悪夢の日(1/5)




 それは、イヴとオズワルドが、カフェで遅めの昼食をとっていたときのことである。
 フレアスカートの裾にある、ダマスク柄の刺繍は、足が動くたびにひらひらと、薄金色に煌いていた。椅子に座る彼女の爪先は、踵を軸にして地面を打ち鳴らす。ブーツのリズミカルなタップを繰り広げられ、イヴは、オズワルドが拗ねているのだと気づいた。
「なあ」咀嚼していたサンドイッチが口からなくなるとすぐに、イヴはオズワルドに話しかけた。「俺、なにかした?」
 オズワルドはチキンを食べる手を止める。油で指や唇が艶めいていた。ナプキンを一枚取り、グラスについた水滴を少し拭い、それで油を削ぎ落とす。オズワルドは尖らせていた唇を開いた。
「なにかってなに?」
「あんなこととか、こんなこととか」
「あんなことって?」
「そんなことだ」
「こんなことって?」
「そんなことだ」
「両方とも損なの?」
「オズワルドにとってはな」
「ならあるわ」
「ほう」
「言ってもいい?」
「どうぞ」
 まさか本当になにかしていたとは、とイヴは少しだけ目を見開いた。オズワルドは未だ面白くなさそうな表情のままで「あのね」と尖った声で言う。
「イヴがあたしをいぢめる」
「いついじめた」
 想像していたよりもずっと身に覚えがなかったのでイヴは即答した。オズワルドは「だって、あたしのこと、全然レディー扱いしてくれない」と応答する。
「ちゃんと女の子だって思ってるけどな」
「わかったわ。だからなのよ」オズワルドは光明を得たように続ける。「女の子じゃなくって、ちゃんと女として見て」
「女かあ」
 イヴからしてみれば、オズワルドは少女で、まだまだ子供だ。この年頃の娘はすぐにでも大人になりたがる。だから今回のこともその類だと、まるで幼子を相手にでもするかのように接した。
「参考までに。どんなふうに女扱いされたいの?」
「どんなふうって?」
「たとえばなにをしてほしいとか」
「なにってなに?」
「道を歩くときはエスコートしてほしいとか、花束を贈ってほしいとか」
「あたし、手を引かれるより、花を贈られるより、梨をくれたほうがやさしいって思うよ」
「婉曲的に梨をせびっているのか?」
 少しむきになったように、オズワルドを眉を下げた。その反応に、イヴは、己がオズワルドの発言を誤解していることに気がついた。
「……優しくしてほしいのか?」
 オズワルドは「だって、意地悪なんだもの」と返す
イヴの読みは当たっていた。
 正直な話、オズワルドに意地悪い気持ちを抱いたことはイヴにもある。しかし、そのほとんどは、彼女の持ち前の無邪気さでかわされてしまっている。彼女がわざわざ追及するほどのことには心当たりがない。
「どうしてそう思うんだ?」
「今日はなんだか朝から気分が悪い。イヴのせい」
「どうして」
「あたしの隣にはイヴしかいないじゃない」
 イヴは苦笑した。そんなことで自分を原因にされてはたまったものではない。おまけに、オズワルドの発言は、イヴが隣にいるから気分が悪い、という意味にも取れる。イヴは「酷いな、お前は」と呟いた。
「お前も酷いし、俺も意地悪なら、おあいこでちょうどいいんじゃない? 第一、俺が隣にいることの、なにがお前を害するんだろうな。たとえば相手のことを嫌っているとしたら説明はつくが」
「もしくは、怒ってるひと。怖くて痛いことをしてくるひと。あと、赤」
「臭うやつ」
「恋をしているひと」
「恋で気分が悪くなるものなのか?」
「体が熱くなったり、動悸がしたりするでしょう」すると、オズワルドは目を見開いた。「もしかして、あたし、恋をしているのかしら」
「そうなのか?」
「知らないわ」
 こんなのは癇癪に近い、とイヴは呆れかえるしかなかった。
 けれど、実際、ここのところの不衛生不摂生な生活には、彼女の体も耐えられなかったのかもしれない。オズワルドは元々それなりの良家にいたようだし、イヴと仲間になってからの生活は、元の生活と比べ、決して満足と言えるものではなかったはずだ。本人がそのつもりはなくとも、体のほうが悲鳴を上げることはままある。イヴとて、毎回変わる枕の感触や高さには、神経を擦り減らしていた。
「俺にはどうしようもない。悪いが諦めてくれ」
「本当に悪いって思ってる?」
「思ってる」
「申し訳ない?」
「ないない」
「わかったわ。イヴだから特別によ」
 誰にでも囁いていそうな軽々しい言葉だった。
 オズワルドは、パキッと細い骨の付け根を割って、挟まった肉にむしゃぶりつく。辛味のある旨そうな匂いを放つそれに、イヴも食欲をそそられた。
 風の強い日だった。空では雲が煽りをうけて、転がるように倒れこんでいる。街道の木々のざわめきもここ一週間では一番大きい。建物に吊るされた旗は靡くことなく風に張られ、その模様を誇張していた。今いるカフェも、風の強さからか、屋外テーブルでアフタヌーンティーを楽しむ人間はほとんどいなかった。芝生のように這わせたシャムロックや、淡くも鮮やかな紫色をした花の装飾あしらいは、どれも雰囲気がよく、こんな天候でなければ屋外を選ぶ客のほうが多いだろうにと思わせる。けれど、食べている最中に髪が口の中に入ったりすれば、当然気分が悪い。やはりというべきか、屋内テーブルのほうが人が犇いていた。
「あーあ、梨が食べたいわ」オズワルドは言った。「満足するまで頬張りたい」
「お前はそればっかりだな。好きな料理はないのか」
「だから梨」
「それは食材だ。料理はどうなんだ?」
「あたしラザニア好きよ」
 調理の面倒そうな料理だと思った。エグラドは風土上かあまり調理にこだわらないため、料理のレシピは簡単なものが多い。一般階級の食卓に並ぶものなど、総合調理時間が十分を超えない料理だってザラにある。
「牛乳が高騰してる。ラザニアに使われるベシャメルソースの原料は牛乳だ。食するのは難しいだろうな」
 そうでなくとも近頃は食料難だ。イヴやオズワルドも、少しばかりの収入が出たため、こうして暢気に昼食をとっているが、気を抜けばすぐに残金が尽きるのは明らかだった。
「酷い話」
「世知辛い世の中なんだ。しかたないさ」
「やあね、誰かしら意地悪してるひとは」
「さあな」
「牛乳配達のひとかしら」
「かもな」
 イヴは残りのサンドイッチを全部咀嚼した。いろんな味が混ぜこぜになった、微妙な風味が舌を掻き抱いた。




×/
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -