ブリキの心臓 | ナノ

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「ちょっと待ってエイーゼ、私が取ってって言ったのは紫の靴よ、茶色じゃないわ!」
「あれは流石に派手すぎるだろう。国家機関に赴く初日にコッペリア座の踊り子ですと身分を偽るつもりか」
「だってあの紫の靴はこの前貴方から貰った誕生日プレゼントなのよ?」
「僕がお前から貰った釦を着けているからって、お前まで無理することはないだろう」
「無理じゃないわ、履きたいのよ!」
「駄目だ!」
 いつの間に仲良くなったのだとオーザもイズも眉を捻らせていた。
 ばたばたと屋敷中を縦横無尽するアイジーとそれに付き合うエイーゼ。自分の渡したプレゼントを執着してくれているのが恥ずかしいのか、エイーゼの顔にはほんのり朱が散っている。呆れ威張ってはいるが、怒鳴り散らしてはいるが、アイジーもエイーゼも楽しそうだった。いつを最後にしたかも思い出せない、あの仲良かった兄妹が、ここにもう一度蘇っている。
「アイジーまだお前はそんな格好をし……おい、服を着ろ、そんなはしたない格好で僕の部屋に入ってくるな!」
「なあに、私たちは兄妹じゃない。今更こんな格好見たってわけないでしょう」
「女として恥ずかしくないのか?」
「それよりエイーゼ、私のセーラーカラーのワンピースを知らない? 白いやつよ。あれを着ていこうと思っていたのにどこにも見当たらないの」
「は? そんなもの………おい、何故か僕のベッドに置いてあったぞ。どういうことだ」
「ああ、昨日一緒に寝たときに忘れていったのね」
「大胆に忘れたなアイジー」
 その会話を聞くだけでイズは卒倒するかと思った。
 そうだった。
 忘れていた。
 この双子は今までこそ冷淡な関係だったが、本来はとても仲が良かったのだ。昔から兄妹という性別を感じる余裕もないほど仲がよく、アイジーに至っては「大きくなったらエイーゼと結婚するの!」と明言していたのをイズも記憶している。そしてエイーゼとてアイジーのその台詞を満更でもないと思っていることもしっかりと記憶している。あのときは子供の戯言だろうと油断していたが、もう二人は十五だ。そろそろ洒落では済まされない。下着姿だの一緒のベッドで寝ただの、よくよく考えてみなくとも非常に心配だった。
「ごめんなさいエイーゼ、ファスナーを上げてちょうだい。腕が回らないのよ」
「わかったから動くな……おい、リボンが解けてるぞ。直してやるから横を向け」
 いや、それでも、今まで険悪だった仲が急に良くなったのはオーザやイズにとっても喜ばしいことだった。
 アイジーはオーザとイズをエイーゼと二人でなんとか説き伏せて《オズ》へ行くことの許可をもらった。勿論少し思うところはあっただろうが、娘が助かるかもしれない千載一遇のチャンスを逃すのもそれはそれで惜しかったのだ。今まで隠し続けていた娘の存在が明るみになるのもあってオーザは神経質だったが、「どうにかしてくれるでしょう」とイズはアイジーの頭を優しく撫でる。《オズ》から手紙が来て以来仲良くなった二人の子供を見て、イズは《オズ》という存在にどうやら一目置いているようだった。
 《オズ》に手紙の返事を書いて約一週間後。第五期登録研究員として研究機関《オズ》への出入りが出来ることを約束されたアイジーは、今日、第五期研究員の登録式を行う予定だった。出発時間の二時間も前に起きていたはずなのに未だ準備が整っていない。さきほどからずっと、どたばたと屋敷中を移動していたし、鞄の中をああでもないこうでもないと引っ掻き回している。
 《オズ》はグリムに位置していて、ギルフォード校のすぐ近くだった。せめてその辺りの場所は教えてやるとエイーゼが地図を引っ張り出して印を書いたり道順を示したりしていたが、アイジーの目はぐるぐると回ってギブアップを告げた。その結果、初日は馬車で向かうことに決めたのだ。
「機関車で行く距離でもないし、かといって、野蛮人が勝手に敷いたバスルートを使用するのも癪だ」
「それは貴方だけでしょう? 私はそのバスとやらに乗ってみたいわ! 鉄の馬車なんでしょう?」
「馬はいない。鉄の塊だ」
「まあ。鉄の塊がどうやって独りでに動くの?」
「僕が知るわけないだろう。お前の大好きな野蛮人に聞くといい」
 そう言って《オズ》の所在地をメモした紙をアイジーの鞄に突っ込むエイーゼ。こまっしゃくれた口を叩く割にはアイジーに献身的だった。
「手紙は持ったか?」
「ええ」
「お金は?」
「9000ポンドルほど財布に入れておいたわ」
「それだけあれば最悪なんとかなるだろう」
「ありがとう、エイーゼ」
 準備の整ったアイジーがエイーゼの頬にキスをする。昔は少し背伸びすれば額にも出来たというのに、今では頬にするのがやっとだった。
「国家研究機関とは言っても職場ではないから毎日そこへ行く義務も寝泊りする義務もないわ。本当に研究するだけなんですって。それでも知識の海と言えるだけの蔵書がそこにはあるそうよ」
「お前の本棚よりもか」
「私の本棚よりも、よ」
 おかしそうに笑うアイジーに、エイーゼはにやっと笑う。
 アイジーにとってこれ以上の幸せはなかった。隣にはエイーゼがいて、そしてないと思っていた明日がある。片割れの死の可能性も、自分の身の置き場も、薄暗いことは全て忘れてただその喜びだけを見つめていた。
 今まで自分は愚かだった。
 勝手に自己犠牲して。
 勝手に悲しんで。
 本当に愚かで浅はかだった。
 それでもアイジーは自分を軽蔑してはいない。この八年間は惨めで馬鹿げたものだったが、それでも必要な過去だった。今まで自分を押し殺すばかりだったけれど、それでもしかるべき過去だった。
「では、私はもう行くわ」
「気をつけて」
「迷子になるんじゃないぞ」
「お前はそそっかしいからな」
「余計なお世話だわ!」
 憤慨しながらもアイジーは笑っている。
 十五歳になったアイジーは、屋敷の外へと飛び出した。
 自らの足で立った地面は予想以上に広大だった。
「行ってきます」
 今まで押し殺してばかりで。
 死ぬことにはもう疲れてしまった。





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