無謀なロマン(1/5)




 マイクがイヴを見つけたのは、哀王の根城から少し歩いた地点だった。イヴは初め、薄らぼんやりとした様子でマイクを迎えたが、オズワルドの姿が見えないのを不思議に思い、「まだ哀王のところか?」とマイクに呟いた。
 マイクは「みたい」と答えながら、特殊磁石をスティグマに近い位置のポケットに入れる。
 まさかまた喧嘩沙汰にでもなっているんじゃ、という思考がイヴの頭をよぎったが、冷静に考えて、小道具のレクチャーが終わっていないのだと結論づけた。それ以外の理由で哀王がオズワルドを拘束する意味を、イヴは知らなかった。
「……そういえば、」ふと、イヴは口を開く。「お前は黄金の林檎における羅針盤を、使おうとは思わなかったんだな」
 イヴの呟きに、マイクは「黄金の林檎を探して、不老不死を目指すってこと?」と尋ね返す。
「いくら伝説的事象だとはいえ、羅針盤が出に入ったんだ。黄金の林檎を手にして、不老不死になる。非現実的だが、ロマンがあっていい。ところがお前は、売っ払おうとするんだな」
「そうだね。冒険するのは楽しそうだけど、不老不死には興味ないから」マイクは続ける。「だって、俺、もう一種の不死身じゃん」
 自惚れた発言だと、イヴはマイクのほうを見た。しかし、彼の目は真剣そのものだったから、イヴは茶化すことができなかった。
「おにいさんは、死を感じたことはある?」
 マイクの問いかけに、イヴは沈黙した。それは否定の閉口だった。事実、自分の死を感じたことは一度もない。アンプロワイエに捕まったときでさえ、考えていたことは同志の裏切りと、そして、どうやって己がこの状況から抜けだすかの二つだった。
「俺はあるよ。一度目は首を刎ねられたとき。二度目はダストシュートに落ちるとき」
 その一度目は、身も擦り切れるような恐怖が、マイクの胸を占めた。これから訪れるであろう痛みと、生命の危機に瀕した嘆き。どれだけ喚こうと、自分の首を狩る刃からは逃れられなかった。
 二度目は、絶望的な状況から逃れるための、自死の覚悟。あるのは、なんでもいいから解放されたいという、その一心だけだった。
「おにいさんは、死ぬつもりなんて微塵もなかったんだろうけど、俺は違う。俺たちは違う」マイクはイヴの目を見て続ける。「俺たちは、死ぬために、あのダストシュートに落ちたんだよ」
 首を刎ねても生き永らえる可笑しな現象に、とあるアンプロワイエが目をつけたのだ。殺しても死なない仕組みを研究しようと、マイクをマウスやモルモットのように扱った。その非人道的な歳月のうち、マイクは心を病み、死ぬことで己を活かそうとした。その覚悟には壮絶なものがある。
 マイクだけじゃない。哀王やジャンヌ、オズワルドだって、そうなのだ。彼らは死を選び、死を感じ、ここまで落ちてきたのだ。
「でも生きてる」マイクは己の心臓のあたりを撫でた。「死んでしまうと思ったのに、俺は生きていた。死んでやろうと思ったのに、俺は生きていたんだ。俺が死ぬならあそこだった。それを乗り越えたんだから、もう、俺はきっと、この先も死ぬことはないよ、たぶんね」
 イヴはマイクをじっと見つめる。青い、と思っていた。あどけない増長と、相反する達観。輝かしい瞳の熱量は凄まじく、前だけしか見つめていない。いっそ狂気さえ感じるほどだ。
「首を落とした鶏は二年で死ぬ。お前も精々そうならないように気をつけることだな」
「なにさ。俺を死で脅そうったって、立ってる土俵が違うんだけど」
「脅してない。お前が首を落とされたなら、俺は首を突っこみすぎたんだ。おかげで、ヘルヘイム収容所に収監されることになった。突き進みすぎるのは悪癖だと学んだ」
 マイクは「なにそれ」と人好きのする笑みを浮かべた。
 やはり、マイクにはイヴがわからなかった。けれど、もし、目の前に立っていたのが、ある日のイヴであったなら、二人は、いい仲間だったはずだ。懐かしさやもどかしさに、イヴも思わず苦笑する。
 しばらくして、オズワルドが二人に追いつく。相変わらずなにも考えていなさそうな、暢気な笑みを浮かべて。





 地下鉄での一時間は苦痛だった。雨の滴る傘を持ち歩く人々が地べたを濃く濡らしたせいで、オズワルドは何度か転びそうになった。加えて、冷えた風抜けのある閉鎖空間は、濡れた体には酷そのものなのだ。地下鉄から地上路線に乗り換え、機関列車のプラットホームに着いたころには、すっかり気怠い様子でオズワルドは「お腹すいた。疲れた」と唸っていた。
「あの列車に乗る。我慢しろ」
 イヴは乗りこむ予定の蒸気機関車を指差す。その列車の赤塗りされたボディーを見た途端、オズワルドはさらにその顔を顰める。
「あたし、赤いのって嫌いよ」
「これを逃すと次は二十分後だ」
「あたしたちの二十分くらいくれてあげましょうよ」
「その二十分が命取りになる可能性だってあるぞ」イヴはちらりと石炭庫の後ろの一両目のほうを見遣る。「あれを見ろ」
 一両目のホームに、なにやら不審な動きをする人物がいた。六人ほどだ。全員が革製のレザーマスクで顔半分を覆っている。頭には真っ黒いハットを被り、独特な金具があちらこちらにあしらわれた外套を着ていた。なにやら写真のようなものを持っていて、腕時計型のコンパスをちらちらと確認しながら視線を泳がせている。
「オールドビルの制服……」いや、とマイクは焦る。「コンパスを持ってる。まさか、オールドビルに扮した、アンプロワイエ!?」
「どうだろうな。ノドロン行きの特急だ。タワーブリッジや大聖堂見たさの観光客かもしれないぞ」
「あれがもし観光客なら、俺の取り分の全部をおにいさんにくれてやってもいい!」
 マイクは極限まで声を殺して言った。ハードを目深に被り、イヴを盾にするようにしてその背後に回る。厳かに呟いた。
「ペーターが吐いたのか」
「かもしれないな。運悪く取っ捕まって、協力者を追及された、といったところだろう」
 イヴの目から見ても、先の連中がアンプロワイエかどうかは判断の難しかったが、本当にアンプロワイエなのだとしたら、こうして突っ立っているだけで悪手だった。
 あの様子だと、まだマイクを見つけられていない。機関車に乗りこむか迷っているようにもイヴは見えた。このまま無防備にホームにいて、見つかる確率を上げるよりは、さっさと乗りこんでしまったほうが精神的にも安心できる。そう踏んで、イヴは「とにかく先を急ごう」と告げた。
「だけど、おにいさん。あいつらも車両に乗りこんできたらどうするの? 線路の上じゃ、逃げ場がない」
「考えがある」イヴの返答は早かった。「マイク、悪いが荷物になってくれ」
 マイクの返答は遅かった。たっぷり溜めてから「は?」と訝しげに首を傾げる。




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