夢の中 1/7


 謎々には気づいていたことがある。
 それは、散々に夢見がちだと、暢気だと侮った、夜明けについてだ。
 夜明けが謎々たちと行動を共にするようになって六日が過ぎた。なんてことのない時間ではあった、けれどそれなりの時間ではあった。互いに名を呼びあえる時間だ。相手の性格を把握できる時間だ。両手では数えきれないほど同じ釜の飯を食べた時間だ。香弁や恋戯にとっても、自分たちの領域に夜明けがいることに慣れる時間だ。言ってしまえば、多少の情が移ってもおかしくない時間だ。それだけの時間ではあったのだ。
 だのに、夜明けにとってはなんでもなかった。
 はじめはなんて場違いな反応をする娘なのだろうと侮っていただけだった。誰や何に追われようが、どんな窮地に陥ろうが、夜明けはずっと暢気なまま。なんて考えなしで暢気な娘なのだろうと、そう信じていた。けれどおそらくそうではないのだ。
 どうでもいいだけだ。
 互いに名を呼び合おうが、相手の性格を知ろうが、同じ釜の飯を食べようが、自分の領域に相手がいることに慣れようが、どうでもいい。はじめて屋敷に来た日の夜とて、謎々の昔話にほだされたわけではない。誰が問いに答えようが、間違えて死のうがどうでもいい。夜明けにとっては、問いにちゃんと応えてくれるのなら、誰だってよかった。
 夜明けはきちんと自らの価値を知っている。
 いまの所有者がだめでも次がいる。次がだめでもその次。諦められること、相手から去ること、けれど強く欲望されることを知っている。
 執着しないのはそれが理由だ。
 実際にその通りで、夜明けには目に見えるストックが、自分を求める手が、歪なほどに数多く存在しているのだ。誰もが少女の呼び起こす奇跡、取り巻く影響、その神秘を喉から手が出るほど欲している。
 そしてそれこそが、《栄光の少女》という伝説のシステム。
 夢を見ていたのは謎々たちのほうだ。全世界が勝手に夢を見ていた。散々にもてはやし、酔い痴れるだけ酔い痴れて、まるで神聖なものであるかのように錯覚した。夢見がちだなんてどの口が言えたのだろう。
 夜明けは、夢なんて見ないのに。


◆ ◇ ◆



「まず、そうだな。問いの読解について解説するよりも頭に入れておいてほしいことがある。これは夜明けの珍行動でもある、毎朝の忘れ癖と夜泣きの半狂乱に関わってくることだ。ちなみに後々、問いの読解における最大のキーポイントにもなる」
 謎々は考えこんでいた事柄を慎重にアウトプットしていく。なるべく複雑な構成にならないよう、丁寧に、慎重に順序を選んでいった。
「日中行った仁紗の検査で発覚したことだが、夜明けは脳に玉硬質化症という病気を患っている。後天性という話だから、病自体は芥地区の劣悪環境から生まれたものでまず間違いない。体の一部が宝石のように硬化する症状を示す」
「……それって、《栄光の少女》が持つ宝石のことあるか?」
「勘がいいな、恋戯。仁紗もそう見立てていた」謎々は続ける。「だが今はその話はどうでもいい。大事なのは、夜明けの脳が硬質化していることにある」
 香弁も恋戯も顔を濁らせた。
 脳の硬質化。想像もできないが、言葉の響きからもその異常性が伺える。仁紗も言っていたように――実際に体の一部が宝石になったら生きていけない――不具合が起こる――特に心臓や脳なんて。
「夜明けは実際にその病のせいで不具合が起きていた。そのうちの一つが忘れ癖だ」
 生活を共にすることになってからしばらくして、香弁や恋戯も、夜明けに忘れ癖があることに気づいた。そして、謎々は毎朝足りない記憶の補完をしていった。決して忘れ去られているわけではなかったけれど、夜明けの記憶は頼りなく、定着が遅効だ。自分が誰かわからなくなる、といったような重症ではないにしろ、あなたは誰、ここはどこ、どうして自分はここにいるの。そういった類のことにはとんと疎く、まるで前日の記憶がさらさらとこぼれ落ちているような状態にあった。
「夜明けの宝石の脳みそは硬く、言ってしまえばそれ以上成長しない。硬質ゆえの宝石の形態維持だとでも思ってくれればイメージしやすいだろう。夜明けならきらきらの脳みそなんて素敵!≠セとかお花畑みたいなことは言いそうだが、」馬鹿にしたような声真似に噴きだした二人を無視して謎々は続ける。「皮肉にも……それが記憶の定着を邪魔している。俺たちが普段摂る睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の二種類があることはお前たちも知っているな。諸説あるようだが、そのうちのレム睡眠には脳を創る作用があるとされている。けれど夜明けの脳はそれ以上創られること、変わってしまうことを拒む。硬質化による維持性のためだ。だから夜明けの睡眠には、おそらく、レム睡眠がほぼないのではないかと考えられる。いわゆるショートスリーパー。脳を創るレム睡眠がなければ記憶の定着も曖昧になり、目覚めたときに記憶がこんがらがる。それがあれの忘れ癖の原因だ」
「なるほど……」
「歳のわりに幼稚な態度から、己の歳が明確に記憶されていない可能性もあると俺は踏んでいる。自分がどれだけ歳をとったのか脳がわかっていない。精神が時を刻むことに横着したまま、というわけだ」
 香弁や恋戯が整理するように頷いていくのを謎々は眺めた。
 二人が顔を上げたタイミングで続けるように口を開く。
「そして夜明けの半狂乱についてだが、やはりあれは夜驚症で間違いない」
「夜驚症……」
「小児の睡眠障害。寝ているときに突然起きて、叫び声をあげて怖がったり動き回ったりする。そしてこれは数分から十数分間続く。原因はノンレム睡眠時に見る悪夢だとされているな。深い眠りの最中に怖い夢を見て、その恐怖により半分目が覚めた状態で起こる。ちなみに、夜明けの忘れ癖とは関係なく、目覚めたときに本人は夢の内容や自分の症状を覚えていないのが普通らしい。言ったと思うが、残念ながら夜驚症に対策はない。恐怖体験や不安要素があるのをきっかけに悪夢を見るとも言われているが、それも明らかではない。脳の発達が進み、睡眠機能が完成される思春期くらいになると、どうやら落ち着いてくれるらしいがな」
 その言葉に恋戯は「……でも、夜明けは」と顔を顰める。
「そう。夜明けの脳は特殊だ。脳の発達はゼロとまではいかないが、それに近い」
 玉硬質化症に犯された夜明けは脳の成長にストップをかけている。
 仁紗は大したことのない病だと言っていたが、患った部位が悪かった。
 脳は人間の中枢なのだから、当然被害が出る。それが夜明けの場合、記憶の定着および夜驚症の完治の遅効に至ったというわけだ。
「なら治らないってことかい?」
「まあ、そうなるな。時間の経過によるアプローチは無意味だろう。小児のみが患うはずの夜驚症を未だに引きずってるようなやつだからな」
 謎々の言葉は淡々としている。自ら広げた風呂敷にこだわりのないような白々しさだ。
 本当に言いたいことではないのだろう。謎々は語りだす前にまず≠ニ言っていたのだから、これはあくまで前置きなのだ。そしてキーポイントにもなる。
 あまりに壮大な前置きに、香弁はついていくのに必死だった。
 恋戯などは半ば理解を放棄したような顔をしていた。



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