死刑囚のスティグマ(1/4)




「彼女の正体は?」
「黄色いスカートを持つ花」
 合言葉での確認が済んだのか、哀王はドアを開けてその男たちを迎え入れた。男たちは大きな荷物を持っていて、その中からは火薬の匂いがする。哀王はそれを念入りにチェックする。しばらくして、馬鹿高い金を哀王が支払っているのを、イヴは見た。
「あれが、哀王の持つ“独自のルート”か」
 哀王の贔屓している闇ルートの一つである『黒い目のスーザン』は、主に武器や薬品なんかを扱う売買ルートだった、その特異性から客と商人の間では合言葉が取り決められていて、顧客情報なんかも厳重に保管されてある。イヴに授けたバタフライナイフや、オズワルドに与えたエアライフルも、このルートで確保したものだと、イヴは聞いていた。
 哀王の動向を見るかぎり、『黒い目のスーザン』へのアクセスはそう難しくもなく、今後は自ら利用することも不可能ではないと、イヴは考える。ただ、イヴにとって、弾の値段が相場よりも高いのが気がかりだった。いまはまだ哀王に貰った分、残弾に余裕はあるが、もしも尽きてしまったら。いや、そもそも、エアライフルを使うことが、そうそうあってたまるか。哀王の取引を遠目に見ながら、イヴは静かに思った。
 イヴとオズワルド、そしてマイクは、現在、“亜終点”の哀王の塒にいる。ドア先では哀王が取引をしていて、三人はとうに部屋に通してもらっている状態だ。
 そろそろ闇商人が来るから、哀王に取り次ぐのは少し時間がかかる。それまで部屋で待っていろ。そう三人に対応したのは、“ジャンヌ・ダルク”という男だった。
 彼は、ダストシュートから“亜終点”に来た、イヴたちと同じ脱獄囚である。哀王株式会社結成時からの住居人で、哀王の言った“収容所から逃げてきた一人”というのは彼ことだった。
 口元に浮かべる笑みの柔らかい、年齢不詳の不可思議な人間。イヴの目からしても、卓抜した稀代の技術者であることは見てとれる。エアライフルや水道整備などのライフライン、その他諸々の機械のメンテを、たった一人で担当している。その手腕に只者ではないなとイヴは思ったが、只者ではないから収容所に収容されたのだろうと、すぐに納得した。本人曰くだが、解析機関にも手を出せるらしく、いかにも哀王が重宝しそうな逸材だった。
 さて。レストランの女子トイレから引きずり出されてからというもの、珍しく不機嫌な態度をする淡々としたオズワルドを、イヴは見遣る。
 オズワルドにしてはらしくもない、辟易とした表情だった。それもそのはず、待たされた部屋の中でうろちょろとオズワルドが徘徊するのを、まるで刷りこみをされたヒヨコのように、マイクはついて回っていた。
「すごいや、稀なほどに黒い髪! まるで伝説の一族そのものだ! ねえ、君。そんなにも淑やかな様子で、どんなふうに俺を食べるの?」
 マイクの発言に、本気でうんざりしたような殊珍しい顔を、オズワルドはした。この娘にそんな味のある表情を引き出すとはなかなかの強者だ、とイヴは感心した。
 マイクはオズワルドにご執心だった。なにを気に入ったのか、珍妙な甘味加減の口説き文句をさきほどから吐いている。オズワルドの持つ漆黒の髪と、その黒さが惹きたつような透き通った顔立ちに、興味を持ったのかもしれない。マイクは星屑が散らんばかりに目を輝かせ、爆発するほどの熱量でオズワルドを射抜いていた。
 そんなマイクに、オズワルドは手を焼いていた。どれだけあしらっても、マイクは後ろをくっついて回るのだ。男女の身長差からくる脚の長さにより、文字通りオズワルドがどう足掻こうと、マイクのほうが歩くのは早い。加えて、ここは室内で、オズワルドがマイクから逃れるすべはなかった。
「ねえ、イヴ、あたし困ってるわ」
「大変だな」
 他の考えごとをしていたイヴは、オズワルドからしてみればそっけない返答を、彼女にした。オズワルドは少しだけむっとする。
「本当に、困っているのよ」
「可哀想にな」
「適当な返事をしないで」
「ごめん」
 謝ろうと、イヴの態度はそっけない。ただ二人の様子を傍観しているだけだった。
 オズワルドはぴたりと徘徊するのをやめて、イヴを見つめる。すると、オズワルドの後ろでマイクもぴたりと止まった。言いよってくるくせに触れようとしない様子は、かまってほしいだけの仔犬のようだ。にこにこと人懐っこい笑みを浮かべるマイクに、オズワルドは数歩だけ後ずさった。
「イヴ、本当よ、貴方のナマコがピンチなのよ」
「俺は棘皮動物を飼った覚えはない」
「ペットじゃないわ、あたし」
「お前のことを指すなら、それは仲間だ」
「とにかくピンチよ」オズワルドは拗ねたように両腕を組む。「賢いイヴなら、なんとかできると思うの」
 ちょうど、さっきまでの考え事がひと段落ついたところだったので、イヴはなんとかしてやることにした。座ったまま、マイクに向き直る。
「マイク。お前の感性で愛の詩を読むのは百年早い。いくら財宝を求める才能がお前にあろうと、神は二物を与えないんだ」
「違うよ、愛じゃない、運命だ。幸運と言ってもいい。おにいさんにはわからないの? 彼女がどれほど見事な存在なのか」
 俺の幸運の女神だ、などと抜かされては堪ったものではないので、イヴは強制的に、話の腰を折ることにした。
「マイク。お前の首周りの傷、いったいなんだ?」
 すると、マイクはこれまでとは打って変わった表情で、腕を組みながら言った。
「言う気ないよ」
 思い悩むことも驚くこともなく、きっぱりと告げたマイク。イヴは楽しげに口角を上げた。
 そのとき、ちょうど哀王が戻ってきたようで、部屋のドアが開いた。イヴが意識を引いたことから、やっとマイクから抜けだせると踏んだオズワルドは、椅子に飛び乗る。しかし、飛び乗った勢いで、オズワルドの座った椅子のキャスターはころころと転がり、入ってきたばかりの哀王の目の前で止まった。哀王は嫌そうな顔をして数秒固まる。その表情を見てもいないように挨拶をするオズワルドを、迷惑げに椅子ごと押し返した。
 そんな二人をよそに、イヴはマイクに告げる。
「俺はお前の、凡人に見せかけて肝が座っているところを、それなりに気に入っている」
「ありがとう。でも、俺、おにいさんに釣られる気はないよ。おにいさんの甘い言葉には裏があるって、もう知ってるし」
 裏ルートの手配における多大なる出費を根に持っていることは明白だった。イヴは片眉を吊り上げるだけにとどめる。煽られたと感じたのか、マイクはかえって、眉を顰めた。
「なにも裏なんてない。ただ、確かめたかっただけだ」そんな言葉よりも確信を持って、イヴは言う。「思い出したんだ。“首なし鶏のマイク”……お前はあの、伝説のマイクか」
 今度はなにも答えなかった。それをいいことに、イヴはさっきまでの考えごとを口遊むように続ける。
「俺だってにわかに信じがたいよ。お前のことはただの“マイク”だと思っていた。だが、お前がオズワルドに名乗った“首なし鶏のマイク”……あれが本当だとすると、話は変わってくる」イヴはマイクから哀王へと視線を移した。「哀王、首なし鶏のマイク伝説を知っているか?」
 イヴは哀王に問いかける。もちろん、彼なら知っているだろうと、確信していた。
「“五十億もの価値を盗んだ男”、だろう」
「その通り」イヴは続ける。「五十億もの価値……お前の言葉で言うなら財宝かな? 数にしろ値にしろ、これは相当だ。それを“エグラドから盗んだ”として、ヘルヘイム収容所に収監された」
 マイクが緊張気味に唾を飲みこんだのを、イヴは見逃さなかった。決して不出来というわけではない彼の詰めの甘さが招いた、答えに限りなく近いアクションだった。
 オズワルドは一人だけ、不可解そうな表情をしている。途中参加の哀王も理解しているのに、オズワルドだけが取り残されていて、手持ち無沙汰に髪を弄っていた。
「そして、“首なし鶏のマイク”は死刑になった」
 しかし、イヴのその言葉に、オズワルドは耳を傾けざるを得なくなった。
 弄っていた髪は溶け落ちるように、指の間をすり抜ける。オズワルドはマイクを見た。正確にはマイクの首元を、だった。
 彼の首には、まるで刎ねられたかのような傷跡が、ぐるりと赤黒く這い廻っている。抜い傷も重ねられてあるのは間違いない。まるでなどではなく、彼の首は一度落とされ、そして、もう一度繋がれた。




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