ブリキの心臓 | ナノ

1


「やあやあ、君だったかミス・アイジー=シフォンドハーゲン。まあ適当に座りたまえよ。お菓子いる?」
「いりません」
 アイジーは目の前にいる青年――ソルノア=ステュアートに突っぱねるように言った。彼はそれでもにやっとした笑みを浮かべてモンブランをもぐもぐと食べていた。
 後日。
 ソルノア=ステュアートと皮肉なほどの見事な邂逅を成し遂げたアイジーは、彼の“我が儘”に付き合い、口頭説明のために頭取室まで足を運んでいた。
 頭取室とは名の通り頭取のためだけの部屋だ。《オズ》の所有する部屋のなかでも格段に豪華で一回りほど他よりも広い。中はといえばシャンデリアや意味深な石膏像が部屋を明るく見せていて、敷かれてある絨毯も繊細な模様を放っている。窓際には大きなデスクと本棚があり、そのデスクの美しいチェアに尊大な態度で座っているのがこの部屋の持ち主のソルノア=ステュアートだ。
 デスクの上にはモンブランが据えられていて銀色のフォークで弄るように虫喰われている。勿論それは彼が食べた痕で、その彼の口元にも少しだけ上のクリームがついていた。それを舌で舐めとってから、彼はアイジーに目を向ける。
「じゃあ適当に、提出したものの説明をお願い」
 気だるげに放たれたそれにアイジーは心中でげんなりとした。
 この男がソルノア=ステュアート。
 《オズ》の頭取。
 そういえば春の登録式のとき、ジオラマ=デッドが頭取について話を濁していたことを思い出した。確かにこれは濁したくもなる。まさかこんなにちゃらんぽらんな男だとは思ってなかった。しかも曲がりなりにもこの国の王子だなんて。カリスマ性に欠けるとはまさしく彼のこと。彼に比べればエイーゼのほうが王子様にふさわしいだろう。いくつか挙げられる彼の欠点をエイーゼと比較して、やはりと言うべきか、アイジーはエイーゼに勝利の旗を寄越した。
「あの、本当に目を通していらっしゃらないんですか?」
「論文のこと? 君の場合は臨時報告書だっけ? 全然確認してない」
 なんだこの軽薄すぎる男は。
 アイジーはずるりと肩の落ちる気分を味わった。
「第一、これは上が……アー、僕の上の、兄さんとかがね、うるさいから、こうして現状報告をするために論文なり発表会なりを設けているだけで、僕としてはこんなことしなくてもいいって思うわけだよ」
「はあ」
「ここの人間はみんな“呪いを解きたい”っていう願いを叶えるため《オズ》に来る。君やメイリアやキーナ、ヴァイアスのアホやミスタ・フォンセルバッハだってそうだ。勿論、頭取である僕だってね。エメラルド・シティなんて態だけどここは自分の力で成功を掴む場所であり、教授位っていうのはその成功者をわかりやすくした入れ物に過ぎない。僕が最初に目指してた《オズ》の形態はこんなんじゃなくてさ、もっとこう」苦悩するように眉を寄せて目をつぶる。「公園みたいなところだったんだ」
「公園……?」
「そ。楽しそうでしょ?」
 ソルノア=ステュアートはにんまりと笑った。おふざけと思いきや存外、無邪気な笑みだった。
「もっとフランクでさっぱりしてて、お互いに情報交換がしやすくて、しがらみはなにもない。発表会や論文なんて面倒なことはしなくてよくて、そこに来れば口から口へと呪いを解く手がかりが伝えられる。そういうところを作りたくて、作りたかったんだけど」彼は不貞腐れたようにデスクをトントンと小突いた。「完成したのはこんなだもんなあ。まいるったらないよ」
 ちゃらんぽらん――そうアイジーは彼のことを評したが、少し違うのかもしれない。彼は彼なりの《オズ》の理想が合って、けれどそんなことは叶えられないから、うんざりしているだけなのだ。
「――《オズ》へ行けば、全てが上手くいく。なにもかもが完璧に、まさにシナリオ通りにはたらいて、長年鬱屈でしかなかったこの呪いもまるで魔法のように容易く解けて、すべてをなかったことにできる――ここに来た多くの人間はそう思っていたことだろうね。なのに実際のここは、そんな絵本のようなものでは決してなかった。《オズ》は魔法の国じゃない。そんな簡単に叶いっこない。そうやって諦める人間は、実を言うと少なくない。君もそういう経験、あるんじゃない?」
「なくは、ないです」
「素直に言ってくれていいって。しかもそういう気持ちって教授位みたいなのが存在するとまた掻き立てられるんだよ、こう劣等感みたいに。もうやだなーどうにかなんないかなー」
 暫くうなだれていると彼は突然に「まあ仕方ないけど」と言って姿勢を正した。それからアイジーのほうへフォークを向けて、説明の催促をする。
「じゃあ、説明、よろしく頼むよ」
「はい、頭取」
 面倒くさいな、とは思いながらも、さっきよりも前向きな気持ちでいた。アイジーは思い出すように思案して、それから口を開く。
「まずは狼少年の呪いについて」
「あー、それね」
「意思疎通の打開策として、筆談を提示しました」
「筆談ね……ていうかまだ誰もその可能性に気づいてなかったんだ?」
「そのようですわ」
「むしろそっちのほうが意外だな」ソルノア=ステュアートはおかしそうに笑う。「その狼少年の呪いに犯されている人間は?」
「ミス・ハレルヤ=デッドですか?」
「ああ、ジオラマのところのお嬢さんか。そういえばここにいるって言ってたっけ。そのハレルヤ嬢のその後はどう?」
「どう、とは」
「呪いの解けそうな兆しは?」
「……ないと思います」
「そっか」
 彼ははむりとモンブランを口に入れた。それから続けるようにアイジーに目を遣る。
「次は私のジャバウォックの呪いについてです」
「ああ。《ジャバウォック》の姿が見えるようになったっていう?」
「それもそうですが、なにより、ジャバウォックのスキルが使えるようになったという点です」
「じゃあ見せてみて」
「えっ」アイジーは耳を疑った。「ここで、ですか!?」
「うん。それとも目に映りにくいものだったりする?」
「いいえ……」
「じゃあどうぞ」
 えええ、とアイジーは口ごもった。まさかスキルを見せて、と呼ばれる日が来るとは思っていなかったのだ。
 アイジーのスキルは見世物じゃないし見ていてそう面白いものでもない。確認のためというのはわかってはいるが、見せてと言われるのは初めてでかなり動揺してしまう。ジャバウォックもジャバウォックで誠に遺憾であるというふうな声を小さく漏らしていた。ううんと唸りかけているときに、アイジーに声が寄越される。
「ゴメンゴメン、やっぱりいいよ」
「えっ」
「見せろって言われても反応に困るよね。そういえばメイリアのときもそうだった。僕だって、いきなり見せろって言われても、なんだこいつ、って思っちゃうし」
 まあ嘘はついてないだろうしいっか、と言って、ソルノア=ステュアートは手を振った。アイジーのスキルは護衛官や周囲に確認されたこともあるし、口頭でなら他の人間にだって言質を取れる。あくまで保険なのであって、見せる意味はそれほどないというのが彼の解釈らしい。
 しかし、そうか、とアイジーは頷く。
 思えば目の前の彼も、自分やメイリア=バクギガンのような、“魔法めいたこと”が出来る人間だった。
 魔法使いの呪い――それがどんな呪いかは知らないが、先日の騒動はその呪いのスキルと見て間違いはないだろう。
「でも、そうか、君もジャバウォックの呪いと向き合ってるわけか」
「はい」
「呪いは解けそう?」
「…………いいえ」
 たっぷりと考えてから、アイジーはそう答えた。
 ジャバウォック。名前のない英雄。運命の日。災厄の子。明らかになったことも多いがその分わからなくなったことも増えた。自分が死にたくなければ名前のない英雄を避ければいい。運命の日じゃなければ死なない。けれど何故周囲に影響を及ぼさない呪いが災厄たりえるのか。どうしてエイーゼにのみ災厄が降り注ぐのか。それだけは考えつめてもわからなかった。
「そうか、意外だな」
「意外ですかね」
「意外。だって呪いと向き合えてるんだろう?」
 だったらなんだと云うのか――そう尋ねる前に、飄々とした彼は言葉を続ける。


「だったら呪い本人に聞けば色々手っ取り早いだろうに」


 アイジーは虚を突かれたように固まった。暫く口もきけなくなって、それからぼんやりと首を傾げる。このひとはなにを言っているんだろうという目を向けて、石のように動かなくなった。
「どうしたんだ、急に」彼も首を傾げた。「どこか痛いとか?」
「いえ――そうじゃなくて、その――え?」
「いや、だからどこか痛いのかって」
「そうじゃなくて!」アイジーは声を張り上げた。「呪い本人に聞けばいいって、どういうことですか?」
 ソルノア=ステュアートは「なんだ、そっちね」と言ってから続ける。
「呪いに向き合えた人限定の裏ワザって言うのかな。まあ通じる相手通じない相手はいるみたいだけど、呪いに聞くと色々わかることもあったりするよ」
「と、解き方も!?」
「解き方は……どうだろう。でもわからないことが解消したりもするって。メイリアなんかはスキルのコントロールの仕方をクイーンから直々に伝授されてるみたいだし。メイリアにとって呪い自体がスキルみたいなものだから、これって呪いの効果の抑制にも繋がるだろう?」
「でも、私の場合は、ジャバウォックの場合はそんなの……」
「なんでジャバウォックの呪いなのに災厄の子たりえるのか」アイジーが一番気になっていることを言葉にした彼は、勿体なさそうに言葉を紡ぐ。「ミスタ・ジャバウォックに聞いたことある?」
 アイジーは数秒固まったあと、パッと弾かれたように駆け出した。すぐさま頭取室を出て挨拶もなしに去っていく。
 廊下を駆けて駆けて駆けだした。頭がくらくらした。それ以前に騙されたような気分になって、そしてどうも息苦しい。
「ジャバウォック!」
 適当な小部屋に入ってアイジーは叫んだ。後ろ手に閉めたドアにもたれかかり、自分の影を睨みつけるように顔を俯ける。
「答えて、貴方、私がどうして災厄の子なのか、知ってるの?」
 彼は実体化して出てくることはなかった。しかしあのベルベットのように艶のある声だけは誠実で、麻薬のように頭を掻き乱す。
(知ってるよ)
 アイジーはへたりこみそうになった。ずるずると落ちる腰をなんとかドアにへばりつけて、しゃがみこむのを耐えようとする。
 ゆるゆると頭を振って力なく「どうして……」とぼやいた。
「どうして、今まで黙っていたの……」
(聞かれなかったから)
 その返答にアイジーは顔を真っ赤にした。心臓が抉られたみたいにひやりとして、自分が彼の言葉に傷ついたのだと知る。
「知ってたでしょ、私が悩んでるって」アイジーは唇を噛み締めた。「ずっとそばにいたのに、そんなこともわからなかったの? どうして教えてくれなかったの? もしかして、他にも隠してることがあるの? お願いだから答えて」
 目の奥がじんわりと熱い。けれど悲しみの水滴はこぼれない。それがもどかしくて気持ち悪くて、真っ黒な青年のあてつけにもならないことに心底腹が立った。出そうで出ない涙はまるでくしゃみのようだ。さっさと出てほしいのにやっぱり出てこないもどかしいこの感覚。顔を上げても下げても首を捻っても、出てこないものは出てこないのに、けれどそれでも出てこないわけじゃないよと悪戯をされている。
 アイジーはぎゅっと拳を握り締める。
「なにか言ってよ……私、また、貴方に、大嫌いだとか、酷いことを言ってしまうわ」
 ぼんやりとした声に呼び出されたかのように、アイジーの目の前にスンと、真っ黒い人影が現れる。この世に存在してもいいのかというほどにまで整った顔立ち、漆黒よりもなお黒い艶やかな髪、血も凍るような獰猛な金色の目が、浮かぶように現れる。もう随分と見慣れてしまった、ジャバウォックの姿だった。
(――多分僕は、君にしてみればとても多くのことを知っている。君の知りたいことの全てを、知っていると思う)
「……だったら」
(でも、すまない。今は教えられない)
 アイジーが顔を険しくさせるとジャバウォックはその頬を丁寧に撫でる。
(すまない。君に隠していたことは謝る。けれどこれには理由がある。その理由も教えられない。今はなにも言えない。でも、君に悪意があるわけじゃないんだ。ただ、ギリギリのギリギリまで、君には幸せでいてもらいたい。重大の選択を、今してほしくない)
 険しくしていた顔を歪めて、今度は苦渋の色で満たす。目の前の彼がなにを言っているのか、ちっともわからなかった。
「時が来たら、教えてくれるってこと……?」
(きっと必ず)
 どうせその時は来てしまう。
 そう言ってジャバウォックはスンと姿を消した。
 もう部屋にはアイジーしかおらず、アイジーはそのままずるりとしゃがみこんだ。シルバーブロンドがするりと肩からこぼれ落ちて、視界の端へと垂れていく。今はもう立ち上がる気力を失くしていた。ただただ頭は混乱していて、いろんなものを放棄する。けれど脳みその奥底でただ一つ、ジャバウォックの言った“重大な選択”のことを、ただぼんやりと転がしていた。





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