首なし鶏(3/5)




 イヴの視線の先を見て、オズワルドも嫌そうに彼の首元を覗きこむ。痛そう、とだけ呟いた。
 イヴは思案する。さすがに、オズワルドが踏んだときの傷と考えるには、時間が経ちすぎている痕だ。もう血も固まってるし、それなりに前のものである。けれど、その不可解な傷は、イヴのなかに一つの確信を与えた。
「……オズワルド、運ぶぞ」
「なにを?」
「この男を」
「え、なんで?」
「気絶させたんだ。目が覚めるまで傍にいてやったらどうだ」
「嫌よ」オズワルドは首を振った。「それに運ぶったってどこに運ぶの?」
「そこのレストランでいいだろう。ちょうどお腹もすいていたところだしな」
 イヴの言葉に、オズワルドは言葉を詰まらせた。オズワルドもお腹がすいていたのだ。彼の提案は少し魅力的に思えた。
 イヴはダレスバッグをオズワルドに押しつけて、未だ白目を剥いたままの彼の体を担ぎ上げた。思ったよりも少し重かったが、レストランまでの距離が苦に感じるほどでもない。イヴは歩き出す。
「運んでどうするつもりなの?」
「話を聞く」
「なんの話を?」
「興味深い話だ」
「ふうん……」
 オズワルドは納得のいかない顔色をしていたが、イヴが苦笑混じりに「梨のジェラートでもなんでも食べればいいから」と言うと、ぱっと表情を明るくした。





 結局のところ、梨のジェラートはなかった。けれど、梨のジュースはあったので、それでいいとオズワルドは手を打った。イヴも安い紅茶を頼んで、テーブルの対面に座らせた彼を見遣る。
 白目の状態から瞼を被せ、なんとか寝ている状態にまでは持ってこれた。テーブルに頭を突っ伏したままなので、側から見れば不気味には見える。パーカーの上から着たベストのフロント金具が、テーブルの角にめりこんで寝苦しそうだ。癖のあるダークヘアはピンクブラウンに染めているのか、レストランの照明に透けて、妙に色を持っていた。背格好はやはりハイティーンほど、イヴとオズワルドの間くらいの年齢。年下の彼女にいいようにされるのはどんな気分だっただろうと思うと、イヴは自然と眉が目から上がった。
「にしても、話ってなんなの」
「聞けばわかるさ」
「そんなに大事な話?」
「少なくとも、悪いようにはならないだろうな」
 オズワルドはイヴの隣に座り、梨のジュースをちゅうちゅうとストローで吸う。まだ警戒したように、気を失った目の前の彼を見ていた。どうしてそうも警戒するのだろうとイヴは思った。むしろ警戒するのは目の前の彼のほうだ。先刻前のオズワルドの行動を思い起こせば、徹頭徹尾、自業自得である。イヴは呆れたような気持ちで、オズワルドを見る。
 そのとき、気を失った彼がもぞりと動いた。
 それに反応し、オズワルドもびくっと動く。
 彼が動いて起き抜けのような唸り声を上げるたびに、オズワルドはそろそろとテーブルの下へ沈んでいった。そんな逃げかたをしていくうちに、彼は完全に意識を取り戻す。彼がイヴへと視線を上げたのと、オズワルドが完全にテーブルの下へと息を潜めたのは、ほぼ同時のことだった。
 イヴはとりあえず「おはよう」と挨拶をする。
 気を取り戻した彼は、明らかにイヴを警戒していた。そりゃあ、物取りの犯人をこんなところまで連れてきた人間に、警戒しない馬鹿はいない。彼は状況確認をし、ここがレストランだとわかると、またゆっくりとイヴを見た。
「気絶したから放っておけなかっただけだ。別に君をどうこうしようというつもりはない」
 イヴがそう言うと、少しだけ彼の警戒は解けた。まだティーンを抜けきらないあどけなさと、妙な落ち着きのある表情。
「にしても、どうして俺たちの荷物を盗んだりなんかしたんだ?」
「お金がなかったから、かな」イヴの問いかけに彼は返す。「まさかあんなふうに追いつめられるなんて思ってもみなかったけど」
「俺たちも金がないんだ。今日どうやって一夜明かせるか算段をしていたくらいだからな」
「なるほど。だから、鞄のほうは軽かったのか。だけど、ケースのほうはけっこう重かった。なにが入ってたの?」
 ガンケースにはエアライフルが入っていたが、こんなところで言う代物でもない。イヴは少し考えるそぶりをして、「秘密」と口元に人差し指を遣った。その仕種を見た彼は、ちょっと呆れたような顔をした。呆れた、というよりも、わかった、と勘づいたような顔だ。
「おにいさんって、どこかのお坊ちゃん?」
「何故そう思う?」
「秘密があるって言えるような余裕のある人間は育ちがいいって相場が決まってるの」
 テーブルに肘をついて顎を乗せながら笑う。人好きのしそうな顔がおかしそうに笑う様は、見ていてもずいぶんと爽やかだった。
 イヴは別に育ちがいいわけではない。一般家庭よりも少し貧しい家に生まれたくらいだ。けれど、甘ったるい目尻や癖のない笑いかたが、それを表に出さないのだ。イヴには過去何度か似たようなことを言われた経験があるので、別段驚きはしなかった。
 しかし、少なからず警戒している相手に対し、こうも臆さずに自然体でいられる彼の気骨には感心した。イヴはこのタイプの人間が嫌いではない。
「君との雑談も楽しそうだが、」イヴはテーブル上で両手を組んだ。「いい加減、本題に入ろう」
 彼は座りこんだソファーに背凭れて、伸びをするような姿勢を取る。
「本題なんかあったの?」
「だから連れてきた」
「介抱と解放、してくれるわけじゃなかったってことか」彼は左手を伸ばし、声を上げる。「ジンジャーエール一杯」
 遠くで「かしこまりましたー」という声が聞こえるのを耳にしながら、イヴは「君が払えよ」と囁いた。
「で……本題って?」
「俺は君をなんて呼べばいい?」
「は?」
 彼はきょとんとしていたが、それから数秒後「“マイク”」と呟いた。イヴは口角を上げる。やっぱり、と。
「マイク、か。なるほどな」
「なにが?」
「マイク……君は、ヘルヘイム収容所の脱獄囚だな?」
 その言葉を突きつけられて驚いたのは、マイクだけではなかった。テーブルの下で息を潜めていたオズワルドも反応したのを、布地同士が擦れたズボンの感触からイヴに伝わってくる。マイクは目を見開かせて、緊張気味に口を噤む。どうして、と目が訴えていた。
「名前の発音だ」イヴは理由を説明してやる。「“ペーター”といい“マイク”といい、ヘルヘイム収容所でつけられるコードネームの発音だ。コードネームは基本的に生活で使う名前とは別の発音を用いる。耳が知っていればサルだって気づく」
 ウエイターが、頼んだジンジャーエールを、テーブルに置いて去っていく。テーブルの下に潜りこんでいるオズワルドを見たウエイターは、一瞬驚き、顔を顰めたが、マイクがそれに気づくことはなかった。
 マイクの頭はいっぱいいっぱいだった。それがありありと伝わってくる表情に、素直に育ってきたであろう彼の性質が伺えた。
「おにいさん、言ってたもんね。“死神との逢瀬への直行便”……その噂話は、ヘルヘイム収容所にいる人間しか知らないはず。何者? アンプロワイエにしては、脱獄囚に親切だけど」
 警戒しなくてもいい、という意味をこめて、イヴはあえて笑みを浮かべた。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -