ブリキの心臓 | ナノ

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「だからあれほどやめておけって言ったのよ。指揮棒を振るように剣なんか握っちゃって、時計の針を五分ほど前に巻き戻して“目を覚ましなさい”って貴方の頬を引っ叩いてやりたいわ」
「それ以上言ってやるなよアイジー、エイだって雄の孔雀みたく妹にかっこいいとこ見せたかったのさ」
 芝生に横になって苦渋そうに自分を見上げる半身の髪を、アイジーはゆっくりと撫でた。怒りとも羞恥とも取れない微妙な色合いの朱がエイーゼの頬に散っていた。彼の濡れたバイオレットグレーの瞳には呆れ返った自分自身の顔が映っている。まさか相手のお転婆を叱責するような日が来るだなんて夢にも思わなかった。
「エイーゼ、本当に大丈夫? 顔色悪いみたいだけど」
「あ……ああ……大丈夫だ、ジャレッド」
「アイジー、ここにハンモックとかねえの? 芝生よりもマシなベッドとか用意してやったほうがいいと思うんだけど」
「いや……いい、マッカイア……気遣ってくれてありがとう」
「アイジーの兄貴ってーからもっと水牛みてえなの想像してたけど、随分とひ弱いな、死んじゃわねえか心配だ」
「生れつき体が弱いのよ」苦しいところを突かれたと思いながら、アイジーは冷静に切り返した。「エイーゼ、レモネードでも持ってきましょうか? それともチェリーカットに部屋まで運んでもらう?」
「いい、このまま横になっていたら少しはマシになるだろうしな……」
 テオはエイーゼが使っていた練習用の剣を剣立てに収める。顔にはアイジーと同じくらいの呆れが滲んでいた。
 シフォンドハーゲン邸。ブルースターやコスモスが風に揺れ、大きな一本樹が威厳を放つ庭。そこで彼らは剣術の稽古をしていた。騎士の家系に生まれ剣術の嗜みがあるジャレッドと剣術クラブに所属するテオはよく二人で修練することもあったのだが、それにブランチェスタも加わり、今回はそれを聞き付けたアイジーが三人の剣術を見てみたいと言い出し、ではシフォンドハーゲン邸で修練すればいいと提案したのがエイーゼだ。アイジーはブランチェスタをエイーゼに紹介出来るいいチャンスだと思ったし、ジャレッドたちも難なく了承した。しかし問題はここからだった。ジャレッドやテオが剣を振るい始めた途端、エイーゼもやると言い出したのだ。友人に退け者にされたせいかは知らないが、テオと決闘方式で演習させろと言う兄を、アイジーは躍起になって止めた。しかし彼は聞く耳を持たず、決闘中に貧血を起こし、今に至るというわけだ。
 スイートアッサムの横に寝転ぶエイーゼに、アイジーは強く言った。
「もう無茶はやめなさいエイーゼ。昔に比べて体が丈夫になったとはいえ、貴方はまだ弱いんだから」
「……僕だって大丈夫だ」
「えーえ、そうでしょうとも、貧血起こして倒れちゃうくらいには大丈夫なんだわ」アイジーはこまっしゃくれた言い方をしてエイーゼを諌める。「第一、エイーゼって剣術なんてしたことあるの?」
「授業で習った」
「まあ、呆れた。それだけじゃない」
「お前なんて、触ったこともないだろう」
「剣よりも鋭い爪なら」引っ掻かれたが正解だが。「触ったことあるわよ」
「馬鹿馬鹿しい。剣よりも鋭い物なんてあってたまるか」
(実にその通り)
 急にしゃしゃり出てきたジャバウォックにアイジーはぎょっとしたが、すぐに平静を取り戻し無視することが出来た。周りに不信感を抱かれることなく会話に戻る。
「あら! 私は貴方も知ってるもので剣よりも鋭いものを一つ、知っているわよ」
「なんだ、言ってみろ」
「テオの眼光」
「は?」
 エイーゼやジャレッド、ブランチェスタが噴き出すのと、テオがいきなりの振りに眉を潜めたのは同時のことだった。テオは「おいおい」と徐に近づく。
「お前らそんなに俺を悪人面にしたいのか?」
「したいんじゃなくて、テオドルスの場合本当にそうなんだよ」
「気をつけろよシベラフカ、あんまり虐めたことを言いすぎるとミス・メドゥーサ並の鋭い目つきで石にされるかもしれねえぜ?」
「うふふふっ、どうしましょう、きっとテオったら今にも、斧の頭が柄から抜け飛ぶように怒りだしてしまうんでしょうね」
「そういえばこの前テオに睨まれたダージリン=グレイスが全治一週間の怪我を……」
「あれはよそ見してたダージリンが一人で勝手にドジ踏んで階段から落ちただけだろうが、俺を黒猫扱いするなっての」
「あーら! 睨んだっていうのは否定しないのね」
「下げ損なった揚げ足を取るな」
 ひとしきり笑い終わったあと、ブランチェスタは急に動き出す。なにをするのかと思ったら剣術の稽古に使っていたという木剣を掴んだ。するとなにかを察したようにジャレッドも動き出す。彼も剣――しかし木剣ではないもの――を剣立てから掴み取る。
「ちょっと……ねえ、まさか」
「言いたいことは」ジャレッドはくるりと柄を回し、静謐な声で言う。「わかるよ、アイジー。マッカイアが心配なんだろ?」
 簡素な言い方で的確に告げるその声にアイジーは一瞬身を強張らせた。深海のように青い目がゆっくりと細められる。
 ブランチェスタは二本の三つ編みをぐるぐると鬱陶しくないように結んでいる。もう少し対処のしようがあるだろうに、強引なやり方にほんの少し苦笑させられた。
「その心配がいらないっていうのを見せてやるよ」
 ブランチェスタはジャレッドから剣術の稽古を受けているとはいえまだ初心者には違いない。おまけにブランチェスタが木剣であるのに対し、ジャレッドは紛いなりにも剣だ。一体どういう流れでこんなことになったのかとアイジーは目眩がした。テオは口笛を吹きながら観戦しようとしているし、エイーゼも上体を起こして二人を見つめている。
「マッカイア、ハンデは?」
「いらねえ」
「だと思ったよ」
 大丈夫。いくらなんでもジャレッドがブランチェスタを傷つけることは有り得ない。初心者に手加減をしないようなジャレッドではないし、いくらなんでもあのブランチェスタだって無茶はしない筈だ。それはわかっている。けれど、ジャレッドがブランチェスタと対峙し剣を持って体勢を低くするのを見ているのは辛かった。
 ブランチェスタは涼しい顔で優しく微笑んでいる。手に掴んだ木剣は決闘には相応しくない握力でゆるりと傾いている。その構えにアイジーは一層不安を強くした。ジャレッドのほうに視線をやってみるも、予想に反して彼は彼で手を抜くような姿勢ではない。アイジーは身を竦めるように二の腕をぎっと抓った。
 ジャレッドはすっと全身してブランチェスタの左側へと移動する。ブランチェスタは動かなかった。ジャレッドはするすると獲物を追う獣のような足取りで確実にブランチェスタへと近づいていく。ジャレッドがトンと跳躍してブランチェスタに切り掛かる。突然ブランチェスタはジャレッドの背後へと踊り出る。あまりにも自然で、動いたことすら忘れてしまいそうなほどだった。アイジーは目を見開く。
 ジャレッドはぐるりと向き直って、またブランチェスタに飛び掛かる。しかしブランチェスタはくるっと回転するように避けてジャレッドの隣に並んだ。ジャレッドは嬉しげに口角を上げる。ブランチェスタも声をあげて笑った。
 そこからは目まぐるしい四季の移り変わりのような応酬だった。ジャレッドが肉薄していくとブランチェスタは更に素早く動き始める。何度も襲い掛かるジャレッドの剣捌きを小憎らしいほど優雅にかわし、時には木剣で刃渡りを滑らせながら器用にも斬撃をすり抜けていた。ぴょんと背中を飛び回る動きは猫さながら、二人の掛け合いはひらひらと美しい蝶のダンスだ。身を翻し、あっという間に跳んで、すっと手足を丸める。ブランチェスタは決して剣を振らない。あくまで避けるだけだ。それでも、その身のこなしはアイジーだけでなく、エイーゼやテオまで食い入らせるだけの、麻薬なんかにも似た凄みがあった。
「……すごいわね」
 気づけばアイジーはそんな言葉を紡いでいた。楽しげにくるくると回る二人を見つめて肩を揺らす。エイーゼはそんなアイジーの横顔を見た。テオはジャレッドたちに釘付けになっていてこちらには気づきもしない。エイーゼは小さく口を開いた。


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