ブリキの心臓 | ナノ

1


「テオドルス、彼女がブランチェスタ=マッカイアだ。マッカイア、こいつはテオドルス=ボーレガードだ」
 不遜に首を傾げて胡乱な目で見下ろすテオドルスに、くいっと拗ねたような眉を寄せて上目遣いに睨むブランチェスタ。剽悍な双眸を交差させる二人にジャレッドは面倒臭そうに眉を潜めた。内心でもやはり面倒臭いという感情が油を注したばかりの歯車のような滑らかさでぐるぐると渦巻いていた。
 シベラフカ家の人間たるもの剣術を心得ておくこと――これは未来シベラフカ家に嫁ぐことになるであろう婚約者の立場にも同等のことが言え、つまりジャレッド=シベラフカの婚約者と相成ったブランチェスタ=マッカイアも同じことが当て嵌まった。
 それからというもの暇を見つけてはシベラフカ邸に赴いて、ジャレッドの剣術の指導を受ける、そういうルーチンをブランチェスタはこなしている。まだ未熟な自分が教えるのもどうかとジャレッドは最初首を捻らせることもあったが、今となっては当たり前になっていた。元々身のこなしが素早く軽やかなこともあってか、ブランチェスタは覚えが早かった。剣を持つこと自体にはまだちいとも慣れないが、ジャレッドの剣捌きを然も軽々と見切るのはまたとない才能だろう。教鞭することに対し少しの嬉々を感じ始めたときに、現在のようなことが起こってしまった。
 今日も今日とてブランチェスタはシベラフカ邸に招かれ、中庭でジャレッドに剣術を指南されていた。
 腕の力が足りないこともありまだ本物の剣は持てないが、木刀程度ならすらすらと振り回すことができる。普段箒を持ち歩いていることもあって、長い棒を持たせれば様にはなった。
 ジャレッドがブランチェスタに簡単な姿勢移動を教えていたとき――屋敷から見慣れた人影が現れる。
 予想を、しておくべきだったのだ。
 そういえば昨晩ジャレッドの父であるダレッドも言っていた、“客人が来る”と。なんでも騎士の家系であるシベラフカ家に護衛を依頼したいとかで、わざわざ邸まで足を運んくるらしい。時々あることだった。他国のお偉方なんかの相手をするときはその道中に護衛として雇われる。一端の行商人ならば安い傭兵を雇ったり犬を飼ったりするのだが、体裁というものが大事なときもある。身分が高ければ高いほど、家の鍋を鎧代わりにしたようななりきり騎士よりかは、古くから信頼もあり、銀の剣似合う正統な筋に頼みたいと思うだろう。商人ならば尚更だ。交渉相手の目から見ても一目置かれるような護衛が必要なときもある。だからこそ、ちょうど来ていた。護衛としてシベラフカの人間を雇うため、シベラフカ邸に来ていたのだ――大貿易商・ボーレガード家が。
 レオナルド=ボーレガードとダレッド=シベラフカは旧知の仲であり、古くからの友人だ。そして、その子であるテオドルス=ボーレガードとジャレッド=シベラフカも、古くからの友人だった。だからと言って、まさかレオナルドに着いてくるだなんて、ジャレッドは思っていなかった。それは、ジャレッド自身が親同士の交渉ごとに付き添う人間でもないため、考えの及ばない出来事であったというのもある。そもそも、レオナルドが許すとも思っていなかった。レオナルドはよく彼のことを“気品を持て”と叱るが、これはもしや、父親であるレオナルドの責任ではないのかと感じる。親子共にふざけている。ボーレガードの人間は“シベラフカは頭が固い”などと言うがボーレガードがタコのように柔らかすぎるだけた。なにをしているのだろうと呆れさえ呼ぶ。あくまで仕事の都合で来るのだ。それくらいの意識は、あると思っていた。テオドルスがいつものように軽薄な態度で“あっ、じゃあ俺も行く”と言い出すなんて思ってなかったのだ。けれど、彼はそんなジャレッドの想像通りにいくような男ではない。風見鶏よりも移ろいやすい興味心を持つ、秋の空よりも変化の烈しい気まぐれ屋――テオドルス=ボーレガードはそういう人間だ。
 だからこそ彼は、今ジャレッドの目の前にいる。
「ほら……紹介状はボーレガードにだって送っただろ。彼女だよ、テオドルス」
「あれだろ、ミス・婚約者……いや、婚約者にミスつけるのもなんかおかしいか」
「マッカイアは……アイジーから聞いたりしてないか? こいつのこと」
「いや、全ッ然知らねえな。名前だって初耳だ」
 そのぶっきらぼうなブランチェスタの答えに、テオドルスはさらに顔をムッとさせたが、ジャレッドは見ないふりをして小さく唸った。
「……あーあ」
 実を言うと、この二人をあまり引き合わせたくなかった。
 婚約者が出来たと手紙を出しただけで、ギルフォード校で散々からかってきたテオドルスのことだ。その婚約者本人を目の前にして、なにを言いだすかわからない。
 それにブランチェスタは貴族を嫌っている。自分だってそれなりの階級にいるだろうに、これまでマッカイア家で酷い扱いを受けてきたためか、マッカイアの三人ごと、上位階級の人間を拒むようになった。それは、現在では彼女の親しい友人のくくりに含まれる、ジャレッドの友人の双子の妹との間にあった、すれちがいの件でも、例を伺える。考え方も庶民寄りだし、もしかすると庶民なんかよりも庶民らしい。近頃は、以前よりかは灰をかぶっていることはなくなったものの、未だに着ている服はマッカイアの人間とは思えないくらい質素なものだった。
 ややこしいことになる。
 きっと面倒なことになる。
 そう思って忌避していたことが、現実となって、目の前にあった。
 案の定、ブランチェスタはテオドルスに気に食わなさそうな眼差しを向けているし、テオドルスはブランチェスタを怪訝に見据えている。
 しくじった、と吐息しながら、ジャレッドは自ら緩和剤になることを決意した。
「ジャレッド、なんだこの生意気そうな女、ずっと睨んでくんだけど」
「お前だって悪人面だ」ジャレッドは続ける。「その顔面をしまってから言えよ」
「俺の顔をなんだと思ってるんだ、ランチョンマットじゃないんだぞ」
 あーもう、うるさい、ちょっと黙れよ。
 らしくもない投げやりな態度をとったあと、ジャレッドはブランチェスタのほうを振り向く。
「悪いなマッカイア、こんな邪魔が入って」
 そう言うと、ブランチェスタは少し目の威嚇を和らげ、ジャレッドに向き直った。
「……こいつ、アンタの友達?」
 どこか思うところがあるかのような表情だった。
 ジャレッドは不思議に思いながらも「まあね、遺憾ながら幼馴染みってやつだよ」と答えた。
「聞いたか我が友。“こいつ”に、“アンタ”ときた。マッカイアの娘だと聞いてたが、なんだこの口の悪さは、野生児じゃないのか?」
「テオドルス、怒るぞ」
 そのとき、思慮深そうな、そして柔らかい笑みを浮かべ、ブランチェスタは口を開いた。
「……お前さんがなにを見てマッカイアの淑女たるかを思いこんでいるかは知らないが、あたしのお姉様方だって、十分、海の野生児顔だろ」
 その言い草にジャレッドは思わず噴き出してしまった。いきなりのことに抑えが利かず、肩も震えこんだ。初めにマッカイアの姉二人を海の生物に喩えたのは誰だったか。いまでは頻繁に取り扱われる、隠語のジョークである。
 テオドルスは一瞬ぽかんとしていたが、すぐになにかに気づいたようにブランチェスタに人差し指を向ける。それから「お前、わかったぞ」と驚いたように言った。
 ブランチェスタはぱちぱちと目を瞬かせる。
「ブランチェスタ=マッカイアって、お前、あのフランチェスカ=マッカイアの娘だろ!」
 テオドルスの言葉にジャレッドの肩の震えが止まった。ブランチェスタはテオドルスに「あたしのこと知ってるの?」と呟くように言う。
「知ってるもなにも……いや、紹介状のときに気づくべきだったな。聞かない名前だと思ったんだ。お前があの、バルテロとフランチェスカの忘れ形見だな」
 ジャレッドは言い知れぬ感情を抱いてテオドルスを見つめる。それはジャレッドが他人に抱くものにしては些か灰汁の強すぎる感情だった。
「……うん。そう」
 ブランチェスタはひどく驚いて、そして嬉しそうに笑ってテオドルスに返した。さきほどよりもずっと棘が抜けているように感じられる。
「なんだ、もしかしてお前ら剣の練習してたのか?」
「まあね……マッカイアに教えてたとこ」
「アンタも剣触れんの?」
「“アンタ”はやめろ、名前呼びでいい」
「オッケイ、テオドルス」
 ジャレッドは胡乱な目をブランチェスタに向けた。
「あたしのことも名前呼びでいいよ。さっきは悪かったなテオドルス」
「こっちこそ、ブランチェスタ」
 ジャレッドはまた、胡乱な目をテオドルスに向けた。
「で、だ。さっきの質問の答えだが、勿論俺は剣を振れる。まあジャレッドほどじゃないにしろな。クラブにも通ってんだぞこっちは」
「クラブって、学校のか?」
「他になにがあんだよ」
「お前なら地下の薄暗いところでトランプに勤しもうが怪しまれないだろうぜ」
「お前は俺を一体なんだと思ってるんだ」呆れたように手を広げて肩を竦める。「まあ見てろよ、ギャンギャンに振り回してやる」
「剣がすっぽ抜けて空に突き刺さったらどうしてくれんだ?」
「そうじゃないところを見せてやるっつってんだよ。木の棒振って満足してるお嬢さんは黙ってな」
 そう言ってテオドルスは、中庭の草畑を踏み込み、剣の立て掛けてあるほうへ突き進んでいった。飴色の髪が日差しで金色に見えるのを、ブランチェスタは楽しげに見つめる。
「……機嫌、なおったの?」
 ジャレッドは静謐な声でブランチェスタに尋ねる。
「あたしも、子供だった。危うくアイジーのときみたいなことになるところだった。あいつ、案外面白いやつみたいだし、あたしのこと覚えてくれてたみたいだし」
 ジャレッドは相変わらずの無表情でその声に耳を傾ける。それからほどなくして「テオドルス」と奥の友人に投げ掛けた。
「どうせなら決闘方式でいこう、僕が相手になる」
「は? お前俺をこてんぱんにのしてそんなに楽しいのか?」
「ハンデならつける。僕は一歩も動かない」
「言いやがったな!」テオドルスは陽気に笑って、剣をもう一人分手に取った。「負けたら明日の授業で俺のノートを取ってもらう。誓え」
「誓って」
 ジャレッドが頷くのを確認したあと、テオドルスは、位置につくために数歩奥へと下がる。
 ブランチェスタは嬉々とした緑色でジャレッドに言った。
「あたし、決闘を見るの、初めてだ」
「そうだろうね」
 ジャレッドは返す。それから着ていたジャケットのボタンを一つずつ外していった。中庭の奥では、テオドルスがまだかまだかと急かすように腕をぶらぶらとさせていた。その様子にブランチェスタはくすくすと笑う。
「……テオドルスはボーレガード家の息子だ」
「あ?」
「君の嫌いな貴族だよ」自分のことすら棚に上げて呟いた。「いいの?」
 ブランチェスタは強く頷いた。
「いいよ」
 コルクブラウンの三つ編みがふんわりと揺れた。それから優しげに微笑んで、春風のように柔らかく言う。
「アンタが好きなものは、あたしだって好きになるんだ」
 ブランチェスタは地面に座りこむ。細い手足は寛ぐようにあぐらをかいて、まるで口笛が聞こえてくるような背中は小さく体を揺らす。
 少しだけ黙りこんでいたジャレッドは、脱いだジャケットをブランチェスタに預ける。彼にしては緩慢な動きのように思えた。ブランチェスタが見上げた彼の顔は逆光になって見えない。けれど、彼は、テオドルスの元に向かう前に、深いテノールで囁くように彼女に言った。

「あんまり好きにならないで」





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