首なし鶏(5/5)




「俺の知り合いに、贔屓にしている闇ルートを持つ男がいるんだ。そいつに任せれば、上手いこと売ってくれるはずだ」
 マイクの目が輝くのが見えた。イヴは紳士的な態度を崩さずに、にっこりと笑って言う。
「ただし条件がある」
「条件?」
 そこでマイクの眉間に皺が寄る。落ち着き払った口調でイヴは続ける。
「売り払って得た金額の半分を、俺に寄越せ」
「はあ!?」
 マイクは目を見開いて驚愕した。彼の声でグラスの中のジンジャーエールが揺らぐ。
 いたいけな年下の青少年を相手に、こんな取引をも持ちかけるイヴの性根は、やはり少々よろしくはなかった。それもそのはず、イヴもオズワルドも今のところ文なしで、今日の寝床にすら困っている有様だ。こんなタイミングで思わぬ拾い物をしたのだ、少しくらい齧ってもかまわない。それがイヴの建前である。イヴはあくまでも淡々とした声で、畳みかけるように言った。
「紹介料と手数料だ。代わりに、今日中に紹介しよう。あっちの都合によるかもしれないが、上手くいけば夜までには換金できるはずだ」
「待ってくれ。そんなのはないや。いくらなんでもおにいさんの取り分が多すぎる。そんな条件は飲めないよ」
「そう言うと思った」イヴは柔らかく苦笑した。「なら、マイク、取引ならどうだ?」
 イヴは、テーブルにある容器から、角砂糖を一つ取り出した。それを自分の紅茶の目の前に置き、マイクに囁きかける。
「君が俺たちの荷物を盗んだという事実を、君と君の相棒の名前ごと、警察に売る」
「なっ!」
「それが嫌ならさっきの条件を呑んでもらう。さあ、どっちがいい?」
 イヴはほくそ笑むでもなく、黙ってマイクを見つめている。
 マイクの眉はわなわなと震える。十八かそこらの若者に、イヴの選択は酷だったが、警察に売られることだけは避けたかった。そこからアンプロワイエに繋がって、また“あそこへ逆戻り”してしまう。これは可能性ではなく、確実な未来だ。マイクは無意識のうちに怯えの表情を滲ませる。
「……もし、おにいさんが俺をオールドビルに売るんなら、俺だっておにいさんを売る」
 マイクの切り返しに、イヴは「ほう」と首を傾く。
「おにいさんも俺と同じ脱獄囚なんだろ? だったら、おにいさんだって売られるのは困るんじゃないの?」
 まあ、そう来るだろう、とイヴは思っていた。
 しかし、マイクが思うほど、イヴは警察に売られることに怯えてはいない。仕込み済みの指名手配写真とは明らかに違う顔のイヴに、門前払いを食らうのが関の山だ。けれど、そんなことをくどくど説明しているのも面倒なので、イヴは穏やかな声で「困らない。好きにしろ」とマイクに返した。
 マイクは息を呑んだが、すぐに「ハッタリだと思ってる?」と言葉を重ねる。イヴは「まさか」と紅茶を啜った。
「言葉のとおり、困らないだけだ。好きにしていい。むしろ、お前のその返答は、警察に売ってもいい、という意味でかまわないか?」
 マイクは拳を握りしめる。それっきりだった。数秒後、諦めたようにため息をついて「わかったよ」と顔を上げる。
「稼ぎの半分をおにいさんに渡す……だから、俺のことは売らないでくれ」
「よかった。どうぞ売るなり焼くなり好きにしろと言われたらどうしようかと思っていたところだ」
 控えめに「焼かれるのは嫌だね」と言うマイクに、見せつけるように角砂糖をティーカップへと落とす。紅茶をぽちゃんと跳ねさせて、それは簡単に沈んでいった。
「交渉成立だな」
 イヴが紅茶を一口飲むと、最初の一口よりも甘ったるい味が咥内に広がった。カップから口を離して皿に戻すと、マイクがそわそわとしているのが気になった。イヴは「どうしたんだ?」と彼に尋ねた。
「そういえば、あの子は今どこに?」
 あの子。よく考えてみると、イヴにも思い当たる節はあった。
「それは、オズワルドのことか?」
 これまでおとなしかったテーブルの下の塊が、びくっと揺れるのをイヴは感じた。イヴの言葉に、マイクはぱっと表情を軽くする。
「オズワルドっていうんだ?」
「ああ」
 イヴはマイクの目をよく見てみる。
 期待と興奮の入り混じった、純朴な、けれどどこか痛烈な眼差し。ヘーゼル色の温かな虹彩は、爛漫な光を放っていた。
「あの子も、おにいさんや俺と同じなの?」
「ああ」イヴは続ける。「オズワルドが気になる?」
「当たり前じゃん!」
 当たり前らしい。
「あの真っ黒な目と真っ黒な髪。見事だよ。初めて見た。これは運命の出会いだと思う」
 運命の出会いらしい。
 オズワルドも運命という言葉を口にしたことはあったし、意外と気は合いそうだとイヴは勝手に思った。
 だが、そんなに惹かれるものだろうか、ともイヴは思う。イヴのブルネットよりもいっそう黒い髪に、同じく黒い瞳。エキゾチックで目は引くが、エグラドの曇り空にはあまり映えない。可憐と呼ぶにはちょうどいいが、一目で気に入るような絶世の見た目などでは決してなかった。オズワルドのどこにそこまで惹かれているのか、もしや先の尋問が原因ではあるまいな、とイヴは不埒な勘繰りをする。
「おにいさんの仲間?」
「ああ。一緒に行動を共にしている」
「じゃあ、あの子は今どこに?」
 また、テーブルの下の塊が、そろっと揺れたのをイヴは感じた。けれど、今度はその揺れはおさまることなく、ゆったりと移動している。イヴがそれとなく足元を確認してみると、オズワルドは、マイクにとってのテーブルによる死角を選ぶように、緩慢な動きでテーブルから這い出ていた。持っていた梨のジュースを、音を立てないようにして、椅子の側面に置いた。逃げるつもりなのだとイヴは悟った。
「……今はここにはいない」
「いない?」
「ああ」
 イヴは暈した言いかたをしながら、それとなく気配を追う。そろそろと移動するオズワルドは隠れる場所を探していた。対面の窓硝子に映ったオズワルドをイヴが目で追っていると、女子トイレに隠れこもうとするのが見える。
 イヴは少し考えたあと、マイクの肩を持つことにした。
「このレストランのトイレだ」
 確認せずとも、オズワルドが裏切り者を見るような目を自分に向けたのを、イヴは察していた。
 マイクは「トイレ……」とぶつぶつ呟きながら席を立つ。そのことにイヴは驚いて、しかし、事の成り行きを見守ることにした。
 オズワルドはもう足音など気にせずにトイレへと駆けこんだ。ドアをバタンと閉める音が店内に響いて、それにマイクは視線を移す。もちろん、視線の先は女子トイレだった。マイクはたしかな足取りで女子トイレへと向かい、探るようにノックをする。
 その行動に、さしものイヴも驚いたが、トイレの中で焦っているであろうオズワルドを想像すると、自然と笑みがこぼれた。紅茶を舌で味わいながら、イヴは二人の様子を観察する。マイクは迷いなく女子トイレのドアノブを捻った。
「ぐぇ」
 女子トイレのドアに凭れかかっていたオズワルドが、背凭れを失くした反動による悲鳴を上げる。
 体勢を崩したオズワルドを抱えこむように、マイクはその華奢な肩に触れた。
 オズワルドはびっくりして即座に身を離す。距離を取り、自分を支えてくれた人間を見た途端、心底困ったような、且つ嫌そうな表情をした。しかし、マイクはそれに心を折るでもなく、むしろ、やっと会えたと喜ぶお伽話の王子様のように、人好きのする笑顔をオズワルドに晒した。
「さっきぶりだね、君」
 マイクはトイレの壁に手をついて、ぐいっとオズワルドに顔を近づけた。引け腰になったオズワルドの顔を覗きこむように見る。そのことにオズワルドは「ヒィ」と悲鳴を上げたが、マイクの瞳は爛漫としたままだった。
「俺は“首なし鶏のマイク”っていうんだ、マイクって呼んでくれ」




/×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -