名無しの画家の知恵と約束 3/8



 なんで、という気持ちが止まらない。ハロルドを呼んでやりたかったが、この場を離れるのは嫌だった。自分がいないところでなにかが終わりそうな予感がした。本当にヒストリカが捕まって、いまから処刑されるのかはわからないが、不確定要素が多すぎると身動きが取れない。もしも全てが真実ならこれは一大事だ。
 にわかには信じがたい。ヒストリカが処刑されるなんて。
 やはり、ザッカリー=レヴェリッジとドリスタン=ナヴァロの策略だったのだろうか。誰かの策略でないとこんな状況は作れないだろう。判決が出るのも刑が執行されるのも早すぎる。まるで計画でもされていたかのようだ。それに、もしヒストリカが有罪だったとして、いくらなんでも処刑はないはずだ。アイオネとて絵の消失に果てしない憤りを覚えていたが、その犯人がいたとして、死ねと思ったことはない。
 なのに何故、見物客の顔の多くにその疑問が浮かんでいないのか――そりゃそうだ。
 魔女の処刑なんて、面白くないわけがない。そんな疑問、どうでもいいのだ。
 あの大迫害時代だって、そういう裏側があって、起こったことに違いない。まるで当たり前のように、騙したり騙されたり、殺したり殺されたりする時代。少しでも弱みを見せると喜び勇んでつつかれたという。弱みを持つ者を異端とし、魔女と呼んで虐げた。
 もう彼女をただの魔女だと思えないアイオネにとっては、わからない感性だった。
 広場はぐるりと見物客で覆われていて隙がない。これ以上進むことはできなさそうだった。アイオネは少し離れたところにある花壇の上に立ち、広場の様子を眺めた。
 視界に入った断頭台に息を呑む。
――断首装置ギロチン
 これから命を断つ行為が始まるのかと思うと怖気がした。
「来たぞ! 大魔女だ!」
 わっと声が溢れた。歓声だった。
 警備に囲まれ、首と手を繋ぐ枷を施され、断頭台に上ろうとするその娘に、視線が吸い寄せられる。
 その姿を一目見て、誰もが口を閉ざした――驚き以上に懐かしさすら感じてしまったのだ。
 深い影さえ物ともせぬような鮮やかな金髪ブロンド。透けて消えてしまいそうな、けれど、圧倒的な存在感。顔の造形は血が凍るほど美しい。王族なら一度は侍らせたいと、画家なら一度は描いてみたいと思わせる見目だ。しかし、なによりも目を惹いてやまないのが、その双眸。凄みのある、氷を張った湖の底のような瞳。震えるほどの青色。はっきりと見開かれたそのまなこで、しめやかに群集を見つめている。
 誰もが彼女をヒストリカ=オールザヴァリだと確信した。
 アイオネすら、間違いないと思った。
 毎夜見つめ、描いていた、あの少女そのものだった。
 少女は断頭台に寝そべり、ただ呆然と、自分に向かう刃を待っている。逃げるようなそぶりもない。物言わずに死の時を待っているように見えて、アイオネは心臓を絞られるような思いをした。
 ヒストリカは不老不死だ。だから二百年もの時を同じ姿で過ごし、あらゆる怪我に蝕まれることなく生きてきた。維持し続ける魔法で体は生を持続させ、どんな傷も治してみせる。
 けれど、首を落としても生きていられるとはアイオネには思えなかった。首を切り落とされると一気に血圧が下がり、気絶した数秒後に死ぬと言われている。そして人間の体の部位でも心臓に並ぶほど重要な臓器、脳が、胴体から完全に分離されるのだ。生命維持としてこれは致命的だろう。ヒストリカの不老不死は維持から来るものであり、ただ単純に死なない≠ニいうことではないのだ。死ぬしかない状況に追いこまれれば、死ぬに決まっている。
 民衆は熱のある視線を送る。魔女の首が落ちるのを、あの魔女が再び消える瞬間を待ちわびている。ここはまるで地獄のようで、民衆こそが悪魔だ。この場で清廉潔白なのは少女だけのように感じた。
 二本の柱の間には少女の頭。執行人たちは厳かな顔で、少女の首が断首装置に嵌ったことを確認した。風が吹いて髪が揺れる。少女の顔にかかるが拘束されているおかげで払いのけられることもなかった。ただ着々と処刑の準備が進んでいく。
 アイオネの膝は震えた。手も冷えていった。喉が痛くて声が出せない。少女に気づいてほしいのに、目はどうしても交わらなかった。
 そして、執行の瞬間は訪れる。
 本当に容易く、断首装置の斜め刃は彼女の首に落ちていった。
――ぼとり。
 生臭い音が鳴った瞬間、胴から切り離された首が籠の中へと落ちる。
 執行人がそれを掴み上げて民衆に掲げて見せた。
 目を閉じ、下から血を流した、ヒストリカ=オールザヴァリの首だった。
 声が上がる。鳴りを潜めていた熱が一気に呼び覚まされた。拍手をする者、口笛を吹く者、騒ぎたてる者など様々で、魔女の死に立ち会った感動に顔を痺れさせてもいる。
 アイオネは、ただ、呆然と立ちつくしていた。
 この状況や空気、集まった人々、法、世界。絵画の中の少女は、こんなものを見ていたのか。アイオネにはいろんなものが憎く感じられたけれど、彼女はそうではなかったのだ。彼女は憎むことなどせず、ただ平和であることを望んだ。そんな、人間として当たり前のことを願った。そんな彼女の悲願が切り落とされるのを、彼らは手を叩いて喜んだ。
 アイオネはゆっくりとしゃがみこみ、立っていた花壇の石を一つ拾い上げる。何度かそれを握りなおした後、執行人に向かって思いっきり投げた。
「ッな……誰だ!?」
 石は見事に執行人の頭に命中し、怒りを買う。その周囲も若干ざわざわと声の色を変えた。けれどアイオネの周りの人々はアイオネを見つめる。さすがにどこから石が投げられたかは見当がつくのか、執行人の目線もそちらのほうへと向いていた。
「名乗りを上げろ!」
「出てこい! お前の首も刎ねてやる!」
 アイオネはもう一度しゃがみこみ、さっきのものよりも大きな石を拾い上げる。
 しかし、立ち上がろうとしたそのとき――その手首を誰かが掴んだ。
 力強くアイオネを引っぱり、その場から遠ざけようとする。民衆を掻き分けて好奇の目を逃れた。途中アイオネは転びそうになったが、掴まれた手首からそうはさせまいと力をこめられ無理矢理に立たされる。
 ただ自分を連れて走るその後ろ姿に、アイオネは見覚えがあった。
 なんせその外套はアイオネが贈ったものだったからだ。温かな若草色。彼女の穿く青紫色のスカートによく似合う。今は偽物の顔で覆われているが、その中の髪は輝くほど鮮やかな黄金だろう。さっき己の血に塗れてしまった、あんな尊い色をしているはずだ。
 状況についていけない。いつだってアイオネには状況を教えてくれない。よくあることだ。だからこうして駆け抜けていくのだろう。地獄から抜け出せたような、爽やかな心地がする。
 広場に集まっていたためどこもかしこもがらんとしていた。建物と建物の間の影に身を隠し、彼女は息を整えた。荒々しく覆面を剥ぎ取って、火照った顔でアイオネに言い寄る。
「君は、ばかなのっ?」
――ヒストリカだ。
 自分の画面に落としこむため、毎夜毎夜見つめていた少女だ。
 上がった息を整えることもなく、ヒストリカはさらに詰め寄ってきた。
「しん、信じられないっ、まさか石を投げるなんて……見つかったらただじゃすまないのはわかるでしょう? なにを思ったか知らないけど、あんな目立つところであんなことして、君はどういうつもりなん――」
「ヒストリカ!」
 アイオネはヒストリカの叱責を遮るように叫び、その体を抱きしめた。
 腕ごと束ねたせいでヒストリカは身動き一つ取れない。ただ驚きになにも言えず、されるがままになっていた。
「よかった。死んだかと思った。本当によかった」
 アイオネは抱きしめる力を強くする。ぎゅうっと力をこめると、首のあたりに彼女の髪が当たり、くすぐったい。まだ荒い肩は呼吸をしているのだと訴えてくれる。アイオネには、それが素晴らしいものに思えてならなかった。さっきまでの嫌な感情が瞬く間に消し飛んだ。
「……離して……」
 ヒストリカはぽつんと呟いた。
 腕の中から聞こえた小さな声にアイオネは少しだけ力を緩める。
「アイオネ。離して」
「あ、悪い……」
 さすがに不躾だったとアイオネはすぐさま身を離す。両手を挙げてしまったのは後ろめたさからだ。中身は二百歳を超えているに違いないが、柔い女性に軽々しく触れるなど褒められた行為ではない。こつこつこつと後ずさる足音を響かせる。
 ヒストリカはじっとしたまま顔を上げなかった。
 怒っているのだろうかと、アイオネは顔を覗きこもうとする。
「ヒストリカ……?」
 アイオネが顔を近づけたのと、ヒストリカが顔を上げたのは同時のことだった。
 ぱっと視界を埋めつくした顔にアイオネはまた仰け反る。
「集まっていた見物客がそろそろ戻って来るかもしれない。動いたほうが賢明だ」
「え? あ、ああ、そうだな」
「驚いただろう? 私が断頭台に立っているんだからね。私も見ていて気分のいいものではなかったよ」
 ヒストリカもアイオネから数歩だけ離れた。
 アイオネはさきほどまでの光景をありありと思い出す。
「あんたが本物の、、、ヒストリカ=オールザヴァリってことでいいんだよな? なら、さっき処刑されていた、ありゃなんだ? 幻覚か?」
「幻覚ではないさ。限りなく私に近いなにか、と言ったところかな」
「なにか……?」
 ヒストリカはアイオネをちらりと見遣る。そして、すぐに視線を外し、気まずそうに地面へと眼差しを落とした。まるで恋に患う乙女のようだと思ったが、ヒストリカに限ってそれはない。妙に新鮮なしぐさだが、それゆえに嫌な予感も覚えた。アイオネの不安をよそに、ヒストリカはおずおずと口を開く。
「ねえ、アイオネ。怒らない?」
「…………」
「あっ、ううん、やっぱり言わないでおくよ」
「話せ。内容による」
「君が描いた私の絵を魔法で具現化させて作った人形ヒトガタなんだ。だから、ほら、描きかけの絵から私の像が消えていたでしょう?」
「怒る!」
 アイオネは目を鋭くさせた。いつにないその剣幕にヒストリカは苦笑を浮かべる。
「ごめんよ。本当に、すまないとは思ってるんだ。いろいろあって……利用させてもらった」



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