ブリキの心臓 | ナノ

1


――双子の娘が呪い持ちの、災厄の子。
 帰りの馬車は酷く空気が重かった。空の灰色よりも重く澱んでいて息苦しいほどだ。馬車の中ではオーザがイズに買ってやったガーベラの花が所狭しと犇めいて上品な澄んだ香りを充満させている。しかしその香りにも今の空気を払拭するだけの力はなく、まるで皮肉るように笑う目障りな色彩でしかなかった。
 ことことと馬車は揺れ、アイソーポスへと引き返していく。それにつれ、石畳の道は薄紅色から薄瑠璃色へと変化していき、街並みも厳かになっていく。
 イズのドレスの胸元をぎゅっと握るアイジーを見て、イズは口を開いた。
「これからどうするのですか」
 オーザは口を開かない。むしろ開く必要がないと言ってもよかった。
 わかっているはずだ。これからどうすればいいかくらい。誰が見ても明らかだった。そして、それをイズも知っている。ただ単に認めたくないだけだ。シフォンドハーゲンの現当主であり、自分自身の生涯の夫であり、双子の赤ん坊の父親であるオーザに、その真実を否定してほしかっただけなのだ。オーザもイズの心情をわかっている。イズの顔には不安の色が浮かんでいたし、なによりさっきからにこりとも笑わない。元より、イズはさほど愛想のいい女ではなかったが、今はそれに拍車がかかり、なお無愛想だ。
 今にも雨の降り出しそうな顔色を見て、見ながらも、オーザはイズに告げる。

「エイーゼはシフォンドハーゲンを継ぐ。それは絶対に変わらない」

 オーザの言葉にイズは唇を噛んだ。
 知っていたことだ。
 わかりきっていたことだ。
 けれど、口に出されると、それはまるで刃物を持っているかのように心を斬りつける。本当にどうしようもないのだ。シフォンドハーゲンにとってどちらの子供が必要か、そんなのは嫌でもわかっている。
 エイーゼ=シフォンドハーゲンは立派に成長し、そして、じきに家を継ぐだろう。どこに出しても恥ずかしくない男になり、誰もがその姿に感嘆の息を漏らす、素晴らしい青年になる。シフォンドハーゲンの地位も名誉も財産も引き継ぎ、自信に満ちた笑みを湛える息子は、きっと煌びやかで、誰よりも優雅に違いない。どの名家もこぞってエイーゼに取り入ろうとし、そしてその様を見てイズは友人たちに誇らしげに微笑むのだ。
 生まれたときから決まっている。
 そんなことは知っている。
 エイーゼは大人になってシフォンドハーゲンを継ぐのだ――妹のアイジーを殺して。
「そんなのはあんまりです」
「仕方のないことだ」
「アイジーはどうなるんです……可哀想とは思わないのですか」
「……それとこれとは話が別だろう」
 苦々しく目をつぶるオーザにイズは眉を寄せる。
「別ではありません。どちらかを殺さなければ生きていけないからといって、どうしてアイジーが」
「言っただろう。エイーゼは、シフォンドハーゲンを継ぐのだ。継がなければならない」
 シフォンドハーゲンは、代々続く名家だ。歴代当主が誰一人として努力を怠らず、あらゆる人脈を築き上げ、その結果として今の地位がある。その歴史は壮絶だ。物置部屋から家系図を引っ張り出せば、それがどれだけのものかが窺えるだろう。そして、その夥しさを見れば誰もが思う。シフォンドハーゲンの名を途絶えさせてはならない。イズとてそう思う人間の一人だった。
 一流貴族は山のようにいるが、潰えていった数も同じだけ存在する。険しい貴族競争を勝ち抜き、没落することなく、今の安寧を保っていくのがどれだけ難しいことか、それは貴族に生まれた人間なら誰もがわかるだろう。ほんの幼い頃から少年は思想教育をなされ、高等な勉強を強いられる。少女は身だしなみから立ち振る舞い、作法やマナー、芸術のお稽古まで様々な装飾を施される。自由身勝手に振舞って家格を下げないよう、毎日が戦争だ。少しでもおかしなことをすれば後ろ指を指され、コミュニティーでの位が下っていく。シフォンドハーゲン家ともなるとそのアドヴァンテージも相当だろうが、貴族は貴族だ。三つ四つならまだしも、全ての家を下に見ていると足元はぐらつき、その地位は危うくなる。
 立派な当主が必要なのだ。
 いずれは嫁ぐことになるだけの娘ではなく。
「考える余地などないのですか」
 オーザの返事はなかった。ただきゅっと、口が萎められただけだ。
 整った顔が歪み、アイスブルーの目は冷たく濁る。
 そんなものなどないことくらいイズも理解している。二十歳までに一人を殺さなければ、とは言ったが、二十歳に死ぬ、とは言っていない。推測の余剰期間として二十年なのであって、死ぬのは五年後かも、もしかすると明日かもしれない。
 こんなことなら予言など貰いにいかなけらばよかった。イズは自分の行動を深く悔やむ。しかし、二十年後、大人になった二人を見て微笑むことなく、一瞬のうちに二人のうちのどちらかが死に、その理由も分からず泣いて明け暮れることを想像すると、そんな後悔もしてられなかった。死ぬとしたらどちらが死ぬだろう――エイーゼに違いない。身体が弱いと告げられたのだから、まず間違いなくエイーゼだ。
 災厄の子・アイジー。
 生まれたばかりのこの赤ん坊に、こんな悲しい現実が突きつけられるなんて。
 神は残酷だ。
 そして、残酷なまでの慈悲だ。
 一人だけは助かるなんて。
 助かるのは一人だなんて。
「イズ、お前だってわかるだろう」
 オーザの言葉にイズはカッとなる。
「貴方にはわからないんだわ」
 オーザは目を見開いた。
 いつでも自分に従順で、自分の意見に逆らうことなく、ずっと支え続けてくれたイズ。喧嘩をすることもあったけれど、最終的にはいつも折れてくれたし、花を贈ると少女のようにはにかむイズを、オーザは愛していた。妻として母として理想の女性であった。歯向かうことなく従ってくれるイズを、オーザは心地よく感じていた。そのイズが――従順で気の利く物わかりの良い妻が――自分に対して物凄い剣幕を向けている。宵時のような瞳を恨みがましげに細めて泥のような眼差しでオーザを睨んでいる。唇を噛み締めて泣きそうになるイズは、娘のアイジーを宝物のように抱きしめていた。
 こんなイズは初めてだった。もう十数年と一緒にいたけれど、こんなイズを今まで見たことがない。つう、と切なげな涙を頬に伝わせるイズが、押し殺すように潤んだ声でオーザに言い放つ。

「産んでない貴方なんかには、私の気持ちがわからないのよ」

 イズはどれだけこの双子を愛していただろう。
 オーザと結婚し、子供を身篭り、そのときのイズの表情は幸せそのものだった。お腹の中で眠る赤ん坊を撫でるたびに、まるで人生が薔薇色に色づいたかのような表情をして見せるのだ。生まれるのが息子であろうと娘であろうと、きっと彼女は大切に育てただろう。そして生まれた息子と娘を見て、誰よりも感動に打ち震えただろう。エイーゼとアイジー。兄と妹。この二人がイズにとってどれほど大切か、そんなのはオーザだって知っている。
 それでも、どうしようもないのだ。
 このまま二人が二十歳になるまで成長して、そして確実に後悔するよりは――ここで決断をしておいて涙を流すしか道はない。
 シフォンドハーゲンの現当主、オーザ=シフォンドハーゲンとして、必ずなさなければならない決断だった。
「……私とて」
 けれど、それは、“当主”としてだった。
「私とて、父親だ」
 “父親”としては、悲しいに決まっている。
 息子の方が可愛いのだとしても、娘をイズに任せっきりにしていたとしても、それでもやはり父親だ。惜しくないわけがない。それでも選ばなければいけないし、そうしなければ家に関わってくることだ。
 オーザはアイジーの顔を見る。
 何も知らないこの娘は、すやすやと眠っている。いずれ成長すれば絶世の美女になるだろう。誰もがアイジーとの結婚を求め、手紙を送るだろう。そして真っ白なドレスを着て鮮やかなブーケを持ち、興奮に見開かれた目で優しげに微笑むのだ。
 それを見ることは一生来ない。
 アイジーはエイーゼのために死ななければならない。災厄の子という事実は、天地がひっくり返りでもしないかぎり変わらない。

「十五になるまで」

 オーザが呟く。
 やっと吐き出せたような声だった。
「十五になるまで、待とう。せめて。それくらいなら、いいだろう」
 イズは小さく口を開ける。
 どういう意味だろう。これは。つまり、なんだろう、これは。
 二人が十五になるまで――アイジーを殺さないということだろうか。
「エイーゼも、せっかく同い年の兄妹がいるんだ。寂しいものだろう」
 十五まで――十五になれば、アイジーは死ぬ。
 エイーゼのために死んで、そしてエイーゼは生きる。
 それまでなるたけアイジーを人目に触れさせず、十五になった途端ぱたりと消えたと噂させないように。家に拘束して、友人を作らせず。それでも、赤ん坊のときに殺すよりかは、美しくなった彼女に“お母様”と愛らしい声で言われる前に、わかれてしまうよりかは――
 これは決断だった。
 どっちにしろアイジーは死ぬ。
 ただほんの少し……期限が延びただけだった。
 死ななければならないという事実は、何一つ変わらない。
 それでも――この可哀想な娘を愛せる時間が、まだ十五年もある。十五回の麗かな木陰と、十五回の劈く日差しと、十五回の紅い木々と、十五回の凍てつく花、それを全て超えたときに終わってしまうものだとしても、イズにとってはなによりも欲しい時間だった。自分が持ち得る全てのものと引き換えにしてでも、その時間が欲しい。
 たとえそれで、アイジーが苦しむことになっても。
 イズはアイジーの頬を撫でる。彼女が目覚める様子はない。
 この可愛らしい娘の結婚姿を見ることは絶対にない。夢に見た、真っ白いクロッシェレースやたっぷりのフリルを施されたウェディングドレスを着て華やかに微笑んでいる娘を、見るようなことは奇跡にも起こらない。
 それでもかまわなかった。
 ウェディングドレスは着せてあげられないけれど、白いワンピースなら着せてあげられる。





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