ブリキの心臓 | ナノ

1


「私、真っ白いワンピースには興味ないの。それよりも、花柄のドレスや青いスカートが欲しいわ」
 カナリアイエローの大きなドレッサーを開けながら、アイジーは不貞腐れたようにそう言った。
 アイジーは五歳になり、子供にしては豊かすぎる自我も芽生え、身だしなみの趣味も顕著になってきた。母親のイズはアイジーに白い服ばかりを着せたがるが、アイジーは白いものをあまり好んではいなかった。シンプルでお洒落っ気のない真っ白なワンピースよりは、燃えるように赤いティアードスカートや、ワイルド・ストロベリーの華奢なパターンのフレアスカートドレスが好きだ。子供らしく色味や模様の強いものに心引かれていた。イズの気持ちも知らないアイジーはイズの意思とは真逆の趣向を見せる。
 下着姿で憤慨するアイジーを呆れたようにエイーゼは見ていた。アイジーの部屋のベッドに腰掛けて、ドレッサーからぽいぽいと服を取り出すアイジーに返事をする。
「お母様はお前に白が似合うとお考えなのだろう」
「あら、だったら貴方も白が似合うはずよ。私にばかり白を押し付けるのは変だわ!」
 ぷんっと頬を膨らませる双子の妹にエイーゼは溜息をつく。
 白を強制されるアイジーと違い、エイーゼはいつも黒を勧められていた。アイジーほど強いられることはなかったが、いつも似合ってると褒められるのは黒だったのだ。しかし、そのほとんどがアイジーからの言葉だと言うのを、エイーゼは知っている。自分で黒を勧めておいて、こうも責められるのは、なにかがおかしい気がした。
「ねえエイーゼ。どのお洋服がいいと思う?」
「知るか」
 ぶっきらぼうに答えるエイーゼに、アイジーは「ひどいわ!」と詰め寄った。
「妹がこぉーんなに困ってるのよ? 手伝うのが兄ってものじゃないの?」
「どこかへ出掛けるでもなし、そんなに迷わなくたっていいだろう」
「あら、女の子はいつだって可愛くいたいものだわ」
「だったらまず髪を梳かせ」
 ぼさぼさの髪を指摘した途端、アイジーは「忘れていたわ!」とばたばた櫛を探し出す。
 五歳になったエイーゼとアイジーは、期待通り、見目麗しく成長した。
 お揃いのシルバーブロンドにお揃いのバイオレットグレーの瞳。お人形のような愛らしい容姿は、見るだけで幸せになると、イズのお気に入りだった。ぼさぼさとしているが鏡の前で髪を梳かせば、それは絹糸のように細く煌めく。アイジーは少女らしく髪を伸ばし、お気に入りの青いリボンをつけており、エイーゼは少年らしい髪型で通している。双子なだけに顔は似ているが、それでもやはり髪型や服装のせいか、見分けは簡単についた。
 五年前告げられた予言を知ることもなく、幸せに育った二人。
 兄妹という性別を感じる余裕もないほど仲がよく、アイジーに至っては「大きくなったらエイーゼと結婚するの!」と明言している。オーザもイズも子供の戯言と油断しているが、エイーゼとてアイジーのその台詞を満更でもないと思っている。もしこのままもっと成長して、それでもそんなことを言っているとすれば、両親としては明るい気分にはならないだろう。よくよく考えてみると心配だった。
「エイーゼ、そこにあるリボンボックスを取ってちょうだい」
「お前の方が近いだろう」
「私は髪を梳かしているから手が空いていないの。それともなに。お兄様は可愛い妹が猿みたく足の指で物を掴む人間になっても構わないというの?」
 高慢に微笑むアイジーをじろりと一瞥したあと、渋々とリボンボックスを彼女の元へ運ぶ。完璧に尻に敷かれていてどっちが上の兄弟かわかったものじゃない。しかし、幸運にも二人は双子だ。上の兄弟など、上の姉妹など、そんなのは気にせずとも生きていける。
「エイーゼ、私、今日はレースのリボンがいいわ」
「はいはい」
 ボックスを開いて中にあるレースのリボンをそっと差し出す。
 アイジーは櫛を置いて受け取った。お礼の言葉もない。これだからこの妹は。
 そうやって溜息をついていると、リボンを結び終わったアイジーが「ありがとうエイーゼ」とむくれていた頬にキスを落とす。呆気に取られたエイーゼはなにを返すこともできず、「さあ、どのお洋服にしようかしら」とドレスの取捨選択に向かうアイジーの後姿を見ながら「敵わないな」と苦笑するのだ。
 王女様のような部屋も、王女様のような服も、王女様のような髪飾りも全て持っているアイジー。厳しいことばかり言ってくるけれど心優しい双子の兄もいて、毎日が幸せだった。毎日が満ち足りていた。窓から見える薄青の朗らかな空が、それを証明するかのように輝いている。庭に植えられたスミレの花は「まるでエイーゼとアイジーの目の色のようだ」と言って、父のオーザが植えるように手配してくれたものだ。毎年誕生日には、美しい白薔薇とそれに添えられた一本のスミレの花束が、二人に一つずつ贈られる。
 どこを取っても翳りのない、本当に幸せな人生だった。
「決めたわ。今日はワンピースじゃなくてキュロットにしましょう」
「さっき出した服のどこにもそんなのないじゃないか。お前はなにがしたかったんだ」
「萌黄色のキュロットを出してちょうだい。あとスタンドカラーのブラウスも!」
「僕の話を聞け」
「あら。聞いているわ。今日も可愛いよアイジー、って」
「どこの誰の台詞だ」
「否定するの? 私たちって双子だから同じ顔なのよ?」
「馬鹿言うな、否定はしない」
「貴方ってナルシストなのね」
「素直にありがとうとは言えないのかお前は」
 ふふふっと、華奢な笑い声がエイーゼの耳たぶを掠める。その楽しそうなソプラノは、まるで花を振りまく風のようで、響いて空気に溶けるたびに柔らかく彩りを謳っていく。エイーゼはアイジーの笑い声が好きだった。
 赤ん坊から成長して、少し大人になった二人。エイーゼはオーザから気難しい本を読まされることが多くなり、アイジーはイズから言葉遣いや立ち振る舞いに厳しく小言を言われることが増えた。お互いに“大変だな”と言い合っている二人は、アイジーに施される教育の全てが、十五歳になる頃には無駄になってしまうことを知らない。
 あと十年で自分の半身がいなくなることを知れば、エイーゼはどれだけ悲しむだろう。あと十年で自分の半身のために死ななければならないことを知れば、アイジーはどれだけ泣き叫ぶだろう。そんなことは誰にも予測できないし、そして誰にも予測できないことを、なにも知らない二人が予測できるはずもない。
 二人はあくまで幸せで、そして満たされていたのだ。
「そうだ、エイーゼ。今日は木登りをして遊びましょうよ。昨日小鳥の巣を見つけたのよ」
「ふざけるな。僕が木登りをしたらお父様がお叱りになることを知っているだろう」
「お父様って本当、エイーゼだけに厳しいわよね。ならしょうがないわ。かけっこしましょう。お屋敷の周りをぐるっと走るするの!」
「無茶を言うな」
「ふふふっ、私に何周抜かれるか試してみる?」
「黙れ」
 自分よりも身体の弱い双子の兄をからかう彼女。
 兄から差し出された服を着て、靴下を履き、お気に入りの靴を履いて、二人で部屋を出る。
「それよりもエイーゼ。どうして今日私を起こしに来てくれたの? 珍しいわね」
「お父様とお母様がお前をお呼びだったんだ。朝食がもう出来ている」
「それは大変だわ!」
 ばたばたと階段を下りるアイジーにエイーゼ溜息をつく。忙しないアイジーの背を見るエイーゼの顔には、苦労性という言葉が良く似合う色が浮かんでいた。
 アイジーは階段の中腹でぴたりと止まり、未だ階段を下りてこない半身に手を振る。
「早くいらっしゃいよエイーゼ! じゃないと私、貴方の分までデザートを食べちゃうわよ!」
 待たせておいたのは自分のくせに、とエイーゼは階段を下りていく。
 その姿を見てアイジーはニッコリと笑う。
 その笑顔を見せられれば、エイーゼはなにも言えないのだ。
「残念だったなアイジー。お前一人寝坊したから、お前の分のデザートは僕が食べることになっている」
「ええっ? そんな、あんまりよ!」
 アイジー=シフォンドハーゲン、五歳。
 自らが災厄の子であることを、彼女は未だ知らない。





楽園にいた



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