クライムリービギニング 1/6


 大都会の夜空は今日も暗転。
 天気のいい悪いに関わらずきらめきは見られない。絢爛華美なネオンに悉く負け星を飾っているのだ。
 なんせここは冲華大帝連邦一の大都市。活気と賑わいが満ち、人通りの多さは人口の大半がここに押し寄せているのかと錯覚させるほど。案外間違いでもないだろう。この区域は近未来ゲームの町並みがそのまま落っこちてきたかのような、聳える建物で溢れている。この建物にまんべんなく人が収まって初めて、ようやく道路が見えてくるくらいの雑踏。
 青と赤の光がラインを描くように高く闇に浮かぶ。ビルの窓の奥の光だ。その光の真下、地中深く――古風な打弦楽器の音が鳴り響く地下のホール階。そのホールの重厚な扉を、人々は夜景を背にして押し入っていく。
「……いくらなんでも遅すぎね。策略を感じるある」
「ボスが男子トイレから帰ってこないだけでしょ」
「なにを言うね。ご主人はお腹を壊すような繊細な男じゃないよ。もしかしたら変なやつに絡まれてるかもしれないある」
「そんなのなおさらありえないって。彼の逃げ足の速さは恋戯ちゃんも十分にわかってるはずだよね?」
 恋戯(れんげ)と呼ばれたお団子頭の少女は、下唇の裏を見せるように歪めたあと、「確かに香弁の言う通りある」と目の前の男に賛同した。
 この香弁(かべん)という男は見た目こそ軟派だが信用に足る人間だ。立場上、共にいた時間だって長いのだ、恋戯はそのことを理解していた。この男がなにもないと言うのだからおそらくその可能性は低いのだろう。
「まあ、心配なのはわかるよ」サングラスのせいで目元は見えないが、おそらく香弁は苦笑したのだろう。「まったく、なにをしているんだ。俺たちのボスは」
 ご主人、ボス――二人の口から漏れた単語が指す主は、もちろん同一人物だ。そしてその人物のことを二人は待っている。
 大都市の端に並ぶビルの一つであるクライムリー・ビギニング≠フ地下では、今宵、オークションが開催される。それも国中、世界中から特定の重鎮たちが集まるオークションが。ここで特定のという修飾語が付与されたのは、このオークションがあまり表世界に知られていないからだ。毎回多くの人物と物が集まるというのに表向きには知られていない。いわゆる、裏世界の話、というやつなのだ。
 界隈の雅を解さない者への他言無用は絶対マナー。出入口では特定の貴重品≠ヘ没収され、駐車場を除く館内では過度な迷惑行為≠禁止している。ちょっぴりダークな面々が競売を楽しむ無礼講――かわいらしく表現するとそういうことである。どんなものでも競りにかけてよく、それは目に見えないものであったり、はたまた人間そのものであったりもした。なかなか面白いものが出品されると評判で、高い参加費を払って訪れる者数知れず。ただし警備の関係上、途中退席は許されても遅刻は絶対に認められない。
にもかかわらず、どうやら二人の待ち人はなかなか姿を見せない。
「遺憾ある。あと五分で扉が閉まるね。もし十数えても出てこなかったら男子トイレに乗りこんでやるよ」
「他のお客さんが可哀想だからやめてあげようね」
 片手の平に拳をぺちんと打ちつける恋戯を、そう言って香弁は窘めた。
 正確な年齢は不明だが、恋戯の齢は五、六年前酒を飲める歳になった香弁よりも下だ。それこそ少女と形容しても許される。年若く、熟れるような娘なのだ。少年のような細身ではあるが、鎖骨を過ぎたあたりで彼女の体つきは途端に豊満に曲線を描く。それを強調するようなルビーレッドの伝統衣服は華やかで、黒のレザージャケットに隠れているといっても淡い色香は残った。詰襟の飾り釦に阻まれた肌とて男よりも白い。そんな彼女が男性用手洗い場に現れようものなら、そこで用を致していた紳士諸君は驚愕してしまうこと間違いなしだ。想像するだけで不憫である。
「いーち。にーい」
「え? ちょっと待って。なんで数え始めるの?」
「さーん。しーい」
「恋戯ちゃん、おふざけはいい加減に、」
「きゅーう」
「うわっ、すごい横着!」
「うるさいぞ。香弁、恋戯」
 二人を諌めるような声が、少し離れたところから鳴る。声の主は絨毯を靴で踏みしめるように、けれど流れるような鮮やかさで二人の元に歩み寄った。
「ここにはぺろぺろ靴を舐めなきゃならんようなお偉いさんたちがいらっしゃるんだ。変に騒いで俺の顔に泥を塗るな。給料削るぞ」
「元からそんなのもらってないよ。それで、ボス。なんで戻ってくるのが遅かったの?」
 ボスと仰がれたフォーマルな格好の彼は悪戯っぽい笑まいを浮かべる。
「個室にいる間、面白い話を聞いた。女子トイレは魔窟だと聞くが、男子トイレも負けちゃいないな。どうやらこの会場にやんちゃくれが紛れこんでいるらしい。厳正な手荷物検査をパスしてとんでもない玩具を持っていた。俺はまあ、自分で言うのもなんだが、たいへんいい性格をしているからな。開催者側に密告しておいた。喜べ。お前らの主はオークション前に親方様にご恩を売ったぞ。誇るも称えるも好きにしろ」
 おかしな威圧感を持つ男だ。彼の歳は三人の中で一番下だろう。恋戯に少女という単語を用いるなら、彼にも少年という単語が良く似合う。背も平均的に見ても低いうちに入るし、つるてけっとした襟足があどけなさを生む。だが、彼の纏う雰囲気に青臭さや無邪気さは微塵も感じられない。妙にすれて、何事においても場慣れしたような余裕を持っている。年上の二人の主を務めるのにもなんの疑問も抱いていない。生まれながらにして魅力的な横柄さを持っているような、不思議な態度が目立った。
「うん。頼もしいよ、うちのボスは。でももう扉が閉まる。早く中に入ろう」
 尊大な歩幅で歩きだす彼の後ろを、香弁と恋戯は続いていった。



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