ブリキの心臓 | ナノ

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「えっ、“呪いと向き合った”……? アイジーの呪いに限ってはそんなの無意味なんじゃないの?」
 ユルヒェヨンカの蕩けるような言葉はアイジーの全身に真っ青な雷を走らせた。碧かった葉も熟れるような赤へと染まってきた、とある日のことである。
 シオンの件も一段落して暫く。好奇心が爆発していそうなユルヒェヨンカに、約束通り、アイジーの呪いについてのあれこれを説明することになった。丁度の機会でもあるし、ブランチェスタにも知っていてもらおうと、アイジーは三人が《オズ》に揃ったタイミングを見計らってあ、る程度のことを打ち明けることにしたのだ。
 《ジャバウォックの呪い》の内容、呪解方法がなにもないということ、バクギガンから教えてもらった呪いと“向き合う”ということ、自分やバクギガンが災厄の子だということは上手く伏せて、二人の知りたがりそうなことを語る。二人は真剣な面持ちで聞いてくれたし、アイジーが死の呪いに犯されていると改めて認識したときには胸を痛めたような表情だった。
 全てを語り終えた開口一番、ユルヒェヨンカはなかなか的を射た、しかし、アイジーにとっては元も子もない発言をしたのだ。ブランチェスタも微妙そうな表情でユルヒェヨンカを見つめている。アイジーはスズで出来た玩具のようにぎくしゃくした動きでユルヒェヨンカの肩を掴む。
「えっと……それは……なんで?」
「なんでもこうもないじゃない、アイジー。よく考えもしないで手放しで喜ぶなんて……貴女って甘い、本当に甘いよ、ストロベリークーヘンよりもよっぽど甘いね」
 まさかユルヒェヨンカにこんなことを言われる日が来るとは。
 アイジーは詰まったように言葉を失くす。
「だってねアイジー、バクギガン教授の場合は“命令に逆らった人殺してしまう”呪いじゃない? つまり対外だけに影響があり、自分には害のない呪い。この場合は向き合うことは大事だと思うの。“命令に逆らった人を殺してしまう”結果を生み出すのが呪いなんだから、制するべきは呪いだよ」
「え、ええ」
「でもアイジーは違うでしょ? アイジーは死の呪い……“殺される”呪いなんでしょ? この場合殺されるのはアイジーで影響を与えられるのもアイジー、つまり自分自身であり呪い自身なのね。ジャバウォックの呪い自体がある意味被害者だってこと。受動側で受け入れあっても無駄っていうか無意味っていうか……うん……ジャバウォックの呪いと向き合ってもあんまり意味はないんじゃない? 向き合うなら自分を殺す赤の他人とでしょ」
 ユルヒェヨンカの言いたいことはよくわかる。
 ブランチェスタも「なるほどな」と溜息をついた。
「確かに、バクギガン教授の場合は呪いと向き合うことで呪いの効果を無くすことが可能だけど、アイジーの場合は呪いの結果を生むのが呪い自身じゃないから、向き合っても呪いの効果は変わらない」
「そう、そうなの。そこなの。私の感覚としては、ジャバウォックの呪いが与えるのは運命であり結果じゃないんだよね」
「あたしもそれに同感だよ、ユルヒェヨンカ、お前って結構賢いな」
「えっへん、もう《脳なし》じゃありませんから!」
 ユルヒェヨンカはきゅっと腕を組んで威厳そうな表情を浮かべる。慣れないんだか似合わないんだかでかなりの違和感を感じ、アイジーとブランチェスタはかすかに笑った。
 しかしだ。ユルヒェヨンカの割と的確な仮説が本当なら、アイジーがこの春夏と積み重ねてきたものは一体なんだったのだろう。オーザやイズの二人に“呪いを解くに一歩近づいたわ!”と言ってしまったのにこれではただの馬鹿だ。してやられた。問題はちっとも片付いていなかった。的外れな苛立ちをユルヒェヨンカに向けかけたが、彼女には何一つも悪意がないことを思い出し、自分の軽率さを恥じながら静かにうなだれた。
 早く呪いの解明をしなければならないのに、災厄の謎を解かなければならないのに、全ては振り出して出し切っていた。向き合うことが無駄ならあとはどの方向から攻めればいいのか。早く考えないと、早く解決しないと、災厄の自分は大事な半身を今にも殺しかねない。
「死の呪いかあ……」
「そうよ、ブランチェスタ」
「アイジーは……いつか死ぬかもしれないのか……」
「……やだなあ」
 しんみりとしだす二人にアイジーは励ますように手を振る。なんとか明るい方向に持って行きたくて「気にしないで!」だの「二人には関係ないんだから!」だの言葉を並べるけれど、それはちっとも役に立たなかった。役に立たないどころか、二人の顔はますます曇っていく。アイジーはどうしようかと頭を垂れた。ブランチェスタは、溜息をつく。
「あのな、アイジー、あたしもユルヒェヨンカも死の呪いに関してはちんぷんかんぷんだ。お前があたしたちにしてくれたようなことは何一つ、あたしたちはしてやれない」
「……私だって、貴女たちになにもしちゃいないわよ」
「嘘つき」ユルヒェヨンカは笑った。「私に、能なしじゃないって言ってくれた」
「あたしに魔法をかけてくれた」
「……それは、偶然でたまたまで……ブランチェスタだって“運命の王子様”と上手くいったのは貴女が頑張ったからだし、それにね、私は」「とにかくな、アイジー」
 ブランチェスタは強い眼差しでアイジーを見つめる。
 アイジーは黙りこんだ。
「あたしがなにを言いたいかっていうと……無茶苦茶なことを言うな」
「私が? いつ言ったの?」
「さっき」ブランチェスタは続ける。「気にするな、って。二人には関係ないって」
「……………」
「気にするし、気にかけるし、気に病むよ、あたしたちは。関係ないのはまあしょうがない、あたしやユルヒェヨンカはアイジーじゃねえし、アイジーが死のうがあたしもユルヒェヨンカも死なない。そう死なない、死なないから、関係ないから、そんな当たり前のこと言われると寂しいんだよ」
 アイジーは思い出した。ブランチェスタとまだ仲が良くなかったころ、ブランチェスタに憧れるままでしかなかったころ、ブランチェスタの家庭のことを知って話しカけようとしても“関係ない”と言って撥ね退けられた寂しさを。
「あたしが言うのもおかしいけど、関係ないやつにお前には関係ないって言うことって、本当に残酷なことなんだと思うぜ。関係ないことなんて百も承知でやってんのに、相手にまでそう言われちゃもうどうしようもない」
「あのね、友達の少ないアイジーにはわかんないかもしれないけどね」なんだって、とアイジーが反応する間もなくユルヒェヨンカは続ける。「友達がいなくなっちゃうのが辛いって思うのは、当たり前のことなんだよ」
 アイジーのくすんだスミレ色の瞳が陽炎のように揺れた。そして少しだけ俯いて、形の良い唇を噛み締めて、瞳に涙を溜める。
「わっ……私も……二人と離れたくないわ」ぐずって震える声を涼やかに張らせる。「私ね、友達を家に招くのが夢だったのよ、それから一緒にお洋服やお化粧の話もしたいわ、あとね、友達の家に泊まりたかったの、他にも一緒に劇場へ舞台を見に行ったり、アンデルセンのお店を巡ったり、誕生日にはプレゼントを贈りたいし、それに私も貰いたいわ、十六歳の誕生日に、ちゃんと、形に残るようなものが……」
 十五回の凍てつく花と、十五回の麗かな木陰と、十六回の劈く日差しと、十六回の紅い木々を見た。十五回だけで終わるはずだった時計回りは十六回目を刻み始めている。アイジーは祈っていたのだ、もしかしたらこのままずっと――エイーゼとも、ユルヒェヨンカやブランチェスタやシオンとも一緒に、笑い合える日が続くのではないかと。
 アイジーは二人の体をぎゅっと抱きしめて「ごめんなさい」と言った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私死ぬかもしれないの、貴女たちと一緒にいたいのに、死ぬかもしれないの、関係ないところで死ぬのよ、こんなに大好きな貴女たちを置いて、勝手に、でも、だから、もしも私がいなくなったらたくさん泣いてちょうだいね、そしてもし、私が貴女たちとずっと傍にいれたなら、私が言ったこと全部、一緒にしましょうね」
 呪いは、解けない。
 向き合うことも、無意味だった。
 災厄の子であることも変わらない。
 自分も半身もいずれ死んでしまう。
 これからどうすればいいのだろうと考え腐りながら、アイジーは二人に微笑みかけた。





上手くいかない



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