ブリキの心臓 | ナノ

1


「さあ、シオン……白状してもらうわよ。この数日間貴方が私にしてくれた所業の真相を」
 アイジーはユニコーンの角で買ったチョコレートマシュマロをもふもふと頬張りながら、じとりとした目をシオンに向けた。
 今日、アイジーとシオンはアンデルセンにいる。シオンにとっては“今日も”と言ったほうが的確だろう。慣れ親しんだ土地を巡り、アイジーのご機嫌取りをしている真っ最中だった。
 昨晩なんとか互いに整理をつけたあとに、アイジーは今日この場のセッティングを設けることを要請した。シオンとの仲を修復出来たのは天国に召されるほど嬉しいことだったが、そもそもの事の発端を聞かないことには納得出来ないことが多々あるのだ。
 天気もよく、風は爽やかで、まさにお出かけ日和だろう。アンデルセンの豊かな色彩を放つ石畳はキラキラと光り、蝶の模様をした鳥たちは忙しなく低空を飛んでいた。建ち並ぶ店に目を奪われてはいろんなものをシオンにおねだりするアイジー。ココアシュガーをたっぷりと塗した揚げパンに桃と葡萄のミックスジュース、挙げ句の果てには“マッカイア”で新しい指輪が欲しいというアイジーにシオンはかなり手を焼いた。叶えられるだけのおねだりを全て叶えたあとのアイジーの言葉に、シオンは「うんー……」と話し辛そうに眉を下げる。
「なによ、そんなに話したくないっていうの?」
「いや、そういうわけじゃないさ…………あっ、どうだった? ユニコーンの角のラスク」
「とっても美味しいわ。今まで甘いものが多かったけど新しい味を取り入れたのね」
「ヨンカに相談されてな、俺とブランチェスタとスタン考案だったりするんだ。俺がトマトチキン、ブランチェスタがコンソメ、スタンがオリーブバジル」
「私と友達をやめてたときでもその三人とは話してたのね!?」
 話を逸らすどころか更に悪化させてしまった事態にシオンは「うぐっ」と苦々しい顔をした。アイジーは明らかな怒りを目に宿しているしこのままではこっちが食われそうだ。シオンは観念して全て話す方向で決意を固める。
「わかった、わかったから、とりあえず聞きたいことがあるならなんでも質問してくれていいよ。もう全部話すから」
「本当ね?」
「本当だよ」
「きっとよ。嘘なんてついたら、私もう世界一恨むわ」
 そう言ったあとアイジーは暫く唸った。どこから聞けばいいのかさっぱりわからなかったからだ。
 アイジーにジャバウォックの翼が生えた日にシオンの様子がおかしかったことはイレギュラーバウンドということで説明がついている。シオンがアイジーを突き放したのもアイジーのためだということも理解出来た。そこに至ってアイジーは「そういえば」とシオンに問う。
「私を突き放すのが何故いいことだと思ったの? ユルヒェヨンカたちとは普通にいたくせに」
「悪かったって。いや……うん、なんていうか、君が貴族だからだよ」
「……は?」
「怖いってアイジー」シオンは眉を潜める。「最近ブランチェスタ嬢の影響を受けすぎなんじゃないのか? いつかアイジーが箒に乗って“よう! シオノエル!”って挨拶してきそうで怖いったらないや」
「今はそんなことどうでもいいでしょう? なにそれ。散々酷い嘘をついて私を突き放しておいて、やっぱり理由は“シフォンドハーゲンの娘”だからなの!?」
「違う、俺が庶民の子だからだよ」
 シオンは落ち着いた口調でアイジーに言った。アイジーは数度瞬いてその意味を頭の中で捏ねくり回す。
「私、庶民だとか貴族だとか、気にしたことないわ」
「君はね。俺だって気にしない。でもまあ……周りはそうじゃないんだってさ」
「……周り?」
「ああ」シオンは頷いた。「庶民の男が周りをうろちょろしてるせいで君は貴族の社交界で馬鹿にされてるんだって、しかも俺は狂暴なバンダースナッチの呪いに犯されていていつ君を傷つけるかわからないって、俺みたいなやつはアイジーと一緒にいるべきでないって」
「誰よ、そんな適当なこと言ったの」
「…………」
「その口ぶりからすると誰かに吹きこまれたんでしょう? 誰?」
「……ゼノンズ=ヘイル」
「やっぱりゼノンズじゃない!」
 アイジーは一オクターブも声を跳ね上げる。可憐な響きが空を高く射抜いた。形の良い唇を歪ませて嫌悪を丸出しにする。
 つまりこういうことだ。
 シオンに突き放されたあの日、アイジーは全く的を射たことをシオンに言っていたのだ。
 アイジーは、シオンはゼノンズになにか吹きこまれたのだと推測していた。けれど、シオンはそれを肯定せず、だからアイジーはゼノンズは関係ないと勘違いした。しかし、シオンは、たしかに肯定もしていないが、否定もしていない。あの日アイジーは一番核心に近かった。
 ゼノンズに懺悔した時間が本当に惜しい。今すぐにでも時間を巻き戻して、彼奴の眉毛を全部引っこ抜いてやりたい。そういえばゼノンズは《青髭》の一件の一部始終を見ているし、つまりシオンが野獣のように威嚇したのも目撃している。それでアイジーを危惧したのかもしれないが、それならばアイジーがジャバウォックの翼を生やしたのも見たはずだ。バンダースナッチもジャバウォックもどっこいどっこいだろう。第一、アイジーは貴族の社交界で馬鹿にされたことなどない。それはゼノンズだって知っているし、社交界にいる人間なら誰もがそうだ。まず《オズ》に行っているなど公言したことさえなく、そこで庶民とつるんでいるなどと言うのも以っての外だ。貴族世間においてアイジーが“体の弱いろくに家から出られない少女”として扱われているのは最早浸透している虚実で、つまりは誰もアイジーがアンデルセンに行っているなど思いもしない。そう、当たり前のことなのだ、貴族にとっては。
「俺は庶民だから、君が貴族の社交場でどんなふうに扱われているのかさっぱりわからない。ゼノンズ=ヘイルの言うことを信じるしかなかったし、ちょうどイレギュラーバウンドの時期に入ってて……そのほうが正しいと思ったんだ」シオンは続ける。「……本当に、君は、運がよかっただけなんだ。バンダースナッチの呪いは、人を殺すことだってできるんだ。俺は、君が生きていることが、奇跡のように感じる。この呪いは獰猛で危険で、成長するごとに年々抑えられなくなってきている、凶大な暴力さ。君を守るためには、君を突き放すのが一番だと思った」
 だからって、話してくれないのはあんまりだ。だけど、アイジーだって、自分が災厄の子であることをシオンに言っていない。言えないのだ。それと同じことだろうと、理解できた。
「私を利用してる、なんてのは全くの嘘よね?」
「当たり前だろ。ていうか、俺が君と付き合うようになって金銭的に得したことなんてある?」
 シオンはアイジーのおねだりによりすっからかんになった財布をぱたぱたと振った。アイジーは無言で肯定した。後ろめたかったと言える。
「むしろ知り合いからは心配されるようになったし、利用出来るだけのいいことなんてないよ」
「悪かったわね、お荷物で!」
「誰もそんなこと言ってないだろ。確かに得したことはないけど、俺はアイジーに会えてよかったと思ってるよ。まず目の保養になる、友達として大いに自慢出来る見た目をしているのも悪くない」
 おどけた態度にアイジーはシオンの足を踏んだ。シオンは「冗談」と言って首を振る。
「貴族にも、君みたいな人間がいるって、知ることができた。ヨンカのカカシの呪いを解いてくれた。ブランチェスタも、君と付き合いだしてから何故か家の待遇が変わってる。おまけに俺は薬なしでイレギュラーバウンドを乗り切った――」シオンは申し訳なさそうにアイジーの肩を撫でる。「傷、まだ痛むよな」
 触られたほうが痛いことには口を塞ぎ、アイジーは安心させるようににっこりと微笑んだ。
「いえ、大丈夫よ。ルビニエル教授にテリアカを塗ってもらったもの」
「テリアカ?」
「狂犬に噛まれたときに塗る膏薬ですって」
 くすくすと朗らかに笑うアイジーの言葉に、シオンは噴き出してそれから微妙そうな表情をした。その様子に、アイジーは更に声を大きくして笑う。
「だから、あんまり気にしすぎないでね、シオン。あのときの貴方、ワイルドで素敵だったわ。思わずくらくらしちゃったもの」
「おやまあ。野性的なのが好みかい?」
「そうかもしれない。次は尻尾と耳もお願い。ああ、でも、また噛むのは勘弁してほしいわね……それ以外ならなんだってしてあげるわ」
 約束、というふうにアイジーは右手の小指を出した。シオンは困ったようにそれを見つめて、それからそっと自分の小指を絡める。アイジーは満足げに微笑んだあと、絡めたシオンの手をギュッと握る。
「シオン、貴方は今までよく我慢してきたわ。きっといろんなものを許していろんなものを抑えつけていろんなものを誤魔化してきたんでしょうね。でもね、シオン、感情はコントロールしきれないわ。少しくらい、怒ってもいいのよ」
 この世の中には《災厄の子》と言われる、他者に害悪を齎すとされる呪い持ちの人間がいる。アイジーもそうであり、メイリア=バクギガンもそうだった。例外めいたアイジーを除き――ハートの女王の呪い、青髭の呪い、バンダースナッチの呪いを持つものを、主に災厄の子と呼ぶ。ヒューイというあの《青髭》の少年も、災厄の子と呼ばれているに違いない。けれどシオンはどうだろう――それらしい話をまるで耳にしない。彼が災厄の子であるという話は寡聞にして聞いた例がない。それが、それこそがシオンの“ストレス”の原因だ。災厄の子だと予言ですら現さないほど、徹底してシオンは抑えこみ、他者を傷つけないようにしていた。
「他人を傷つけないように気を配るのはとても素晴らしいことよ。けど、そのたびに押し潰されてる貴方の感情が可哀相だわ。少しくらい怒ったっていいじゃない。イレギュラーバウンドの時期に来てもあの程度なんでしょ?」昨夜のことを思い出しながらアイジーは言う。「日常的にちょっとムカッときちゃうことなんてわけないわ。きっと貴方なら大丈夫よ。駄目だったら、まあ、そうね――私がぶん殴ってあげるわ」
 吹っ飛ばされたときのお返しよ、と笑うアイジーに、シオンは苦笑した。小さく「ありがとう」と囁いて肩を竦める。
「じゃあ、これでもう俺の信用は戻ったって感じ? 君のこと、どこにでも転がってる石ころだなんて思ってないって、証明できた?」
「ええ……そうね……え? 待って、どうして貴方がそれを知ってるのよ」
「いやあ、今回のことは本当に悪かったよアイジー、俺も反省してる。そうだ、次はアイスでも食べようか。“ジェリーフィッシュ”っていう美味しいアイスパーラーがあるんだ」
「ちょっと! シオン!」
 シオンはアイジーの手を引いて走り出す。彼のミルクティー色の髪が靡くのを見つめながら、また笑い合える日々が戻ってきたことを感じていた。それから少し苦笑して「やっぱりシオンは優しいわね」と呟く。
「えっ? なに?」
 走りながらシオンは問う。
「別に。貴方がうーんと親切な人間だって再確認しただけよ」
「はっ? なんでだよ」
「今までずーっと我慢してきたこととか、私を傷つけないようにしてくれたこととか、また私の傍にいてくれることとか、こうやって手を引いてくれることとか」アイジーは幸せそうに甘い笑みを浮かべる。「誰に対しても優しくて温かくて、貴方って本当に太陽みたいな人だわ」
 その途端、シオンはトンと走るのをやめた。それから流れるような動作でアイジーの両手を引く。額がこつんとぶつかるほど顔を近づけて、シオンは落ち着いた声で囁くように言う。

「君だけだよ」

 アイジーはなにも言えずに目を丸くさせることしか出来なかった。吐息が掠れるほど近くに感じられ、わけもわからず緊張する。
「アイジー、君だけだよ」シオンは続ける。「俺だって人間なんだから、誰か一人だけを特別扱いすることだってあるよ。ありがとうって言われたらなんでもしてあげたくなるし、話しかけただけで微笑んでくれるならもっと喜ばせてあげたくなるし、好きだって言われたら、俺だって好きだなって、思ったりするんだよ」
 シオンは絡めていた両手を離す。視線だけはずっとアイジーを捕らえていた。アイジーは目を見開いたまま顔を真っ赤にしている。離された手を両頬に宛てがってシオンから一歩だけ遠ざかった。
 なんだか変な気持ちだとアイジーは思った。シオンに言われた言葉がわけもわからず恥ずかしくて、熱っぽく震えた声で「嬉しい」と呟く。
「私、ちゃんと、貴方の友達になれているのね」
 はにかむように言うアイジーに、シオンは暫く黙っていた。しかし、すぐに噴き出して、快活に笑う。アイジーはさらに目を丸くさせた。
「友達かあ。そうかあ。君の中で、友達って、そんなにも特別なものなんだね、アイジー」
「えっと……どういう意味かしら?」
「深く考えなくてもいいよ。君の言うとおり、俺たちは友達なんだ。ちゃんとね。だけど、俺にとっては、」
 シオンはにやっと笑う。アイジーの髪を触りながら、首を傾げて言う。
「特別な友達さ」
 アイジーはぱっと、人生が薔薇色になったかのような顔を見せる。輝くように微笑んで、彼の言う響きに酔いしれた。
「特別な友達?」
「そうだよ」
「私、普通の友達よりも、シオンといっとう近いところにいるのね」
「もちろん」シオンは金色の瞳を細めた。「だから早く行こう、この熱さでアイスが溶けてたらアイジーのせいだからな!」
「ちょっと、なんで私のせいになるなのよ!」
 アイジーはきらきらと笑いながら、強い光の中へと駆けていった。そこには絶望なんてなく、全てが希望に満ち溢れていた。





それは優しい終わり方



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