ブリキの心臓 | ナノ

1


「どうしたんだよエイ、そんな怖い顔なんかして。今のお前をイェルビンスキーやスワンの連中が見たらすぐにでも悪魔祓いを呼ぶに違いないぞ」
 そう言ったテオは皿に乗った七面鳥にガブッと噛みついた。そんな粗野な振る舞いなど出来るわけもなく、エイーゼはナイフとフォークでチキンをチャキチャキと切り揃えていく。一口啄めば程よいガーリックの香りとクランベリーソースの甘さが広がった。咀嚼しながらも、エイーゼの視線は半身である妹・アイジー=シフォンドハーゲンから揺らぐことはなかった。
 今夜のパーティーはアイジー=シフォンドハーゲンの初お披露目式となった。急に噂になりはじめた長年邸に匿われていた病弱な少女――受け入れられるか心配ではあったが、その前にオーザが危険とも取れる世渡りをしていたおかげもあってか、今やアイジーはパーティーの花形となっていた。
 誰もがアイジーを誉めそやし、その甘い笑顔を見て感嘆の溜息を漏らす、自ら発光するかのように煌めく双子の妹の周りには、とっくの昔に人だかりが出来ている。ついさっきジャレッドとのダンスが終わったところなのだが――だからこそ余計にだろう――可憐なその姿を自分と並べたいと、積極的にダンスを申し込む輩が増えた。当のアイジーは困ったように笑ってのらりくらりとかわしているが、あの調子ではそのうち折れるのは間違いない。我が儘で傲慢で、元来強気の質ではあるアイジーだが、流石に人見知りの気はすぐには抜けまい。人見知りだからこそ断り続ければいい、というものなのだが、あの人だかり全部を相手するよりは、誰か一人と踊ってひとまず人だかりから身を削ぐことを重視するアイジーだろう。もっと上手く断る方法だってあるだろうに、相変わらず不器用な奴だ――エイーゼはローズウォーターを一口飲んだ。
「あの馬鹿……まさかあのリラ=エーレブルーと話しこむとは。その隣にいるだろう、まずはミスタ・バッケンシュタインに挨拶を……ああもう違う、そいつは無視していい! そんなに微笑まなくてもいい、ほら……くそ、だから言っただろうに、手なんか握られて、馬鹿じゃないのか」
「俺からしてみればお前のほうが馬鹿だよ」
「おい、テオ、ちょっとあの男を睨んでくれないか? 多分いい毒になると思うんだ」
「せめて薬って言えよ、それでも俺の友達か? 第一、お前は過保護が過ぎるんだよ。あのくらいの社交は貴族として当然だろうが」肩を竦めてテオは言った。「解せないな。自分の妹があんなにちやほやされてんだぞ? 少しは誇らしい気持ちとかあるだろうに」
「それとこれとは別だ…………ああ、もう、見てられない」
「やめろ、今行くな、割と楽しそうに話してるだろ?」
「だが相手はあの奇人一族のエーレブルーだ」
「気にするな、妖精と話してるとでも思え」
「無理だ、もう限界だ」
「だからやめろ。お前の過保護が悪い方向に作用したら、明日からギルフォードじゃお前のニックネームはシスコン兄貴になるだろうよ」
 それを聞いてエイーゼは踏み出したい足をぐっとこらえた。
 それからアイジーの周りの人だかりを睥睨して、唸りかけた唇をつぐむ。
 こんなことなら社交界デビューはもっと後にすればよかったのだ。せめて来年、いや、自分たちが十七歳になるまで――いっそ社交界に出さなくたって構わなかった。いくらでも考え得る手立てにエイーゼは自分自身の詰めの甘さを怨む。
 アイジーにはまだ貴族としての分別が足りないように思うし、人見知りの気は抜けきっていない、ダンスから遠く離れていたこともあって幼少期に較べれば幾分かお粗末になっているし、即興で覚えさせたパーティー用のマナーもいつボロが出るかわからない。時期尚早だった。絶対にそうだ。アイジーはパーティーなんぞに来なくてよかった。エイーゼはギリッと歯を食いしばる。
 シャンデリアの下にいるアイジーは半身である贔屓目を抜きにしてもたいそう美しい。クリスタルの光がアイジーの真っ白い肌に輝きを落とし、その美しさといったら真珠の花びらさながらだ。くすんだスミレ色は稀なほどに艶やかで、まさしく周囲を虜にしている。形の良い唇から紡がれる天使のように優しい声は会話の主導権を得るに易い、聞き触りの好いそれだ。人形のように着飾られた双子の妹は、まぼろしく綺麗だった。その様にオーザやイズが満足しているのは百も承知だし、イズの高笑いの幻聴すら聞こえてきたくらいだ。オーザに話しかける人間は皆一様に“お姫様のような娘ですね”と言うし、オーザも易々と頷いて“甘やかしただけはありました”と返す。潤滑油として、最早エイーゼ以上の働きを果たしたアイジーは、オーザの機嫌をひどく煽った。向こう一ヶ月は好きなだけストロベリークーヘンを食べさせてもらえるに違いない。
 けれどエイーゼの内心は喜びよりも焦燥や不満のほうが目立った。
 いつアイジーがヘマをするか。
 いや、現在進行形でもうしている。
 あやふやに象られた苛立ちにエイーゼは眉を寄せながら、美しい半身の姿を見据えた。
「…………ん?」
 すると、どうだろう。いきなりアイジーが人だかりに頭を下げた。これは挨拶をしているふうではない、なにかを詫びているようだった。キューティクルがきらきらと閃き、細い首は小刻みに折られていく。その間に、アイジーはエイーゼに近づいてきていた。小走りにこちらに向かう妹に、エイーゼは首を傾げた。
 ようやっと人だかりから身を削ぎ落としたアイジーは、エイーゼの名前を呼びながら微笑んだ。それからうきうきとした声で「なにをしているの」と言う。
「なにって……見ればわかるだろう。七面鳥を食べている」
「私が挨拶回りに大変だった間に、随分と悠長なことじゃない」
「……言っておくがお前が大変と言ったことの全てを、僕はとっくの昔に済ませてるんだ」
「あらそう」
 自分で話を振ったくせに淡白な返事だった。それもその筈、どうやらアイジーにはちゃんとした用事があったのだ。そのためにさっきまで笑顔を振り撒いていた人だかりを捨て去って、エイーゼの元まで来た。
「ねえ、エイーゼ」
 エイーゼの手を両手でぎゅっと握った。甘く微笑みながら、熱っぽい声で囁く。
「踊りましょう!」
「は?」
 いきなりのことにエイーゼはあっけらかんとした。目をぱちくりとさせて「なんだ、いきなり」と呟く。
「いいじゃない、私、エイーゼと踊りたいのよ。そのためにそこな人達のお誘いを片っ端から断ってきたんだからね」
「僕をだしに使ったか」
「違うわよ」アイジーはエイーゼの手を引いた。「とにかく踊るわよ。じゃあごきげんよう、テオ」
 アイジーは強引にエイーゼを引きずる。エイーゼはほとほと愛想を尽かしたと言いたげに肩を落とした。
 まったく、これだから。社交も礼儀もなにもない。相変わらず我が儘を押し通す。なんて傲慢で馬鹿な妹なんだろう。
 ――そうは思いながらも、笑っている自分に気がついた。
 曲が始まると同時に、アイジーの体を抱き寄せる。ふわりとドレスが揺れるとダンスの始まりだ。周りの視線が一気にこちらへ向いたのがわかった。アイジーは楽しげに微笑んで、自分の名を呼んでいる。

 今ここに、アイジーがいる。

 幼いころはずっと、アイジーもパーティーに来ればいいのに――と、エイーゼは思っていた。エイーゼと同じくらいに着飾ったアイジーは素晴らしい待遇を受けるだろう。そのシルバーブロンドを誰もが褒めたたえ、くすんだスミレ色の目に誰もが夢中になる。愛らしく美しいこの妹は一気に注目の的となって、誰もがアイジーをダンスに誘うだろう。けれどアイジーはその全てを拒絶して、私エイーゼと踊るの、とエイーゼに手を差し延べるに違いない。ひらりと花のようにアイジーを回してあげて、豊かな曲に合わせてリードしてやるのだ。疲れたというのならダンスを辞めて、レモネードでも取りに行ってやればいい。万一にも疲れることはないだろう――身体が弱いこともあって、音をあげるのはいつもエイーゼだ。そんなエイーゼにアイジーは“頼りないわね”と微笑むのだ。この半身がいるだけで、どれほどパーティーが華やぐだろうか。エイーゼは名門学校に通っている、学校でできた貴族友達もみんなパーティーに参加する。アイジーがいないことで特別寂しく感じたことはないが、男女含めた友達を並べても、誰ひとりとしてアイジーよりも輝くような子はいなかった。来ればいいのに、そうしたらきっと、アイジーは誰よりもお姫様になれるのに。

 誰よりもお姫様だった。

 ずっとずっと、思っていた。願っていた。あれだけ一緒にパーティーに来ればいいのにと思っていた少女が、今日、ようやっとここにいる。
 もう全てがどうでもよくなった。
 社交も礼儀もなにもいらない。明るいシャンデリアの下で自分と踊る最愛の妹がいる。それだけでもう満足だった。





アッシェンプッテルの君



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