《プロローグ》1/1


 これまでに一度でもいじめをしたことはあるか。
 答えはイエス。俺はある。
 もしもこの質問にノーと答える人間がいるとするならばそれはとんでもない大嘘つきとしか思えないくらいには、当然といじめをしたことがある。むしろこの世界において幼少期に誰をも虐げずに生きてきた人間など存在するはずがないとさえ思っている。メロンソーダのお好きなわんぱく少年は、蟻を踏み潰すのやダンゴ虫を弄ぶのよりもずっと先に、キラキラとした唾を吐きながら残酷な言葉を吐いてきたのだ。リボンの似合う色白の少女は、シルバニアファミリーやリカちゃんドールを集めるのよりも先に、仲よしこよしおててを繋いで残酷な仕打ちを施してきたのだ。若気の至りだ。幼さゆえの罪だ。人間であれば誰もが通る道であり、そうしてこそ人は成長できる。
 俺はいじめを肯定する。いじめ、かっこいい。各地で拍手喝采だ。
 しかし、ここでもう一度考えていただきたい。
 俺はいじめをしたことがある。無邪気よりも醜い心を以てして、彫刻刀や鋏を持つよりも違和感のない居心地で、とある人間の人生の一片を完膚なきまでに叩き潰したことがある。大きくなっても癒えることのないであろう抉るような傷をつけて、平然と笑っていた自分がいる。こんな最低最悪の人間を、俺は肯定しない。そんなやつ、かっこわるい。誰かが傷つくのをなんとも思わない最高級のクズ野郎は須らく滅ぶべきなのだ。滅ぶまではいかなくても、最低限、不幸で惨めな生活を送るべきだと思う。それがせめてもの弔い。苛まれた哀れな人間の押し殺した思いに対する今出来うるかぎりの弔いだ。
 ではこの俺は、比来栖陽汰は、いま不幸で惨めな生活を送っているのか。
 実のところ答えはノーである。
 青春真っ盛りとまではいかないにしろ何不自由のないキャンパスライフを迎えてもうすぐ三年目に突入するところだ。超楽しい。ケータイの電話帳には友達先輩後輩そして万歳恋人などより取り見取りの名がびっちりと刻まれており、バイトをしながらでもそれなりに打ちこめる愉快なサークルにも所属している。ユーモアのあるほうでない俺でもかなり陽気な生活を送らせてもらっているのだ。人気者の気性を持ち得る人物など、今が人生の華と思うこと間違いなしだ。そしてというべきかけれどというべきか、そのことを僻むような気にもなれないほど、俺の生活は充実している。こりゃあまいった。なんて幸せ者だ。幼いころは落ち着きがありすぎるだの根暗だの無愛想のカリスマだのいいイメージの纏わりつかなかった俺だが、いまではそんな影もなく一般的な生徒として見事に溶けこめている。まあ、青少年にはよくある程度の大人しさだったのだ、病的なネガティブ人間でもないかぎり周囲に距離を置かれないのは当たり前といえば当たり前だろう。
 けれど俺は前述の通り、俺はいじめを肯定するが、いじめをした人間は肯定しない。自分自身にナイフの温度を囁くのもなんだが、どうにかなってしまうのが正しいことの顛末だろう。
 俺はいま不幸で惨めな生活とは無縁な状態にある。最近あった不運など高が知れる程度だ。買ったばかりのCDを踏んづけて割ってしまった、とんでもない土砂降りの日に傘を忘れた、自室の椅子の足に小指を強くぶつけてしまった、お気に入りのチョコレートが販売停止になった。本当に、不幸と呼ぶにもおこがましい、恵まれない誰かに鼻で笑われてしまうような青臭い悲劇。たったそれだけの不運で、俺の安寧は保たれていた。

 だから、きっと、罰が当たったんだと思う。

 誰かが傷つくのをなんとも思わない最高級のクズ野郎、俺、比来栖陽汰。
 当然の罪に、当然の罰が、当然のように科せられたのだと思う。
 麗しきくそったれの三月の夜。風の吹かない無音めいた静かな日。俺は数年ぶりに自分の犯した事の顛末を、目を背けたくなるほど痛烈に、自覚させられることになる。
 なに、そんなに重ったらしい話じゃないさ。お涙頂戴のバッドエンドでもない。緊張して胃を痛めることも手汗を握って展開を楽しむことも、まずないに違いない。そうだな、スタバかサンマルクにでも行ってオシャレなラテでも楽しみながら適当に聞くのが一番いい。陽気なラジオでも流して気分転換をするのも忘れちゃいけない。きっと途中で嫌気がさす。これは比喩でなく真実だ。なんせ俺自身が厭らしく感じているんだ、第二者第三者からしてみれば相当のものだろう。俺は謙虚な人間でも謙遜する人間でもない。どちらかといえば傲慢で自分の卑怯さに惚れ惚れするような、そんな果てしなく嫌なやつだ。もしこの罰に拍手を贈りたくなったり俺にブーイングをかましてやりたくなったならそいつは花丸とてもよくできました。ポケットの中で溶けかけているチョコレートをわけてやらんこともない。
 こんな自分の醜態を曝すような馬鹿げた真似をするのは本当に骨が折れる。誰が好き好んで自分の株を下げるようなことをバーゲンセールよろしくふれまわったりするだろうか。俺は昔誰かをいじめていました、でも今はそれを忘れて、わりと幸せに暮らしてます。そんなふうに終わらせられたらどれほど素晴らしかっただろう。けれど真夜中の空が雲で灰色になるように、錠をかけられた池の水が濁って藻を産むように、どうしても目に余ってしまうなにかが、その素晴らしさを毛嫌いしていた。過去をほじくりだして泡立てて、夥しい粒の中でグチャグチャに潰されていく惨めな様を、リボンに包んでプレゼントしてやるしか、それしか他になかったのだ。これは当然の罰だった。
 けれどこうすることで、少しでもあの薄幸な彼女の気が晴れてくれるのを、俺は切に願っている。もしかしたら大きなお世話だと言われるかもしれないな。だとしたら俺はとんだ骨折り損だ。もちろんくたびれても儲けは出ない。あるのは温くなった牛乳を飲んだあとみたいな生臭すぎる不快感だけだ。誰も幸せになれない可哀想なフレーバー。高望みなどしない。ただ俺は語るだけだ。それが俺なりの、死んでしまった思いへの弔いだから。
 だから、どうか、聞いてくれ。

 誰もがただただ報われない。そんな救いようもない話だ。




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