオネだ? なんだ、その感じから見るにヒストリカを言いくるめられたんだね】と軽妙に微笑む。
 これも魔法の類だろうが、アイオネが驚いたのはそこではない。
「ハロルド、これはどういうことだ?」
【えー? なにがー?】
「白々しい。なにが、ヒストリカがどうしてるかなんて僕にだってわからないよ、だ。ばっちり把握してるだろうが!」
 数刻前、自分と同じ立場だと思って散々話し合った相手に裏切られていたとは。
 ヒストリカといい、ハロルドといい、この世は世知辛い者ばかりだ。
 アイオネが白い歯を見せてハロルドを睨みつけると、ヒストリカは苦笑気味に「勘違いだよ」と訂正を入れる。
「坊やは本当に私がどうしているか知らなかった。連絡を取ったのも少し前で、君が院を出たところだと言っていたよ」
【この鏡通しの魔法はヒストリカからしか話しかけられないしね。それくらい一方的なものなんだ。まさか普通に話しかけられるとは思ってなかったよ、次に会うときは僕に白髪が生えているときかなあって考えてたくらいで。僕も事の全貌を知ったのは本当についさっきなんだから、勘弁してよ】
 一人だけ仲間外れになっていたわけではないらしい。そうなると、ただ愚図るのはみっともなかった。アイオネはすぐに納得したように頷いた。
 ヒストリカは付け加えるように続ける。
「まあ、もし坊やと連絡を取らなかったとしても、坊やなら気づいていただろうよ。処刑された私が偽物であることくらい」
「え? なんで」
【なんでって……アイオネも知ってるでしょ? ヒストリカは不死身だ。首を落とされたくらいじゃ死なないよ】
「首を落とされたくらいじゃ=H」
 その言葉のおぞましさにアイオネは顔を青ざめさせる。
 鏡越しのハロルドはその様子を見て鼻で笑った。
【ヒストリカは水に沈められて息もできない中を生き延びたんだよ? かけられた魔法理論上、首を落とされようが胴を断たれようが全身の血を引き抜こうが生き続けるよ。それに聞いたことあるよね? ヒストリカ=オールザヴァリの有名な逸話】
「……火炙りの刑を三日三晩生き延びた」
【そんな人間がどうやって死ぬの。伊達に錬金術師に寵愛を受けてないよ】
 ハロルドの言いかたにヒストリカは顔を顰めたが、アイオネは納得できた。そりゃあ、あれほど強く求められるわけである。なにをしても死なないというのは、人間としてぶっ飛んでいる。もはや神や妖精の類だ。それほど、ヒストリカの不死性は強い。
【それで? 裏切りの彼と背徳の彼は見つかったの? この町を出た可能性もあるけど】
「俺は数刻前にあの二人を見たぜ」
 アイオネのその言葉にヒストリカとハロルドはぎょっとした。二人の反応にアイオネはぎょっとすることになったが、なによりもヒストリカの顔が近づいてくることに驚いた。
「どういうこと。まさか二人に襲われたのかい?」
「いや、違う。たまたま見かけて……気になったから尾行しようとしただけで」
「尾行……しようと……?」
 鏡の中のハロルドは大笑いしていた。
 ヒストリカは諌めるように彼に一瞥を送り、そしてまたアイオネに視線を戻す。
「無事だったからいいけど、もう二度とそんな真似はしないでくれよ」
「ヒストリカが消えたこととなにか関係があるんじゃないかと思っただけだ。普通なら一目で逃げてるよ」
 アイオネはヒストリカの両肩をそっと掴んで自分から引き剥がす。ヒストリカは責めるようにアイオネを見続けたが、ハロルドに話しかけられたことにより、そちらへと振り返る。
【それで、ヒストリカ。これからどうするの? 院には戻る?】
「ずっと張っておくつもり。アイオネはそっちに帰す」
「いいや、俺は残る」
 少し膨れ気味のヒストリカがアイオネを睨んだ。
 アイオネは怯まずに「言っただろ。あんたが心配だ」と言葉を続ける。
「残ったって君にできることなんかないさ。お戻り」
「下手に動いたってまた重傷になるだけだろうが。なんで魔法が効かないのか、どうするべきか対策は打ってあるのか?」
【それは僕も思っていたよ、ヒストリカ】ハロルドも神妙な顔をする。【今回は不意打って攻撃するみたいだけど、それが失敗して応戦することになったら? せめて魔法の効かない理由だけでも解明しておくべきだ】
 ヒストリカは押し黙った。弁明、釈明の余地もないのだろう。
 そんなヒストリカに、ハロルドはわざとらしく微笑んで告げる。
【もしかしたら、あの背徳の彼が一枚噛んでるのかもね。だとしたら相当厄介だ。こちらとしても、優秀な誰かさん、、、、、、、の知恵を拝借したいとは思わない?】
 ヒストリカは「優秀な誰かさん……?」と首を傾げる。
 アイオネの「あっ、ちょ、お前、」という焦燥を無視し、ハロルドは続ける。
【聞くところによると、そこにいる彼、実家が錬金術師の大家なんだって。だから変な知恵を持ってるかもしれないよ。ねえ? アイオネ】
 ヒストリカが驚きの視線を遣ったアイオネは、片手で顔を覆っていた。
 隠しておきたいほどでもなかったけれど、特に言いふらしたいわけでもなかったからだ。
 イギリシア地方のブルガッジィ家は、古くから貴族専属の錬金術師の一族として栄えてきた家だった。錬金術師の多くにはパトロンが存在し、資金提供の代わりに、金を錬成した暁にはその利を一番に求められる。何代にも渡ってその契約が為されているため、築き上げる財はかなりのものだ。アイオネのブルガッジィ家も、例に漏れない。
【妙に多学問に詳しいのもそのためだよね? 錬金術はあらゆる学問の始祖。あらゆる知識に精通している。そりゃあ物知りなわけだよ。駆け引きの材料として使う身の上≠ノは今一つ刺激が足りなかったけどね】
「それにつられたお前が言うな。恨むなら自分のおしゃべりを恨めよ」
 与り知らぬところの話を展開する二人に、ヒストリカは眉を顰める。しかし、妙な教養があるとは思っていたので、アイオネのその身の上には得心がいった。
「でも、アイオネ……君、画家になるんでしょう? いいの? そんなお家柄で」
「俺は次男坊だったんだ。六つ年上の兄が次期当主。ま、その兄も詩人になるってんで家を出たから、実質あの家には跡継ぎがいないわけだけど」
「親泣かせだなあ」
「それより、ヒストリカ」アイオネは苦しそうな顔でヒストリカに尋ねる。「その、嫌だと思ったり、軽蔑したりはしないのか。その、俺が、あいつと同じ錬金術師の系列の人間で」
 アイオネの言葉にヒストリカは苦笑する。
「同じ錬金術師だからって、君の印象が変わったりはしないよ。君が直接、私になにかをしたわけではないしね。それよりも、親泣かせな自分を軽蔑されるとは思わなかったの?」
「したのか?」
「してないよ。君は画家なんでしょう?」
 けれど、たしかにいいことを聞いた――そう言いながら、ヒストリカはテーブルの上に置いてあった羊皮紙の束を取る。そこには、魔法陣の計算式だろう記号や、抽象的な図、幾何学的に組み合わされた図形が並んでいる。それをアイオネや鏡の奥のハロルドにも見えやすいように持ち上げて「ご覧」と囁く。
「それがどうした」
【解読不能】
「若者はせっかちだね。もう少し気を長くお持ちよ」ヒストリカは続ける。「私の魔法が無効化されたとき、ザッカリーは呪文を唱えていた。おそらく彼の魔法で私の魔法が無効化されたんだと思う。現象は何度も見たし、呪文も覚えたから、その魔法を算出してみたんだ。けれど、これはどう見ても、魔法を消すための魔法ではない」
 魔法のことはアイオネもハロルドも専門外であり分野外だ。
 そもそも、この場にいる魔法を解する血を持つ者が、ヒストリカ一人だけなのだ。
 ヒストリカの言葉が続けられるのを二人は黙って聞いていた。



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