05


 マイク越しの口虚の声は、腹に響くように吸収され、鼓膜を甲高く揺さ振りながら脳全体を支配する。いつかのときとまるで変わらない。駄々っ子みたいな妄言を、これでもかと言うほど懸命に叫ぶ。
「私を信じてくれ! みんなは頭がおかしいんだ! 気でも違えたみたいに……正気じゃないんだ!」
 身振り手振り、口虚は訴える。
 全校生徒は震撼し。
 呆れたような。
 哀れむような。
 でも、白々しいほどにまで、嫌悪しきった眼差しを、奴に向けている。
 阿久津先生も目を剥いていた。
 足水はギリリと歯を食いしばっている。
 住人は半分呆然としたままだったが、でもその顔は紛れも無く、奴を責め立てている表情だ。
 この場にいる全員が、目の前の《可哀相》な《嘘つき》――口虚絵空の敵だった。
「やめなさい!」
「うるさい! なんでみんな気づかないの!? 頭おかしいの!? そうだよおかしいんだよ! みんなみんなおかしいんだッ!」
 肩を掴む校長の手を乱雑に払い、取り乱しでもするかのように叫び続ける。キンキンとマイクはノイズを産み、鋭い刺となって空気を縛り付けた。身動きが取れない。何も出来ない。ただ嫌忌し果てた視線が、死線のように口虚の周りを描いていた。
 俺は、ただ、奴の姿を見つめている。
 いつもの愉快げな笑みも、踊るような身のこなしも、超然とした態度もかなぐり捨てて、足掻くようにもがいている、奴の姿を。
 マグマみたいに熱い何かが、心臓に纏わり付いている。それは俺の心を剥ぐように傷付けて、その切なる痛みに俺は胸を掴んだ。すると、そこは更に痛みを増して。どうしていいか、わからない。
「いい加減にしてよ!」
 口虚の悲哀げなそれとは違う、怒気の含まれた女の声が、空気を震撼させた。足水だった。
 口虚がそうしたように、足水もまた乱暴に乱雑に階段を駆け登っていく。ダンダンダンッと強く打ち鳴らすそれは、あからさまな憤怒を示していて、壇上にあがったときの足水の目はナイフで切り上げたみたいな剣幕だった。そのあとに続いて教師たちが壇上へと駆け上がっていった。口虚や足水のとは比べものにならない、重量と迫力を感じさせる足音。地鳴りを産んで、その反響が反響する頃には、教師たちは口虚を取り囲むように渦を巻いている。
「またそんな意味のわかんないことばっか言って!」
「わからないのは君の頭がおかしいからだよ!」
「またそれ!? そんなことしてまで構ってほしいの!? いい加減にしてよッ!」
 足水はその真っ直ぐな腕を振り上げて、口虚の頬を目掛けて殴りかかった。鈍い音が響いたあと、口虚の身体はぐらりと横に振られる。マイクはその軟い手から離れた。ギウィィンッと落下音がマイクに入り、スピーカーから歪な音が流れた。全員が耳を塞ぐ。マイクはそのまま床にコロコロと転がり、足水の足元で止まった。
 足水は顔を真っ赤にしている。マイクに気付かず踏み潰してしまいそうなくらいだ。
 口虚は俯いたまま、髪を乱したまま、殴られた頬を摩っている。あの端正な顔立ちには、今頃悲惨な痕がついているだろう。俺はギュッと拳を握りしめた。
 口虚。
 お前。
 一体何やってんだよ。
 わかってるのか。
 俺が委員長やめたら、もう、お前本当に一人ぼっちなんだぞ。
 もうお前の傍にいて、ギリギリの手加減をしてやれる奴なんて、いないんだぞ。
 もうお前を庇う必要なんて、俺にはなくなるんだぞ。
 お前は一人で。
 本当の本当に独りで。
 なのに、こんなことやって。
 何が《救世主》だ。
 これじゃ、お前。
 《泣世主》じゃないか。
 もう、本当――嫌になる。
 先生が口虚に近づいていく。その華奢な肩や腕を掴んだ。口虚は抵抗を見せるが、そんなものは数人の大人の前では無意味だ。無意味で、無理で無茶で無駄なことだ。
「…………なんでぇ……」
 か細く。
 か弱く。
 潤みを含んだ声で、口虚は呟いた。
 足水は眉を寄せる。
「なんで………なんでなんで……なんでぇ……っ? なんで、みんな、信じてくれないのぉ……っ? なんでなの……君達は、本当に……おかしいのに……!」
 顔を上げたとき、口虚は泣きそうな表情をしていた。目は潤んで、顔はぐしゃぐしゃで、悲哀な滴が溢れ出るのを必死に堪えている。その表情は不安定そのもの、常軌を逸していて死にそうだった。可哀相なくらい弱々しい姿で、思わず抱きしめて大丈夫だ≠ニ言いたくなるくらいだ。口虚へと土砂降る絶望は止む兆しを見せないし、情況を打開出来るような種も見出せそうにない。動きを封じられ、なにも出来ない奴は、それでも懸命に強く叫ぶ。
「お父さんもお母さんも死んでないのに! みんな勝手ばっかして花葬までして! どうかしてる! どうかしてるよ! 私の話を聞いてよ!」
「黙れ口虚! 今まで何も言わなかったが、図に乗るな!」
 どろどろどろどろ。
 ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。
 俺は吐き気に襲われる。
 今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。こんな気色の悪い空間なんてない。地獄絵図よりも地獄絵図で、嫌悪と憤怒が鋭利に枝葉を伸ばしていく、永遠の樹海みたいだった。嫌な空気が全面を覆って。必死に足掻く口虚は、羽をもがれた妖精のようだ。教師たちも足水も、鬼みたいな顔をしている。どっちが悪者か、わかりゃしない。みんながみんな、どす黒く塗れていた。



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