《細工は流々仕上げをご覧じろ》1/7


 人類には当然の宿敵がいる――セツリだ。
 その超常的な力で災害や厄害を成す、多種多様な危険生命体。
 数千年ものあいだ人類はセツリに屈する弱者として甘んじていたが、ここ数年でセツリへの対抗技術は飛躍的に進歩し、いまや権力ピラミッドは覆りつつある。元より進んでいた科学、工学の分野は飛ぶ鳥を――セツリを落とす勢いで発展。人類は日々の研鑚により、セツリを駆逐できるだけの武器を手に入れたのだ。
 神秘とのマッチングが可能な甲殻ハードウェアと呼ばれる防具型精密機器。それに精霊ソフトをインストールし、ケーブルで接続されたつるぎを以て戦う。精霊が完全にインストールされると、甲殻の形状は変化し、適応した装飾および装備が展開される。籠手や鎧のように人体を覆い、また、特別な力を剣に付与するのだ。
 目には目を、歯には歯を、神秘には神秘を。単なる武装ではセツリに敵わないと察した人類は、神秘の手を借りて戦闘能力の強化を図ったというわけである。
 まさしく、人間の叡智と技術の結晶。
 自然界を彷徨う神秘と最先端技術の融合体である、戦闘用コンピュータシステムだ。
 この画期的なシステムの導入からたった数年で、人類の奪われた地位や築き上げた財は回復。人は誇りを取り戻した……のだとか。知識としては認めている。だが、確証が持てないのには理由があった。現在進行形で、俺は人類が持っているはずの誇りが溶けて消えたような人間のそばにいる。
「またハラエがセツリの巣を見つけて、倒したみたいだよ」
 薄いテレビでニュースを見る彼女は、誰ともなしに呟いた。
 祓とは俗語だ。セツリと戦う兵士たちのことを人々はそう呼んでいるらしい。けれど彼女の称揚の眼差しから、それが敬称でもあることは容易に伺える。
「すごいよね」
 彼女は独り言が癖だった。返事をする相手もいないのに、家では言葉が突いて出る。空想の友達がいて、そいつと話でもしているのかってくらい。こんな状態≠ナさえなければ、さっきの彼女の言葉は俺に投げかけられたものだっただろう。けれど、彼女の言葉は矢印を持たず、空気中に放たれただけ。
 聞くことしかできない俺は、ただ外の世界を眺めている。
 彼女が俺を甲殻に降ろしてから一ヶ月ほどが経った。短いようでとてつもなく長い、それでいて退屈な時間だった。本来ならばすぐに自律できるはずが、随分と時間がかかってしまっている。これでもまだよくなったほうだ。降りた直後など意識が朦朧としていたし、聞きとれる言葉も途切れ途切れだった。そこから徐々に視界がクリアになり、拾える音も増え、自分がいまどういう状況なのか、冷静に分析できるようになった。
 独り言の癖を持つ彼女こそが俺の主――菜野なのまふゆ。
 今年の春から祓になるための養成学校に通っているらしく、俺はそこで彼女に降ろされた。思い返せば甲殻に入った際、たしかに彼女の声が聞こえた気がする。おぼろげだったので聞きとれなかったことに歯痒さを覚えたが、もしかするとただの独り言だったのかもしれない。ここ一ヶ月共に過ごしているとそんな確信が湧いてくる。
 年頃だというのに見映えもしない少女だ。言葉を選ばなければ、根暗という印象がまずピンとくる。おそらく視線の遣りかたのせいだろう。空を諦めた俯き加減。その愛嬌のある顔で目を伏せられては、周囲に与えるのは後ろ向きの推進力ばかりだ。いったい誰が気づくというのか。頼りなさげな睫毛の下の、燻るような橙黄色の目の心地好さに。少なくとも俺は、その目でまっすぐに見つめられるのは嫌いじゃなかった。
「おはよう。今日もよろしくお願いします」
――ああ、よろしく頼むぜ。
 今日も彼女は返事もろくに聞こえない相手に朝の挨拶をする。茶番だからといって返事を怠ったことはないが、届かないことにはいい加減うんざりしてくる。経験してみて初めてわかったが、外界に干渉できないというのはかなりのストレスになるらしい。そんな俺に気づきもしないで、彼女は慣れた手つきで甲殻を装備するだけ。
 彼女の通う学校の制服は、甲殻を装備することを考え、体のラインに沿うようなタイトな造りになっている。伸縮性に富んではいるが生地も薄く、防寒着もなしに着られるのは夏場くらいのものだろう。代わりといってはなんだが防寒具はルーズで温かい素材のものが多く、俺の主である彼女の防寒具もゆったりとしたもの。大振りの襟は申し訳なさそうな髪ごとすっぽりと収めている。どうせ上に着る服で嵩が増すのだから最初から温かいものを用意すればいいのに。人間の考えることはどうも俺にはわからない。
 毎朝八時十分。学校へと向かうスクールバスの中で、彼女は大抵一番前の窓側の席を取る。学校に着くまでひたすら無言で、窓の外を眺めるのだ。窓ガラスに時折映る生徒のシルエットに俯いてしまうのもいつものこと。各々個性が出る装備と己の凡庸ないでたちを比較して、彼らに比較される前に息を潜める。それほど己が居た堪れないなら早くすればいいのにと、俺はいつも思う。
 バスが到着すると生徒は校舎に入り、各々の教室へと続く道を辿る。この対セツリの養成学校コード第六期関東04≠フ校舎は重厚で近代的な構造をしている。各地に点在する訓練学校の中でもここは指折りの名門で、設備投資にも力を注いでいた。セツリの急襲に備えたセキュリティーに、精霊をより円滑にインストールするためのマザーコンピュータの導入、また、部外者の侵入を阻むための厳重なシステムロックなど、平凡な学校では考えられないほどの充実ぶり。
「さすがに、学校に監視カメラをつけるのはどうかと思うけど」
――そうかい。ま、こりゃあたしかに窮屈だな。
 その恩恵に預かっている身の上ではあったが、その大半を彼女も俺も息苦しく感じていた。無造作に取りつけらているこれらが活躍する日なんて本当に来るのだろうか。
 彼女は廊下を歩き続け、自分の教室の前でぴたりと止まる。ドアの窓から教室の中を伺い、壁にかかっている時計に目を遣った。あと五分でホームルームが始まる。
 彼女は真面目で遅刻をしたことなど一度もないが、かといって朝早くから学校に行くようなタイプでもなかった。むしろ、教室に留まらなければならない状況を意識的に避けている。なるべく多くの目に晒されたくない彼女は、予鈴が鳴ってからの数秒、クラスメイトたちが己の席に戻るため教室中が騒がしくなるタイミングを見計らい、なんでもないようにスッと教室に潜りこむ。講師が教室に入ってくるころには、ずっとそこにいましたというような顔で、彼女は席についているのだ。



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