予定調和 4/5



 しかし、灯台下暗し。
 たかだがどこにでもある一冊の本により、こうも詳細が読みとれるとは。
 少なくとも二人に対する無知はなくすことができた。
 アイオネは紙とペンを取る。一度まみえただけの二人の顔を思い出し、紙に素描していった。一種のずさびだ。サッサッと手を動かしながら、頭で考えをまとめていく。
 三人の関係性は概ね理解できたと言える。
 それにつけても気になるのは、やはり、二人がヒストリカに執着する理由だった。
 あのとき、錬金術師は、生きたままヒストリカを捕獲したいと言っていた。襲われたこともあるけれど、あの二人がヒストリカの命を狙っているとは考えにくい。もっと他の別のものを、ヒストリカに見出しているのだ。少なくとも、アイオネはそう考えている。
 出会いは魔女裁判。当時ヒストリカは十三歳。不躾な推察ではあるが、性行為などが目的とは考えにくい。財産が目当てかとも思ったが、彼女の身なりから金銭の匂いはしない。むしろそれなりの家の娘だったら魔女裁判にかけられるなんて縁遠い話だ。なにより二人が金銭を目的としているとも思えない。物への執着が薄いことはヒストリカが匂わせていた。
 となれば、二人が持っていないものを、ヒストリカが持っているということになる。
 それも簡単に手に入るものでもなく、二百年の時をかけてでも我が物にしたいもの。
 なにがあるだろう。同じく二百年の時を生きているヒストリカと彼らに、なんの違いがあるというのか。長寿という点は三者等しく分けあえているという状況なのだ。長寿の法が目当てでないとすると――錬金術師が望むものと言えば――?
「あ」
 結論に至ったまさにそのとき、地下室からなにかが投げだされるような音が鳴った。
 この音には覚えがある。おそらくヒストリカが陣から帰還したのだろう。
 アイオネはベッドから下りて地下室へと向かう。立て続けに一服盛られたのだ。なにか言ってやらなければ気が済まない。また土産でも持って帰ってきたのなら許してやるのも吝かではないが、あんな強硬手段は二度とごめんだった。
 階段を降りていくと、ふわりと錆のような匂いが漂った。
 錆というのは遠回しな形容だ。錆というよりは鉄で、鉄というよりは鉄分だ。鉄分。手術室でもないのに、怪我人が運ばれた気配もないのに、よりにもよって地下室に続く道程で、どうしてこの匂いがするのか――アイオネは弾かれたように駆けだした。大股で階段を下り、とうに開いていた扉から地下室へと入る。
 そこには、血まみれのヒストリカが、重く、横たわっていた。
「静かに、アイオネ。傷口に障る」
 口を開こうとしていたアイオネに、先に来ていたハロルドが冷静に告げた。しかし、医者が本分であろう彼は、医療用具もなにも所持していない。
「どうやら《裏切りの魔法使い》と《背徳の錬金術師》にやられたらしい。肩から腰にかけて大きな裂け傷がある。頭からも血を流しているから、意識も朦朧としているはずだ。ここまで帰ってくるのもやっとだっただろう」
 ヒストリカが呻き声を上げた。彼女の体から溢れ出る赤が池を作る。動くたびに浸したような音が鳴り、彼女の服を濡らした。ハロルドの「杖と魔導書は無事?」という問いに、息を荒げながら頷く。血まみれの胸の前でベルトも切られていて、背中の書物がずるりと落ちる。
 ハロルドはそれを血に浸さないように避けて、離れた場所に置いた。
「出血で君の匂いが強くなっているね。じきにこの場所もばれてしまうはずだ。香水風呂の準備はしておくから、動けるようになったら来て」
 ハロルドは立ち上がって部屋を出ようとする。
 アイオネはその肩を掴んだが、平然とした彼の顔を見て確信した。
 そんなアイオネに彼も気づいたのだろう。それ以上はなにも言わず、階段を上っていった。
 残されたアイオネは、横たわったままのヒストリカに近づく。
 酷い傷口だった。出血も相当量。服はケープごと裂かれて肌も露出している。頭から流れたちは金髪をも染め上げ、けれど頬からは朱が消えている。重傷だ。放っておけば死んでしまう。普通なら。
「……痛むか?」
 アイオネは膝をついて顔を覗きこもうとする。
 けれど、一瞬早くヒストリカは顔を逸らした。髪が邪魔で顔が見えない。荒い呼吸から、痛みがあることだけはわかった。
「見ないで……」
 か細い、花が萎むような声で、ヒストリカは言った。
 アイオネは、彼女の体を蹂躙する傷が、ゆっくりと癒えていく様を呆然と見ていた。まるで細胞同士が手を取り合うように、組織が意志を持っているように、その傷は結ばれ、修復され、消えていく。流れようとする血も、呼ばれたかのように逆流していく。赤いしずくが体を這い、ゆっくりと体内への巡りを再開する。千切れた血管も、綻んでいた肉も、なにもかもが元通りになる様子を、アイオネは最後まで見ていた。
「……ごめん」
 アイオネの呟きに、ヒストリカは身じろぎする。
 相変わらず真っ赤ではあったが、もうどこにも傷はなかった。
――錬金術とは、卑金属から貴金属を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属だけでなく様々な物質や、人間の肉体、魂をも対象として、より完全な存在に錬成するためのすべであった。
 完全な存在。
 錬金術師が求める究極。
 すなわち――不老不死。


▲ ▽



 その後、ヒストリカはむくりと起き上がり、何事もなかったように地下室を出て行った。
 歩けるかと手を貸そうとしたアイオネも、なんの淀みもなく活動を再開するヒストリカに呆然とするしかなかった。少し遅れて地下室を出ると、浴室からシャワーの音が聞こえる。ヒストリカが入っているのだ。傷口に滲みるのではとも考えたが、あの完璧な修復状態から見るに、裂傷どころか掠り傷一つ残っていないはずだ。アイオネはぼんやりと納得する。
 アイオネがダイニングに向かうと、一日の診療を終えたハロルドが、早めの夕餉を作っているところだった。カウンターには肉類や豆類など、鉄分を多く含む食物が並んでいた。
「ああ、アイオネ。大丈夫? 気分悪くなったりしてない? 僕は手術とかで慣れてるけど、そうじゃないひとは血にびっくりして倒れちゃったりもするから」
 アイオネはできあがった料理をテーブルに置いていく。
「ヒストリカの心配はしないんだな」
「君もわかってるよね? 彼女はあれくらいじゃ死なないよ」
 生きたまま捕獲するんだ。どうせ死なないだろうけど――あの日、ドリスタン=ナヴァロが言った言葉の意味が、やっとわかった。
「ヒストリカの分は並べなくていい。今日は部屋で摂ると思う。不死身とはいえ痛みは感じるからね、傷の痛みで体力も削られてるだろう、しばらくは体を動かすのも億劫だと思うよ」
 そう言うと、ハロルドは取り置いていた皿を持って部屋を出て行った。ヒストリカの地下室へと向かったのだ。アイオネは二人分の食事をテーブルに並べてから椅子に座った。
 食事中、アイオネとハロルドにほとんど会話はなかった。
ただ「おいしい?」と尋ねたハロルドに「ああ」とアイオネが答えただけだった。
 不老不死。どれだけ魔法が使えても、どれだけ生きながらえていても、ここまでの禁忌を彼女に覚えたことはなかった。ヒストリカ=オールザヴァリは老いず死なずの特性で、あの姿のまま、二百年の時を生きている。なにひとつ変わらず。それこそ、絵画のように。
 アイオネは地下室へと続く階段を下りていた。灯りを持っているとはいえ、目と鼻の先ほどしか照らせない。足元を確かめるようにゆっくりと下り、ヒストリカのいる部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
 扉の奥から聞こえたヒストリカの声に、アイオネは扉を開ける。
 部屋は小さな炎が一面に広がっていた。遠い東の果てにいると聞く、ホタルという光る虫のようだと思った。一つ一つが生命を宿していて、踊るような螺旋を描き、ゆらゆらと多彩に燃えている。それらが部屋一面を照らしていて、ついにはシャンデリアのように天井でぴたりと止まった。
「美しい魔法だ」
 アイオネは見惚れるように立ちつくす。
 部屋の端のベッドに座りこんで杖を振るっていたヒストリカが薄く笑った。
「私のお気に入り。昔、私が大怪我して帰ってきたとき、夜通し泣きそうになったハロー坊やに見せことがあるんだ。小さい手で拍手をして、とても喜んでくれた」
「そりゃあいつがいくつのときの話だ?」
「六つかな……本当にたくましく成長したものだなあ。彼の父であるハリソンのときもそうだったけど、私の背を抜かしてしまうのはあっという間だった」
 ヒストリカは、頭まですっぽりと覆っていたシーツを拭うように剥ぎとる。
 炎のシャンデリアに照らされる滑らかなその頬には、先刻見た血糊の跡さえなかった。
 床もきれいになっている。ヒストリカが片したのだろう。
 同じくきれいにした服が枕元に畳まれてある。こうすると本当に何事もなかったかのようだ。
「……あんたが不老不死だから、あの二人に狙われてるのか?」
 ヒストリカは痛々しく笑んだ。逸らすことのない青い瞳が細められる。
「あいつらも不老か、少なくともそれに近い存在ではあるんだろ。でも完全じゃない。だから、不老不死の完全体であるヒストリカ=オールザヴァリに執着している。そうだろう?」
「聞かれたくなかった」ヒストリカは言った。「上手な言い訳が思いつかない」
 そんなのは肯定と同じだ。アイオネの推測は正しいのだろう。
 錬金術の第一目的は不完全を完全にすることである。金を作りだすことはその過程でしかない。不老不死の達成こそが錬金術の真の目的なのだ。そのためにエリクサーと呼ばれる万能薬や賢者の石を追い求めた。研究の末に文明や文化は発展し、多岐に渡る学問も生まれたが、その真の目的を果たすことは現在に至っても叶えられていない。今日こんにちの錬金術師が喉から手が出るほど欲しているものを、ヒストリカは有している。
 厳かな声で「いつからそう、、なんだ?」とアイオネは尋ねる。絵画に描かれたヒストリカはいまの姿よりも幼い。不死ではあったかもしれないが、不老ではなかったはずだ。
「父と母に魔法をかけられてから。不老だと気づいたのは、もっと後の話だけど」
「あんたの両親が……? なんのために?」
「私を守るために」
 ちょうどそのとき、アイオネが小さくくしゃみをした。体が冷えているのだろう。ヒストリカは苦笑しながらぽんぽんと自分の隣を叩いた。甘えることにしたアイオネがベッドに腰かけると、強い芳香が鼻孔を突いた。ヒストリカはシャンデリアを模していた火を旋回するように操る。杖で整列させれば小さな暖炉のような温かさが生まれた。
「……私が生まれたとき、世界には疑惑と暗黒が犇めいていた」
 ヒストリカがそう語るのを、表情には出さないが驚いていた。彼女が自分について話すことの稀有を、アイオネは知っていたからだ。
「発展と保守の二面性。倫理にまで頭が回らなかったんだろうね。まるで当たり前のように、騙したり騙されたり、殺したり殺されたりする時代。少しでも弱みを見せると喜び勇んでつつかれた。弱みを持つ者を異端とし、そしてそれは魔女と呼ばれるようになった。私たち魔法族とは関係ないところの話さ」
 お門違いな魔女像を描いた民衆が騒ぎ始めたころのことだろう。悪魔と契約しただの人間に害悪を齎すなど、魔法族にとってはちゃんちゃらおかしかったはずだ。実際は、魔法族でない者たちが勝手に囃したてていただけなのだから。
「私たちは深い森の奥に集落を作っていてね、そこで平穏に暮らしていた。魔女狩りの話はすでに広まっていたから、異端審問の手から逃れられるよう、力を合わせて。私の両親は魔法族の中でも有名な学者で、新たな魔法を生みだすことに余念がなかった。誇りだった。とても聡明な魔法使いと魔女だったよ。二人は最後まで、私のことを守ろうとしてくれた」
「守るって、魔女狩りから?」
 ヒストリカは頷いた。
「手当たり次第に誰も彼も魔女だと言われていたから、生きているだけで危機に晒されているようなものだった。それに、一度捕まればとても酷いことをされると聞いた。逃れるための嘘をついて当然の、酷いこと。自白してもしなくても死ぬんだ。怯えないわけがない。杖を取り上げられれば私たちはろくな抵抗もできないからね。魔法が使えるということも魔女だと吊るし上げられる証にしかならなかった」
「でも……あんたたちなら、見つからないように防ぐことはできただろう」
「そうだね。私たちはそうやって生きていた。綻びができたのは、集落の外だ」
 集団の中で結託するのは難しいことじゃない。仲間意識は団結を生み、互いに互いを庇い合う。だが、その集団の外ともなると話は別だ。個単体は自由が効く分、危険度が高い。
「民衆と共に生活している魔法族たちも疑いをかけられ拷問された。その多くは口を閉ざしてくれたけど、一人の年老いた魔法使いが、身を守るために舌を滑らせた」
「……《裏切りの魔法使い》」
 ヒストリカは「その通り」と答えた。
「集落の場所を教えたってことか?」
「森には複雑な魔法がかけられてあって、道順を知らないと大抵の者は入れない。それを知っていたから、あの魔法使いは私たちを外に出すことを考えた」
「外に出す?」
「魔法族の集会。夜宴サバト。いまこそ結託して自分たちを守るべきだと、そう騙って、みんなを集わせた。罠だよ。その場所と日時をあちらに教えたというわけ」
 聞いたことがある。赤子を食べたり、悪魔と接吻を交わしたり、狂気的な乱舞が夜通し行われるという魔女の催し。しかし、これが屈折した妄想であることなどアイオネは理解している。真実はどのようなものなのかと期待していると、ヒストリカ曰く、実際はただの新作魔法発表会である。もしくは若者の恋人探し。魔法族も総じて人間らしい集団だ。
「夜宴に行った魔法族は一網打尽にされた。私たち家族はなんとか逃げおおせることができた。けれど、知り合いはみんな連れて行かれて、一人も帰ってこなかった。体中に釘を刺されたり、溺死させられたり、妙齢の娘は純潔を散らされたとも聞く。どれもこれも嫌な死にかただよ。守りの薄くなった集落も見つかり、いよいよ私たちが捕まるのも時間の問題になってしまった」
 じわじわ追い詰められていく恐怖はどれほどだっただろう。
いまでこそヒストリカは淡々と話しているが、当時の彼女はまだ幼い少女だったのだ。
 不当に苛まれ、虐げられるには、あまりに残酷なよわい
「そこで父と母は、私を守るために強大な魔法をかけた。二人の親の、そのまた親の親から魔算し続けられていた難解な魔法。完成までにどれだけかかったのかは計り知れない。けれどそれを二人は自分たちの代で完結させた。完全なる、完全の魔法」
「それが不老不死ということか」
「結果的にそうなっただけで、不老不死が目的というわけではない。完全の魔法とは、あくまでも維持≠目指したものだ」
 ヒストリカは自分の肩を、肘を、手の平を、ゆっくりと撫で下ろす。空に手を翳してその先をぼんやりと見つめた。
「人間の最高度を維持する魔法。不死身にも見える治癒力は、人体形状を維持するための再生能力。私の体は内臓器官を含めて常に万全の状態でいるよう仕組まれている。顔や足がむくむことも、骨格が歪むこともない。損傷はすぐに修復され、外敵を許さないから病気にもならない。反動や相殺のための熱暴走がないわけでもないが、そんなのは些細なことだ」
「体の成長が途中で止まったのもそのためか。人間の体力、筋力、脳の成長ピークは十代後半から二十代にかけて。それ以上老いれば低下してしまう」
「さすが察しがいい。私はハロー坊やに言われるまでわからなかった」
 ヒストリカは杖を振るって火を舞わせた。列を成す炎が永久の輪廻を形作った。
 一つの環がくるくると巡る、メビウスの輪。
「私の体は維持をし続ける。その様を見て、不老不死のようだと思うだけだよ」
「本物の不老不死なら、魔法をかけられた十三歳で成長が止まってるはずだからな」
「私に魔法をかけ終えた途端、彼らに見つかってしまった。悪夢を見たような顔をしていたよ。なんせ、家の床一面にわけのわからぬ陣が描かれ、その中央に小さな娘が立ちつくしていたのだからね。その娘の両親であろう二人は怪しげな杖まで持っている。この時点で確定していた。私たちは家族ぐるみで魔女裁判を受けることになった」
「……父親と母親は?」
 ヒストリカは瞼を閉じる。長い睫毛が淡い涙袋をしっとりと撫でた。
「死んでしまった。父は拷問で、母は自白したあと処刑で」
「あんたは生き残ったんだな」
「どうやって死ねるの? どんな傷でも癒えてしまうのに」
 どんな迫害からも身を守る維持再生力。
 ヒストリカの両親が彼女に与えたかったのはそんなものだ。
 しかし顛末は、二人の想像するところとは違うところへと堕ちてしまう。
「私は水責めに遭った。足に重りをつけられて、川に沈められた。浮かんできたら魔女だと彼らは言ったけど、おかしいだろう? 重りをつけてるんだから、みんな沈むに決まってる。彼らの中で、私はどっちみち死ぬはずだったんだ」
 けれど、ヒストリカは生き続けた。酸素もなく、内臓が水浸しになって、あぶくを吐きながら叫び声を上げ――一晩捨て置かれてから引き上げられた。自ら浮かんでこそこなかったが、それでも生きていたのだ。ならば、魔女と判断する他ない。
「嬉々とした顔で私を掬い上げたその顔は忘れもしない。死にかけの老人は、完全を渇望していた――《背徳の錬金術師》だよ」
 こうして因縁の役者は揃った。
 《大魔女》と、《裏切りの魔法使い》と、《背徳の錬金術師》。



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