ブリキの心臓 | ナノ

4


「顔に似合わず暴力的だね」
「貴方たちがそうしたのよ」アイジーは淡々と返す。「毎度毎度熱心にとても冷酷なラブコールをしてくれるものだから、乱暴になるしかなかったの」
 アイジーがそう言うと、二人は気まずそうに黙りこんだ。なんとも言えない眼差しを床の埃とも宙の塵とも知れない間隙へと向けている。アイジーはそれを責めるわけでもなく、少し寂びしそうな表情で見つめるだけだ。さっきまで割と明るかったはずの空気が重い夕焼けのようにどんよりとしてしまった。口の中に広がる唾の味はやるせなさと諦めにも似ている。息苦しそうに「そうだよな、有耶無耶にはできないもんな」と、最初に口を開いたのはシェルハイマーだった。ハルカッタもそれに倣ってこちらを向く。彼らにしては随分とまっすぐな目だった。しかしその目はどこか苦しげで、眩しそうにアイジーを見つめている。
 次の瞬間、二人はいきなり本棚に思いっきり頭を叩きつけた。衝撃と音が虚無的な空気に広がっていく。何冊か本が床へと落ちていった。アイジーはわけがわからなくなって、か細くも素っ頓狂な声を漏らしてしまう。暫くの無音。熟しすぎた秒間が終えた頃に、額をぴったりと棚にくっつけた状態のまま、シェルハイマーは囁くように言う。
「悪かった。本当にすまない。今までお前にしてきたこと、全部謝る」
 まさかいきなりこんなことをしてくるとは思っていなくて、アイジーは目を見開いたまま、なにを返すことも出来なかった。ただ呆然と、二人の少年が棚に頭を打ちつけた状態でいるという滑稽な様を見つめている。
「お前なんか痛めつけて……傷つけて当然だって、そう思ってたんだ。お前なんか本当に、死んじゃえば……」ハルカッタは呻くようにいった。「本当に、ごめん」
「死んじゃえばいい?」アイジーは苦笑交じりに言った。「本当に厄介で、小生意気で人でなしなのね」
「……悪かった」
「ええ、悪いわ」
 間髪いれずにそう返した。アイジーは肩を小刻みに震わせる。歯を食いしばるようにしてそれをなんとか押し殺した。興奮しているわけではなかったし、きっと胸の中ををどろどろと蠢くこの感情をぶちまけることだってしないに違いない。それでも蘇るのは、二人が自分の死を囃す瞬間で――ただなにも返せないままたった一人ぼっちで立ちつくしていた。そんなの、思い出すにも全然気持ちのいいものではなくて、アイジーはぎゅっと拳を握った。
「私きっと、今まで貴方たちに言われたこと、全部復唱できると思うわ。貴方たちの心ない一言のおかげで泣きそうになったことだってあるの。それを全部……たとえ謝られたって、私、許すことなんて出来ない。私は、貴方たちが大嫌い」
 たとえ今さっき仲良さげにしていられたとしても、それでも思いは変わらない。今までのことを思い出すと、胸を焦がすような嫌悪感が止まらなかった。
 ハルカッタはなにかを言うかどうか迷っているようなしぐさをした。それを見たシェルハイマーは一思いに口を開く。
「……シェルハイマー家が没落したのは、元はと言えば僕のせいだ」
 いきなり話が変わったかのように思えた。それでもシェルハイマーは有無を言わせぬ口ぶりで続ける。
「呪われた人間は、貴族の中じゃ爪弾きにされる。お父様は僕が呪われていることを必死に隠してた。けど、ある日、それを知ったシフォンドハーゲン家が、それを社交界に広めた。おかげで今や、うちは没落貴族だ」
 アイジーは目を見開く。しかしそれとほぼ同時に、ハルカッタも口を開けた。
「ハルカッタ家もそうだよ。シフォンドハーゲン家が真っ先に外来貴族と馬鹿にしてきた、だからうちはどこへ行っても白い目で見られる」
「……………」
「わかってる。お前は関係ない。だけど、やっぱり、シフォンドハーゲンは許せない。俺たちは、シフォンドハーゲンが大嫌いなんだ」
「お前にしてきたことは謝る。けど、許してもらおうとは思ってないよ。許さなくていい。俺たちも許さない」
 シェルハイマー家、ハルカッタ家。没落した星回りのよくなかった哀れな貴族、異国の血を嘲笑われる惨めな貴族――社交界ではすぐに嗤いものにされる可哀想な立場。アイジーはなにを聞くまでもなくそう思い込んでいた。そういうものだと思っていた。彼らだって元は、自分と似たような環境で育ち、家格を守るために勉学に励み、輝かしい富や期待に囲まれながら、将来の当主になるために誠心誠意尽くしてきたはずなのに。小生意気で人でなしで厄介で、そしてそうなってしまうまでに彼らを捻じ曲げたというシフォンドハーゲン家。
 アイジーは「そう」と肩を落としてやんわりと目を伏せる。
「私たち、大嫌い同士なのね」
「まあ……そうなるな」
「わかりきってたことじゃないか」
「それもそうだわ」アイジーは首を傾げて見せる。「でも、さっきまでの仲良しごっこは、とっても楽しかったわよ」
 アイジーがそう言った途端、二人は棚から顔を離す。にやっと悪戯っぽく笑っていた。乱れた髪の隙間から見える額は真っ赤になっている。シェルハイマーもハルカッタも、そしてアイジーも、楽しげに上げられた口角に全てを悟った。
「いけないなあお嬢様。もしかして危ない香りに酔っちゃったりしてるんじゃない?」
「危ない香り? ああ、そうかも。綺麗なものばかり好んでいると、腐ったものとかついつい味見をしたくなっちゃうのよ」
「けっ、これだからシフォンドハーゲンは嫌になるね」
「くそったれは黙ってなさいよ」
「おっ、とうとう汚い言葉を使いやがったぞ! 最高じゃないか!」
 ハルカッタは大きく手を打ち鳴らして囃し立てる。どこからか「うるさいぞお前ら!」と野太い声が上がって、三人はハッ口元を覆った。それからふと顔を見合わせて、またくすくすと笑う。
「さーて、この本をあっちの棚に戻してくるとするか」
「じゃあニヴィール、これも頼む」
「私も、これをよろしくするわ」
「おいおい、立ち上がった瞬間人気者じゃないか。嬉しくて反吐が出るよ」
「出してもいいけどちゃんと飲みこめよ。じゃないとまた、護衛官の餌食にされるからな」
「へいへい」
 ハルカッタは本を持っていこうとして、しかしその半分をシェルハイマーは奪っていく。なんやかんやで持って行ってくれるこの少年は、なんやかんやで手伝ってやるこの少年は、案外いい気性をしているのかもしれない。アイジーは馬鹿らしいなと思いながら蔵書をスペル順に並べていく。するともう去ったと思っていた二人が、ひょっこりと棚の影から行儀よく顔を縦に並べていた。
「さっさと行きなさいよ」
 アイジーが不思議そうに手をひらひらとさせると、二人はガムでも噛んでいるかのように口ごもった。眉を潜めてその唇が開くのを待っていると、その瞬間は突飛に訪れる。


「死んでほしいなんて、誰も思ってないぞ」


 急に、窓から洩れている光が、眩しく感じられた。逆光になる彼らの影はほろやかに揺れる。表情はわからないままに、アイジーはただ茫然としていた。
「おっ死ぬんじゃないぞ」
「死ぬ呪いだってだ」
「全然死ななくてそれでいいんだ」
「俺たちだからわかる。死んでほしいなんて、傷つけたいだけで、本当は誰も思ってない」
「俺たちが思ってないんなら、お前の周りにいる誰だって、そんなこと思ってないんだからな」
 その二つの影はすぐに立ち去って、今度からアイジーの目の前から姿を消す。
 彼らからは、何度も何度も死を囃されてきた。なにも知らないくせに。自分が災厄の子であることすら、知らないくせに。何度も何度も、まるでアイジーに心なんてないみたいに冷酷に振る舞って。それで自分は幾度となく死にたい気持ちを味わった。生きていてはだめなんだと思い知らされた。きっとみんなそう思っている。アイジー=シフォンドハーゲンなんて、死んでしまえばいいと――
 アイジーは丁寧という概念すら忘却したように、蔵書を投げ捨てて走り出す。書架棟の奥へと突き進み誰もいない場所を探した。眩しさに視界が潰れて、無人の庭へと出るバルコニーを見つける。そこにまっすぐ突き進んで、荒くなった息を意識した。視界は潰れたままだ。けれど眩しさじゃない。これは、この冷たい熱は――愚かな涙そのものだ。埃っぽい温度を振り払って清々しい空気に触れる。《オズ》の裏側にあたるであろうこの草色の目立つ空間からは、アンデルセンの街並みが見渡せた。アイジーはその場に力なくしゃがみこんで、押し殺していた声を開放して泣きじゃくる。
 あの二人からは何度も何度も死を囃されてきた。それで自分は幾度となく死にたい気持ちを味わった。生きていてはだめなんだと思い知らされた。きっとみんなそう思っている。アイジー=シフォンドハーゲンなんて、死んでしまえばいい。

――そんなこと、誰も言っていない。

 なんたる失態だと思った。まさかそんなことを、あの二人に気づかされるだんて。馬鹿馬鹿しいほど盲目的に死しかないと諦めて、ただ容易い自己犠牲に酔っていただけだ。それなのにシオンやブランチェスタやユルヒェヨンカまで羨んで妬んで、優しさや同情の全てを心の中で馬鹿にした。わからないだろうと、差別した。なにが“庶民だろうと没落していようと異国から来ていようと馬鹿にしなかった”だ。ただそれ以前から馬鹿にしていただけのくせに。無差別に無遠慮に、最初から周りを線引きしていたのだ。どうせと見限ったのだ。不貞腐れて、ただいじけて、自暴自棄になった馬鹿な子供。きっと無邪気に自分を信じてくれているであろう人たちに、どうしようもなく、謝りたくなった。

 もう、諦めない。
 死にたいだなんて二度と思わない。

 風船を割ってくれるのは結局のところ誰だったのか。作った人間か。始祖鳥か。北風か雨粒か。それとも自分自身か。もうそんなのはどうでもいい。どうでもいいから、神様、どうか私を生き延びさせてください。どうか幸せな命を、私とエイーゼに下さい。

 アイジーは泣きじゃくり続けた。
 わんわんと、はぐれた親を見つけた子供のように、ただ夢中になって泣いた。
 すると草むらからロバが現れて、その舌で涙を舐めてくれた。





靴紐は解けた



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