ブリキの心臓 | ナノ

1


 登録式も無事に完了し、親睦交流会という名のガーデンパティーが開かれた。《オズ》の敷地内にある小さな庭園。並べられたテーブルの上にはいろんな種類のケーキやフルーツ、ジュースからワインまで、様々な料理が花のように並べられている。登録式の次の交流会。まるで小さな学校の入学式みたいとアイジーは溜息をついた。
 アイジーは花壇の前で一人、ぼんやりと突っ立っていた。
 今まで誰と触れ合うことなく屋敷に閉じこもっていたアイジーに、誰かと交流出来る勇気などない。案の定、誰と言葉を交わすこともなく、ぽつんと寂しく孤独でいるしかなかった。
 遠くで多くの人間に囲まれて笑い合うシオンを見た。あんなふうに、誰とでも親しくし合えるような人間になりたかった。ブランチェスタもユルヒェヨンカも、彼のその豊かの輪の中にいる。あそこだけ日だまりが出来たようだった。目の前の光景に憧れることしか出来ないアイジーは、ホワイトグレープのジュースが入ったグラスを軽く振る。なんて空しい自分だろう。雨と晴れの境目にいて、ずぶ濡れの雲の真下から晴れに晴れた届かない虹を見せ付けられている気分だった。
 まるで地獄だわ。アイジーは目を眇めた。
 外界に出れば、シフォンドハーゲンの邸から出れば、なにかが変わるかもしれないと思ったけれど、変えられるだけの技量をアイジーは持っていない。作り上げられるコミュニティーに上手く入ることが出来ず、こうして寂しく、一人でいることしか出来ない。もしかしたらずっとこのままなの? そんな嫌な妄想が頭を過ぎったが、それがすぐにどうでもいいことを悟った。《オズ》には呪いを解くために来たのよ。友達が出来ようが出来まいが構いやしないわ。そうは思っても自分抜きで繰り広げられる眩しい世界に目だけでなく胸を痛めるのはごくごく自然なものなのかも。
 アイジーはホワイトグレープに口をつけた。
「やあ」
 そんなときに、声をかけられた。その気さくな声に何事かとアイジーは俯いていた顔を上げる。
「そんな綺麗な顔を曇らせてなにをしているんだい、アイジー=シフォンドハーゲン嬢」
 全く見知らぬ男だった。自分よりも幾分か年上――多分、シオンと同じほどだろう。太い眉と高い鼻の目立つ、けれど決して粗暴なイメージの抱かない男。身のこなしも優雅で洗練されている。すぐにどこぞの貴族の息子であることがわかった。
 率直に「貴方は?」と返す。
「俺はゼノンズ。ゼノンズ=ヘイル」
 自信に満ちた笑みで名乗られても、やはり誰かは分からなかったので「初めまして」と形式上の挨拶だけを済ます。もしかしてシフォンドハーゲンに交流のある貴族だろうか。よもや《オズ》にいるだなんて。オーザの友人の息子か何かなのだろうが、生憎アイジーには社交界のことなどちんぷんかんぷんだ。ゼノンズ=へイルの後ろにいる――彼も貴族だろうか、それにしても何故そんな不快そうな目で自分を見つめるのかわからない――黒髪碧眼の少年すらも見たことがなかった。
 よくも知りもしないアイジー=シフォンドハーゲンに話しかけられたものだと思ったが、それも次の台詞に頷くしかなくなる。
「俺のお父様が、君のお父様から伺ったって。次のパーティーには長い間病弱で家から出せなかった愛娘が出席すると」
 どうやら自分は病弱だという設定になっているらしい。どうにかしてオーザが自分の存在を社交界に振り撒いたことだけは知っていたが、まさかそんな法螺が出回っていたなんて。しかし、たしかに、長い間遊ぶことなく邸に篭っていたせいか体力もなくなり、おまけに透けるような肌の白さ――病人設定には持ってこいだろう。その設定に便乗するよう、努めてか細い声で「ええ、そうなの」とアイジーは微笑む。
「まさかシフォンドハーゲンに娘がいたなんて、本当に驚いたよ」
――気のせいだろうか。少し馬鹿にするような響きをしていると、アイジーは思った。
 長いあいだ社交界にも出てこなかった、ろくに学校にも通っていない、ただ見目がいいだけの馬鹿な女。そんなふうに軽んじられている気がした。気のせいかもしれない。思い違いかもしれない。それでもゼノンズ=へイルの視線に、アイジーはいい気持ちを抱かなかった。
 そりゃ誰だって、今まで紹介されなかった愛娘が途端に出てきたら驚くことだろう。取り入ろうと躍起になり、そしてあることに気付く。この娘は、今まで表舞台に立たせてもらえなかったほど“可哀想な”娘なのではないのか。ゼノンズ=へイルから滲み出る笑顔がその推測を物語っているようだった。《オズ》に来ているくらいだ、よほどの疎ましい呪いを授かっている、不出来な娘なのだろう、いいように利用してやる、取り入ってやる――とでも言うようなそれにアイジーは吐き気を覚える。しかし、それを曝け出すことなく、アイジーは努めて儚げに微笑んだ。
「ずっと臥せっていたから仕方がないわ……私も、貴方のことを知らなかったように。でしょう?」
 困ったふうに微笑みながらアイジーはスラングを吐く。完全になめられたのが悔しくて、いっとう侮蔑的な言い回しをした。シフォンドハーゲンでは貴方は名前を出すほどの価値も見出していないのよ、と――暗にそう言うアイジーに、ゼノンズ=へイルは少しだけ眉を引きつらせた。
「そうかもしれないね」
「でも、良かったわ。こうして一足先に貴方に会えたんだもの。次のパーティーには貴方も出席できるんでしょうね?」
「当たり前じゃないか。その時はダンスを一つ頼むよ」
「あらどうしましょう。私ダンスは苦手なの。上手くリードしてくれる人がいないと」
「俺じゃ不満だってことかい?」
「まさか。期待しているわ」
 そう言って、ニッコリと微笑むアイジー。表面上では和やかな会話だったが、水面下では棘の絡ませ合いでしかなかった。それを微塵も感じさせず、ゼノンズ=ヘイルはアイジーの微笑みを見て「君はまるで天使のように微笑むんだね」と賛美する。会話の矛先を変えて、少しでも場を和ませようとしたのかもしれない。
「お世辞が上手ね」
「本当さ。まるで君は砂糖菓子で出来ているようだ。妖精だってこうも愛らしくはないだろうよ」
「女の子は、お砂糖とスパイスと素敵なものいっぱいを詰め込んで出来ているのよ」
「それは多分君だけだろうな」
「あら! 貴方だって、カエルやカタツムリや子犬の尻尾なんかよりも、もっとマシなもので出来ているでしょうね」
 そう言って花のような声できゃらきゃらと笑うアイジーに、ゼノンズ=へイルも微笑ましそうに目を細めた。
 それでもアイジーは内心窮屈な思いだった。自分とは違うゼノンズ=へイルに嫌な思いをしていた。早くどこかへ行ってくれないかな。自分の前から姿を消してくれないかな。そんなことを考えていると、まるでそれを察知したかのようなタイミングで、ゼノンズ=へイルの後ろにいた少年が「ヘイル……そろそろ」と声をかけた。
「もうか、ジャレッド」
「ああ。そろそろ出ないと大目玉だろう」
「仕方がないな」そう溜息をついてゼノンズ=ヘイルはアイジーに向き直った。「また会おう、アイジー。次は俺のこと、名前で呼んでくれると嬉しいな」
「ありがとう、ゼノンズ」アイジーも頷く。「それじゃあまたね」
 ゼノンズの後ろにいたその少年は最後までアイジーに対し友好的な態度をとることはなかった。二人はアイジーに背を向けてどこかへと去っていってしまう。またアイジーは独りぼっちになった。それでもさっきの空気よりは幾分かマシに思えた。それは何故かしらと首を傾げる暇もなく、アイジーはまた「おーい、アイジー!」と声をかけられる。今度は清々しい太陽のような響き――シオンのものだった。
「そんなところで一人でいないでこっちに来いよ」
「……今行くわ!」
 その誘いが嬉しくて、アイジーは走ってシオンの元へと向かっていった。
「紹介するよ。ヨンカやブランチェスタはもう知ってるだろうけどね。彼女はアイジーだ」
「よろしく」
 そう言って微笑んだアイジーに何人かも固い笑みを返す。登録式で呼ばれた“シフォンドハーゲン”という名に萎縮しているのかもしれない。唯一ちゃんとした微笑みを返したのはユルヒェヨンカ=ヤレイだけだった。
「えー……っと、よろしくね、アイジー。私はリザベラ=クライト。リジーでいいよ」
「ありがとう、リジー」
「こっちはスタン。アンダスタン=シーノウ。発明家の息子だよ」
「はじめまして」
「はじめましてスタン。発明家だなんて凄いわね」
 羽根のように軽い自己紹介を次々と済ませていっても、固い空気はあまりほどよく溶けなかった。貴族と庶民の間にある格差という名の険悪が理由なのかも知れない。ブランチェスタなんかこれっぽっちもアイジーのほうを見ようとせずに、明後日の方向へ視線を移している。その冷徹な姿にアイジーは心を痛めた。
「今さっきまでお互いの呪いの話をしてたんだよ」
「まあ」
「スタンは《裸の王様の呪い》なの」
「裸の王様の呪い?」
「騙されやすいってこと。どんな簡単なことにでも騙されちゃう呪い」
「ユルヒェヨンカのカカシの呪いとなにが違うのかって話だよな。研究していくうちにわかるのかも」
「私は《醜いアヒルの子の呪い》。生まれもって家族の顔と全然似てないの。髪の毛の色から目の色、肌の色や顔立ちまで全部。昔は不義の子じゃないかって父親が母親を詰ったものだよ……」
「俺は《キリギリスの呪い》。何故か大事なものも大事と思えなくなるんだよな」
「あっちにいるハレルヤは《狼少年の呪い》だって、デッド副指揮官から聞いたぜ。言ってること全部嘘だと思われる呪いらしい」
「あそこにいるヤツなんか可哀相に……《ルンペルシュティルツヒェンの呪い》だってよ」
「あのクソメンドクサい呪いかあ」
「名前当てなきゃだめな呪いな」
「《白うさぎの呪い》の子にも会ったよ。三人くらい」
「一番メジャーらしいからな」
「メジャーすぎて呪いの解き方まで判明してるんでしょ?」
「昔は死の呪いだなんだって言われてたのになー」
 流れるようにスラスラと紡がれる会話にアイジーは上手く交わることが出来なかった。今まで家族たちとの対話ペースしか知らなかったため、テンポを掴むのが難しいのだ。相槌を打つことしか出来ない歯痒さに身が悶えになるのをなんとかして堪える。しかし、そうやって話を聞いている間に、ある違和感に気がついた。
「ユルヒェヨンカなんか、カカシの呪いのせいでしょっちゅう店勘定間違ったりすんだぜ? おかげで一ヶ月に最低二回は売り上げに誤差が生じるらしい」
「言わないでほしかったな、シオン」
「“脳なし”の呪いなんだからしょうがないって」
「そうだよそうだよ」
 何故こんなにも不可思議な気分になるのか。アイジーには薄々気がついていた。
「アイジー」リジーが声をかける。「貴女はどんな呪いなの?」
――貴女は災厄の子なのよ。
 アイジーは心臓を沼底に放り投げられた感覚に陥った。薄暗くてぼんやりとしていて、それでいて果てしなく寒い。酷い虚しさに眩暈がした。
「ジャバウォックの呪いよ」
 ここに来れば、なにかが変わると思っていた。《オズ》に来ればなにかが変わると。呪いを授けられた人間が集まる研究機関。自分と似た境遇の人間が集う組織。アイジーが今まで味わってきた孤独感も、息苦しいまでの疎外感も、全て払拭されてくれると信じていた。自分と同じ、呪われた人間となら。
「死の呪いなの」
 そんなことはなかった。
 こんなにも呪われた人間がいるというのに、相変わらずアイジーは独りぼっちだった。自分だけが災厄で、自分だけが最悪で、なんのために生きてきたのかと叫びたくなるような冷たい激情に駈られる。
「死ななきゃいけない呪いなのよ」
 誰もがなにも言えなかった。信じられないものを見るような目でアイジーを見つめる。アイジーにも笑う気力は残っていなかった。今すぐにでも死んでしまいたかった。渇いた目を、凄惨に細める。

 こんなにたくさん呪われた人間がいるのに、死ななきゃいけないのは私一人だけなのね。





呪われた呪い



× | ×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -