ブリキの心臓 | ナノ

1


 思えばエイーゼ=シフォンドハーゲンの人生は、双子の妹であるアイジーの笑顔にあった。彼女が笑えば彼も嬉しくなったし、その微笑みが顔から消えればどうにかしてやろうと頭を抱えた。妹思いの兄と言えばそれまでだが、エイーゼはアイジーにいっそう強い絆と愛を感じていたのだ。だからアイジーが災厄の子だと知ってからの数年間、笑わなくなったアイジーと同じく、エイーゼも笑わなくなった。元よりにこにこと愛嬌よく接するような人柄ではなかったが、それに拍車がかかったようにエイーゼはにこりともしなくなり、ただ愛想がいいだけのお坊ちゃんになってしまった。アイジーの心に比例するエイーゼの心は、まるで磁石のように常に彼女と共にあった。冷えた関係を紡いでいた数年間でさえも、二人はお互いを深く愛していたのだ。
 アイジーの笑顔を見るだけで、なんだって許せた。自分だけに降りかかるコムズカシイ跡取り問題も、お姫様のように傲慢する態度も、なんだって許せた。
 不幸などなかった。アイジーのように外に出られなくても、重圧と緊張のない日々を知らなくても、妹が呪われた身だったとしても、それでもとても満たされていた。
 誰よりも愛しい半身、アイジーがいたから。
 病弱だったにも関わらず、毎日毎日飽きることなく遊びましょうと誘うアイジー。けれど、楽しそうに幸せそうに笑うアイジーよりも、もっともっと、きっと例え切れないほどもっと、自分の方が楽しくて、そして幸せだった。生まれつき身体が弱くて目一杯遊ぶことの出来ない自分。その殻を突き破って手を差し伸べてくれるのは、他の誰でもない、アイジーだった。
 遊ぼうと手を引かれることが嬉しかった。彼女の隣にいられることが楽しかった。その笑顔を一番近くで見つめていられることが幸せだった。あの天使よりも愛おしい笑顔があるから、エイーゼは生きていられるのだ。
 今までも、そしてこれからも。
 きっとアイジーは手をひいてくれる。あの月の光のように淡い微笑みで、ようやく目覚めたのねと泣きながら、そして一年で一番素晴らしい日を二人で迎えられる。もう暗闇などなにもない。悲しいものさえも吹き飛ばせる。本物の幸福が待ちかまえて、ただそれに共に歩んで行くだけでよかった。
「………ぁ」
 声の混じった吐息をしながら、エイーゼは目を覚ました。たくさんの管に繋がれてはいるが生きている。心臓は穏やかに動き酸素を欲していた。温かい血が全身に流れている。昨夜の恐怖はもうなかった。まだ覚めたばかりのバイオレットグレーの瞳が朝焼けの眩しさに細められている。自分がベッドの上にいることを感じとり、ぼんやりと状況把握に努めた。
 毎年エイーゼの誕生日――正確にはエイーゼとアイジーの誕生日だが――その日にはシフォンドハーゲン家で盛大な誕生日パーティーを開くことになっている。多くの客が招待されて成長したエイーゼを祝うのだ。山のようなプレゼントにカード、おめでとうという言葉を贈られ、オーザとイズは生まれてきてありがとうと微笑みながらエイーゼにキスをする。昔からずっとその全てはアイジーと分かち合うべきものなのだとエイーゼは思っていた。美しくラッピングされたプレゼントに、繊細な模様を施されたバースデーカード。自分に微笑みかける人々の言葉も、本当なら自分の半身にも与えられるべきものなのだ。おめでとうアイジー、またエイーゼと共に一つ大人に近づいたんだね、次の誕生日まで素敵な一年でありますよう、生まれてきてくれてありがとう。自分の隣に立っている美しい妹がその言葉を聞き、頬を薔薇色に染めながら見蕩れるような微笑みを浮かべる。何度だって想像した。いつかそんな日が来ると。来るべきだと。でもそれはもう少し先の未来で叶う。アイジーにとって来るはずのなかった誕生日を、あともう少しで迎えるのだ。自分と共に十六歳を迎え、そして彼女と自分のこれからが始まる。みんなが彼女のことを知っている、自分と同じく、祝福された命だと。

 目を覚ました。

 そう、今日がやっと、その十六歳の誕生日で、やっと二人が堂々と祝いあえる最高の日。あの輝かしい笑顔を見るに相応しい、素晴らしい一日。
 アイジーはきっと自分の手を引くはずだ。ずっと傍にいて、さあいらっしゃいと、手を。
 ――その手がないことに気づく。
 確かに昨晩、荷台に運ばれて眠らされた感覚がある。あの青紫の目がなんとも言えぬ表情で自分を見ていたのを覚えている。アイジーのことだからつきっきりで自分についているものだと思っていたし、彼女なら間違いなくそうしたはずだ。これは可能性ではない。確信だ。彼女は絶対に自分の隣にいる。目を覚ました瞬間自分の手を握っていてくれた彼女の温度に気づき、その微笑みを見るものだと信じていた。寂しさが手の平を走る。見知った屋敷の天井がやけに素っ気なかった。温かい布団は妙に重くて、なのに心は不思議と軽い。いや、軽いのではない。足りないのだ。なにかが圧倒的に欠けていて、それはまるで痛みのように痺れた哀しみを突きつけてくる。
 不幸など、なかった。アイジーのように外に出られなくても、重圧と緊張のない日々を知らなくても、妹が呪われた身だったとしても、それでもとても満たされていた。愛しい半身である、アイジーがいたから。
「……アイジー?」

 彼の傍に、彼女はもういない。





馬鹿な兄の妹

× | ×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -