ブリキの心臓 | ナノ

1


 四人家族にしては長いテーブルだった。真っ白いテーブルクロスを敷かれたそれは主に食事を摂るときに用いられるのだが、エイーゼは今までずっとこんなに長くなくてもいいだろうと思っていた。家族の中に暴食家がいるわけでもなし、正方形くらいのテーブルが案外丁度いいのではと常々考えている。エイーゼは煌びやかなものや高価なものは常人が持つ関心程度それなりに好きだったが、この気取ったテーブルを好むことはなかった。しかし、そんなエイーゼが今日初めて、この長いテーブルでよかったと思える瞬間が来た。
 今夜はアイジーと二人っきりだったのだ。
 オーザもイズも外出をしていてディナーは双子の妹と二人っきり。七年ほど前から殆ど口を利いていない妹と二人っきりで家に閉じ込められるのは酷く精神を削った。災厄の子だと知ってからのアイジーはなにも知らないままだった頃のアイジーとは別人のように打って変わり、家族のご機嫌を伺うような内気な少女になってしまった。そのときからずっと冷戦状態で、お互い顔を合わせようともしない。アイジーのほうはエイーゼの気を引こうとする行動もしばしば見られたが、その殆どをエイーゼは拒否していたし、煩わしいとすら感じていた。どうせあと数日で死んでしまう双子の妹だ。今夜会話をしなかったくらいどうってことはないだろうに――それでもエイーゼは、この重苦しい空気を耐え切れないでいた。今までならオーザかイズが中和剤の役割をしていてくれたのに、今は二人がいない。空気が重い、息苦しい、どうにしかしたい、でもアイジーの顔は見たくない。その感情がごちゃ混ぜになって、完全にノーアクションを決め込むエイーゼにとっては、いつも気に食わなかったテーブルが天使の梯子のように思えた。
 カチンカチン、と皿とフォークの音だけが反響する。咀嚼する音、飲み込む音、グラスを持ち上げる音、グラスを置く音。なんの生産性もないその無機質な音だけが、ディナーに広がった沈黙を打ち破るプリマドンナだった。
 アイジーは無表情でフィレ肉を食べている。彼女の口のサイズに合うくらい小さく切り分けて、そしてその小さく切り分けた肉を啄むのも少しずつだった。これではなんのために切り分けているのかがわからない。エイーゼは呆れたように溜息をつく。アイジーはその音にも気付かないまま黙々と食事をこなしていった。いつもなら視界にパセリがチラついたという、それだけで顔をしかめるアイジーが、今日はなんの関心も感慨もなく、フォークで突き刺して食べた。そのことに些か愕いた。幼い頃からパセリが嫌いで、皿の上に乗るたびに“育ち盛りの男の子はもっといっぱい食べなきゃいけないとお母様が言ってらしたわ”とか適当なことを言ってエイーゼの皿へと押し付けたものだ。今でこそそんな反応は見せなくなったが妹の好き嫌いは中々なおらない。今でもパセリが皿の上に茂っていると“あらいやだわ。お腹いっぱいでもう食べられない”とさりげなくギブアップを提示してきていた。それなのにアイジーはパセリを食べた。それも、一口で簡単にぱくりと。顔をしかめることも眉を渋らせることも鼻と口がくっつくくらい苦い表情をすることもなく、なんの反応もなしに完食したのだ。あまつさえ「素晴らしいディナーだったわ」と、明らかにそうは思っていないだろう淡白な響きで、口元を拭いながら呟いてみせる。
「今日はなにも残さなかったんだな」
 カマをかけるような気持ちでアイジーに声をかける。
「私が毎日なにかを残すと思っているのならそれは小粋な勘違いだわ」
 エイーゼのほうを見遣ることなくアイジーは答えた。その返答もどこか義務的で、そしてぞっとするほど感情が篭っていなかった。
 アイジーがグリムで迷子になってから――なにかが少し変化したのをエイーゼは気付いていた。本の虫のようなアイジーがなにを読むでもなくぼうっとする時間が増えたし、食事やトイレ以外部屋から出ることがまずなくなった。そして時々アイジーからアイソーポスのものではないお菓子の匂いがするようになった。一度だけ食べたことのある――アンデルセンのユニコーンの角にしかない、チョコマシュマロの匂いだった。
 なんでそんなものをと眉を曇らせたが、一々アイジーに確認するようなことは決してしなかった。自分やオーザとはぐれて迷子になっていた間になにかあったのは明確だろう。それでもこうして無傷でいるのだからなんの心配も要らない筈だ――そして、そうは思いつつも、エイーゼの胸の中で高まる警報音はやみそうになかった。
「もうすぐ、十五歳の誕生日だな」
 エイーゼの言葉に、アイジーはようやっと反応した。反応したとは言ってもそれほど明確なものではない。十四年間双子の兄として生きてきたエイーゼにしかわからない、微妙な変化だ。エイーゼはその変化を目聡に察知して目を細める。
「ええ、そうね」
 アイジーはあくまで平静を装って会話をしていた。
 エイーゼは最後のスープを啜ったあとにもう一つこぼす。
「プレゼントはなにがいい?」
 時々突発的に起こる互いを探り合うような会話には、エイーゼもいい加減辟易していた。それでももう戻れないところまで深まってしまった溝を無視して会話していられるのは、この通過儀礼のようなふざけた茶番を繰り広げている間だけだった。なるたけ顔も見たくない、背中さえも合わせない、それでも今アイジーがどんな様子かを知りたくて、エイーゼは拷問にも似た質問を続ける。
「アイドクレースとトパーズとダイヤのついた髪飾りなんかどうだろう。お前は寒色か白かしかないだろうから丁度いいんじゃないか?」
「一体いつの頃の話かしら……私だってちゃんと暖色のものを持っているわよ」
「それならオルゴールボックスなんてどうだろう。お前は昔からワルツが好きだった」
「今はジャズに関心があるのよ、知らなかった?」
「レコードを買ってやれば満足するという意味か?」
「私の部屋には蓄音機がないのよ。それをわかって言っているのなら随分とシニカルなお言葉ですこと」
 返し方はいつもの調子に近い。表面上は滑らかで棘のない、有り触れた兄妹の会話。それでも水面下では毒を含んだ蔓が偲ぶように辺りを埋め尽くしているのを二人は知っている。そしてその毒に犯されるのは殆どの確率でアイジーだった。アイジーは嬲り者にされるだけで、柔らかなハスの葉の盾でしかそれを防ぐことは出来ない。
「なら、お前はなにが欲しいんだ?」
 切りかかるように、エイーゼは言った。
 アイジーは顔色一つ変えなかった。
 プレゼントなんて贈っても、プレゼントなんて貰っても、翌日にはただの遺品になってしまうのを二人は知っている。今ここで誕生日の話なんかをしても無益極まりないし、十五歳になった自分に思いを馳せるのもとても滑稽なことだった。アイジーは死ぬのだ。そんなことわかりきっているのに、エイーゼはアイジーに未来の話をした。皮肉にも、残酷にも、絶対に来ないであろうそれからの話をした。
「……そうね」
 アイジーの声は張り詰めた糸のようだった。今にも千切れそうで、それでもそんなそぶりはちらとも見せない。震えることも竦むことも潤むこともなく、彼女は小さく首を傾げて、淡白に言い放った。


「求めるのは死ぬことだけなのだから、それが贈られたらとても素敵でしょうね」


 生きたくて仕方がないくせに。
 死にたくないくせに。
 そんなこと悟らせもせずに平気で言ってのけるアイジー。
 エイーゼ、私、死ぬのよ。ちゃんと死んでみせるわ。貴方の負担にならないように、貴方の不安にならないように、ちゃんと死んで、そうしたら、貴方は幸せに生きていけるわよね。もうなにも心配いらないわ。今まで哀しい思いをさせてしまってごめんなさい。でももう大丈夫よ。貴方はきっと、何事もなかったようにやり直せるわ。私のことなんか忘れて、幸せになれるのよ。
 先日感じた恐怖や悲しみを滲ませることなく、アイジーはエイーゼに言った。エイーゼはなにも答えなかった。拷問のような兄妹ごっこは終了したらしい。
 エイーゼは「ごちそうさま」と言って席を立つ。アイジーも席を立って、部屋へと戻っていく。
 エイーゼは窓の外を見る。空は真っ暗で、真珠のような星屑がぱらぱらと切なげに瞬いている。夢で見た、まぼろしいアイジーの涙に似ている気がした。





二人ぼっちの恐怖心



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