ブリキの心臓 | ナノ

1


「あれ、もしかして“ハレルヤ”かい? こりゃ随分と久しぶりだね」
 その少年らしいハスキーな声にハレルヤは思いっきり顔を顰めた。決して友好的な態度ではなかった。
 ハレルヤ=デッドという人間は元よりそれほど人当たりの良い人間ではない。彼女の生まれ故郷がそうさせたし、彼女を脅かす呪いがそうさせた。どちらかと言えば他人を偏見の枠に収めがちだし噂や世間体だけで物事をすぐに判断する。かといって噂の風向きが一変したところで自分が最初に抱いた特定のイメージを拭うことを不得手とし、よく言えば優柔不断さがなく、悪く言えば偏屈で頑固な人間性をしていた。
 けれど、彼女がここまで頑なに存在を拒み続ける人間はそういないだろう。彼女とて人である。ジオラマ=デッドやユルヒェヨンカ=ヤレイに対するような温かな感情も持ち合わせている。そしてアイジー=シフォンドハーゲンや、目の前にいる少年・ヒューイなどに対する冷たい感情などが今の拒絶にあたるのだ。
「なに」
 ハレルヤは淡白にそう返した。ヒューイはすぐには返事をしなかった。
 ハレルヤとヒューイは同郷関係に当たる。二人とも貧民の街・ペローで生まれ育ち、その空気を肌で感じてきた人間だ。お互いに存在を認知できる程度には知り合いだったが、仲が好いと呼べるような関係は築きあげていない。むしろその逆で、ハレルヤはこの少年を毛嫌いしていたし、ヒューイとて猜疑心を掻き立てられるこの少女を嫌悪していた。仲は本格的に悪く、おまけに相性も悪い。もしかしたらハレルヤはアイジー以上にこの少年が嫌いだったかもしれない。
 “ヒューイ”と呼ばれるようになったこの少年は、ずっとハレルヤを嫌な目で見つめていた。盲目のくせに、なにも見えないくせに、その毒のような目はいつもハレルヤを嫌な気分にさせていた。ずっと責められているようなそんな気持ちになったのだ。この嘘つき、と。厭らしい、と。自分だって同じような身の上のくせに、同い年のくせに――そう思いながら、決定的に自分を侮蔑するようなその見下した眼差しをハレルヤはいつも疎ましく思っていた。
「別に。ただ挨拶しただけ。最近調子はどう?」
「悪くはない」
「そっか」
 また、端から信じていないような、そんな嫌な目。
 話しかけてこなきゃいいのにとハレルヤは思った。お互いに嫌い同士なのだから、腫れ物のように触れないで空気だと思っていればこんな嫌な思いはしなくて済むだろうに。
 とは言えども自分とて大嫌いなアイジー=シフォンドハーゲンに嫌がらせをしているような身の上だ。なんとなくだが相手の心情はわかる。
 気に食わないのだ。話しかけずにはいられないのだ。醜い虫を見れば潰したくなるのと同じ心境なのだと思う。とにかく自分が味わった嫌な思いを相手にもぶつけないと、気がすまなくて仕方ないのだ。
「“ハレルヤ”、確かあのアイジー=シフォンドハーゲンに呪いの助力をしてもらったって聞いたんだけど、それは本当なのかい?」
「お前に関係あるの?」
「“ヒューイ”だよ」少年は強く言った。「僕の名前は“ヒューイ”なんだ、“ハレルヤ”」
 ハレルヤ、とは、元々彼女が持っていた名だった。気づいたときには彼女はその名で呼ばれていた。ファミリーネームを聞いたためしはなかったが、このファーストネームだけは彼女が生まれ持っていた財産だ。意味はわからない。けれど初めてジオラマ=デッドに会った日、“いい名前だな”と言われたのを覚えている。だから、きっととてもいい意味に違いないと、そんなことをハレルヤは思っていた。
「あっそ」
 ハレルヤは少年にそう返した。彼女にとっては別にそんなことどうでもよかった。この目の前の少年はどうせあっちでは、ペローでは“チビ”だとか“おい”だとかで呼ばれていたのだ。今更その習慣が抜けるわけでもなし、第一ハレルヤはその響きを聞いてもそれが彼だと区別できずにいる。ハレルヤは彼を“名前”で呼ぶ気はなかった。
「君は、今、“ハレルヤ=デッド”だね」
 そう、少年はハレルヤに問いかけた。ハレルヤはなんだと思いながら眉間に皺を寄せる。
「だから?」
「君はデッド副指揮官の名前を貰ったんだよね、素晴らしいよ」
 要領を得ない会話が続いた。
 会話とも少し違う。まるでこの少年の独り言のような音の繰り返しだった。
「でもね、君はただ幸運だっただけなんだ。あの瓦礫の山の中、もし君じゃなく僕があのオンボロ住処に住んでいたら、デッド副指揮官は僕を引き取っていた。君じゃなくて僕が、僕だって、あんなところから抜け出せて、ちゃんとした名前を貰えていたんだ」
 その言葉に、流石にハレルヤは顔を顰めた。一体何がいいたいのかわからなくて、目の前の少年に嫌悪感を覚える。盲目的な眼差しは薄気味悪くて、今すぐにでも唾を吐いてやりたい気分だ。
「僕たちは、同じだったんだ」
 全部全部、同じだったんだ。
 歳も、生まれも、境遇も、呪われた身であるということも、全部全部同じだった。
「……ねえ、ちょっと、お前」「“ヒューイ”だよ」
 少年は強く言った。表情はどこかおぞましくて、思わずハレルヤは尻込みしてしまう。
「僕だって、“ヒューイ”なんだ」淡々と紡ぐように、ハスキーな声は空気を震わせる。「なんで、君だけ、そんなのずるいよ。君が先に抜け駆けしたのに。なにが“ハレルヤ=デッド”だ。なにが。嘘つきのくせに。僕たちはずっと一緒だったのに。なにもかも同じだったのに。君だって僕と何一つ変わらない。忌々しいやつなんだ。君だけ先にどっか行っちゃうなんて、そんな馬鹿なことったらない。なんで。なんで。なんで、僕じゃなくて、君なんかが」
 ハレルヤは心臓が冷えていくのを感じた。この薄気味悪い少年のことなどもう見たくもなかった。馬鹿みたいだと思った。心に燻るのは果てしない嫌悪感だ。その奥深くで疼く優越感と劣等感には気づかないふりをしながら、ハレルヤは呆然と彼の罵倒のような嘆きを耳に流し込んで行く。
 そうだったな。この少年も自分とはなんら変わらない、とてもとても嫌なやつなのだ。ペローで生きてきた、呪い持ちの、忌々しい人間。
 鬱陶しいと、そう思った。
 ハレルヤはぎゅっと唇を噛む。

 よかったな。本当に幸運じゃないか。
 お前には信頼を勝ち取れる言葉がある。
 私と同じなくせに、なんでお前なんかに。
 私じゃなくて、なんでお前なんかに。





貧しかった子供たち



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