ブリキの心臓 | ナノ

1


 貴族の街・アイソーポスと、庶民の街・グリム、そのほぼ中間に位置しているギルフォード校は初等部中等部高等部一貫の名門校だ。数多の貴族や中流階級の子息令嬢がギルフォード校に通っていて、そしてそれはエイーゼ=シフォンドハーゲンも例外ではない。
 エイーゼはギルフォード校の中等部最終学年で、今年の春には高等部生になる。一つ歳をとっても学校自体が変わるわけでもなし、校舎は変わるが長年一緒にいた学友が変わるわけでもなし、エイーゼは十五歳になることにさほどの感情は抱いていなかった。
 エイーゼは中等部を卒業するのとほぼ同時に、十五歳の誕生日を迎える。
 クラスメイトからは一足先に「誕生日おめでとう」という気さくな言葉と共に、たくさんのプレゼントが渡された。どれもこれも手抜かりのない品々で、“シフォンドハーゲン家に渡すものだ”という気概が、包み紙やリボンから感じられる。
 中には、まるでオルゴールのように、開いた瞬間にバースデーソングを奏でだすカードなんぞも渡されたが、エイーゼはそれを開けた瞬間に破り捨てた。こんな低俗なものを贈ってくるのは大した発言力もない身分の低い貴族に違いないと、エイーゼは隠すことなく鼻で笑った。貴族の大半がこういった“スバラシイ発明”を“野蛮人の知恵”と呼ぶ。労働しか能のない職人や技術士がなけなしの脳みそから捻り出した野蛮な産物。中には目を奪われるような非現実的かつ美しい発明があったりもするが、野蛮人の知恵であることには変わりない。エイーゼやシフォンドハーゲン家だけでない、ほぼ全ての貴族は野蛮人の知恵を嘲笑していたし、またその侮蔑が貴族と庶民の仲を険悪にする理由の全てだった。
 ただ彼の身の回りで知るただ一人、妹のアイジーだけは、その野蛮人の知恵をまるで魔法のようだと誉めそやしていた。
 相変わらず馬鹿だ。馬鹿な妹だ。
 エイーゼのように学校にすら通わせてもらえず家でのんびりと生きているアイジー。彼がギルフォード校で青春を謳歌しているときに、なにをするでもなく、ただぼうっと手持ち無沙汰に邸の中で過ごす彼女。彼女は未だになにも知らなかった。なにも知らない、馬鹿な妹だった。
 エイーゼは心中で吐き捨てて、教室の壁を視線でなぞる。
 ギルフォード校は全体的に煉瓦作りでそれも殆どが真っ白い煉瓦だ。五百年の伝統だのなんだのと言う前に改築してほしいのが全校生徒の意見だが、その意見が認可されて行使に移ることはまず有り得ない。結果的に、彼らは古ぼけた煉瓦作りの校舎に身を埋めている。
「俺が校長だったらそんなことはしないな。大胆に校舎を改築して、大理石の壁面を学生たちに提供する」
「まだ夢から覚めないのかテオ。いくら生物学の授業が退屈だったからとはいえ、休み時間になってまで寝言が口から飛び出してるぞ」
 級友の発言にエイーゼは辛口を返した。
 テオと呼ばれた長身の青年は、そんなことを気にするそぶりもなく続ける。
「まあ待てよ、エイ」エイとはテオなりのエイーゼの愛称だった――エイーゼはあまり気に入ってはいなかったが。「悪いが、そんなエスプリのきいた返しはお呼びでないんだ。俺は今、割と本気でものを言っている。こんな存在が歴史財産みたいな校舎にいつまでもいたくないだろう? お前もそう思わないか、ジャレッド」
 ジャレッドと呼ばれた少年が淡白に返す。
「僕はどうでもいい」
「どうでも、とは?」
「どうせ一生のうちの僅かな学生時代を過ごすだけの空間だ」
「まったく! 相変わらずお前は反応が薄い」
「テオドルスがそんな無益なことを聞くからだろう」
 へいへい、と皮肉げに肩を竦めた。
 テオドルス=ボーレガードとジャレッド=シベラフカ。この二人はエイーゼにとっての一番の友人だった。
 エイーゼが親しげにテオと呼ぶテオドルスは、大貿易商ボーレガード家の次男坊だ。歳の割に飛びぬけて背が高く、意地の悪そうな目とにやにや顔が特徴的であり、そして彼はいつも突拍子もないことを言う役でエイーゼやジャレッドを呆れさせてばかりだ。三人の仲では一番成績がよろしくないわけだが、悪戯の才に恵まれていて妙なところで利発だった。飴色の髪をしていて見るたびに甘ったるい気分になる。しかし本人は甘いというよりは辛い性格をしており、そのギャップはまるでマスタードのようだとエイーゼは思っていた。
 反応が薄いといわれたジャレッドの方はテオドルスとは違い寡黙な男だ。代々騎士の家系だったというシベラフカ家の優秀な一人息子であり、その成績は学年五位、三人の仲で一番頭がいい。ジャレッドやエイーゼと比べれば口数も少なく、また一人でいることを苦と思わないような一匹狼然が感じられる。寡黙な彼は話しかけなければなかなか口を開かなくて、むしろ手紙のほうが饒舌に語るくらいだった。そのクールでドライな性格にぴったりの無感情な顔は、人形よろしく、口しか動かないと言っても過言ではないだろう。闇色の髪と獰猛な蒼の瞳は、見ているだけで凍えそうなくらいに、周囲への無関心を囁いていた。
「第一、僕らはもうすぐ後頭部の校舎へ移る。あそこは中等部よりはマシなはずさ」
「マシってだけだろうが、やっぱりギルフォード校は改築の必要性がある」
「じゃあ、お前の夢見るご立派な校長になるため、大好きな楽しいお勉強を頑張ればいいじゃないか」
「馬鹿言うな、こっちは剣術クラブで忙しいんだよ。くそつまらないお勉強なんてしてられるか」
 テオドルスは吐き捨てるように言ったあと舌を出す。
 エイーゼもジャレッドも、付き合ってられないと両手を上げた。
 テオドルスはいつもこうだった。突然に突飛なことを言い出して、突如にそれを裏返す。話の展開は四法八方と広がっていき、その移り変わりの激しさといったら、秋の空模様よりも大胆で劇的だ。僕ら紳士が持て余しがちな女心だって、もう少し扱いやすいに違いない――それがジャレッドの意見だった。同感である。テオドルスの放つどうしようもないくらい穴ぼこだらけな言葉に振り回されるのはいつもエイーゼだったし、そして、ジャレッドはそれを呆れて眺めるか無視を決め込むかの二択であり、自分を正しい道へ引き戻してくれるような救世主ではなかった。そんなバラバラでちぐはぐな三人だったが、お互いこの三人が心地よいと感じている。高等部に入ってもきっとこの関係は変わらないだろうと、エイーゼは確信していた。
「そうだエイ、もうすぐお前誕生日だよな」テオドルスは言う。「今年もお前ん家でパーティーするんだろ?」
「悪い。今年はお父様とお母様の方針でパーティーはしないことになっている。家族だけで祝うんだ」
「それは初耳だな」
 深いテノールが意外そうに呟いた。声の主はジャレッドだった。普段自ら会話にしない分、そのタイミングは新鮮に思える。
「うちの父親、今年もパーティーがあると思いこんで、新しい服を買ったりしてるんだ」
 エイーゼは顔を歪めて「それは悪いな」と呟く。
「構わない」ジャレッドは淡々と続ける。「勝手に憶測した父親の責任だ。僕のほうから言っておくよ」
「助かる」
 エイーゼの言葉を聞き、ジャレッドは頷く。
 毎年エイーゼの誕生日――正確にはエイーゼとアイジーの誕生日だが――その日にはシフォンドハーゲン家で盛大な誕生日パーティーを開くことになっている。多くの客が招待されて成長したエイーゼを祝うのだ。山のようなプレゼントにカード、おめでとうという言葉を贈られ、オーザとイズは生まれてきてありがとうと微笑みながらエイーゼにキスをする。
 本来なら、その全てはアイジーと分かち合うべきものなのだとエイーゼは思っていた。美しくラッピングされたプレゼントに、繊細な模様を施されたバースデーカード。自分に微笑みかける人々の言葉も、本当なら自分の半身にも与えられるべきものなのだ。おめでとうアイジー、またエイーゼと共に一つ大人に近づいたんだね、次の誕生日まで素敵な一年でありますよう、生まれてきてくれてありがとう。自分の隣に立っている美しい妹がその言葉を聞き、頬を薔薇色に染めながら見蕩れるような微笑みを浮かべる。何度だって想像した。いつかそんな日が来ると。来るべきだと。
 でも、それはもう、未来永劫叶うことはないのだ。
 アイジーにとっての最後の誕生日を、あともう少しで迎えてしまう。
 自分と共に十五歳を迎え、そして彼女の時はそこで永遠に止まる。
 誰も彼女のことを知らないまま、終わっていくのだ。
 幼い頃はアイジーが可哀想で仕方がなかった。同じ日に生まれた双子なのにアイジーはパーティーに参加できなくて。エイーゼはいつも、早く終わらせたいと思っていた。パーティーなんか早く終わってしまえばいいと思っていた。そうしたら真っ先にアイジーの元へ行って、誕生日おめでとうと囁くことが出来る。エイーゼがパーティーで投げかけられた以上の言葉を、彼女に与えることが出来る。おめでとうアイジー、また僕と一緒に一つ大人に近づいたぞ、誰も知らないからこそ僕が百人分でも言ってやるんだ、生まれてきてくれてありがとう。いつも独りぼっちでひっそりと部屋にいることしかできない妹にしてやれる、最大限の贈り物だった。いつも賞賛されるのはエイーゼだ。アイジーではない。災厄の子だと知らなかったときも知ったあとも、なにも変わることなど無かった。無知だろうと既知だろうと相変わらずアイジーは惨めで可哀想で、どうしようもないくらい独りぼっちだった。
 今年の誕生日はアイジーの最後の誕生日だ。だから独りぼっちにならないよう、人生最後を家族と共に過ごせるよう、公のパーティーを開かないことにした。オーザもイズもエイーゼに謝っていたし、アイジーなんかは顔を青白くさせて俯いていた。エイーゼは気にしないでほしいと返した。さすがに、双子の妹の最後の日に、楽しくパーティーしようなんて気分にはなれない。当日はアイジーの好きなものが食器を埋め尽くすだろう。焦げたチーズがたっぷりのグラタンに黄色いパプリカのサラダ。ケーキはきっとストロベリークーヘンに違いない。ラズベリーチョコをいつもよりも多めに乗せている筈だ。アイジーに送られる誕生日プレゼントは、たったのそれだけだった。人形やアクセサリーなどを贈ってしまえば、アイジーがいなくなったあと捨てることになる。それを面倒だろうとアイジーが遠慮し、代わりに自分の好きな料理を並べて欲しいとお願いしていた。馬鹿な妹だ。今までの誕生日も遠慮して、そして最後の誕生日も遠慮している。結局、今も昔も変わらない、彼女は報われないまま終わっていくのだ。
 もうすぐエイーゼとアイジーの誕生日だ。誰もがエイーゼを祝うなか、アイジーは家族三人にしか祝われることはない。親友であるテオドルスもジャレッドも誰も知らない、エイーゼの半身であるアイジーのことなんて。
――そして、もうエイーゼは数年前とは違う。
 死のうとするアイジーにかける言葉などなかった。
 馬鹿な妹。
 そうエイーゼは呟く。
「何か言った?」
 ジャレッドがエイーゼに尋ねた。エイーゼは「なんにも」と首を振る。
 馬鹿な妹。
 本当に馬鹿な妹。
 外の世界を知らず、誰からも存在を知られることなく、こうして惨めに終わっていく。馬鹿で愚かで無知で、こんなに救われない存在はない。それでも幼いころは無邪気に笑って全然平気だと言っていた。どうしてあんな笑みを浮かべられるのかが不思議で溜まらなかった。いつかそれを聞いてみたいと思っていたが、今のアイジーの顔を浮かべて、エイーゼは眉間に皺を寄せる。
 確かにアイジーは可哀想だった。
 外の世界を知らず、後ろめたさからくる愛情に縛られて、馬鹿で愚かで無知で。

――それでも満たされていた。

 少なくとも不幸ではなかった。エイーゼのように外に出られなくても、純朴の愛情を知らなくても、馬鹿で愚かで無知だったとしても、それでもとても満たされていた。
 誰よりも愛しい半身、エイーゼがいたから。
「やばい、急ぐぞエイーゼ、歴史学に遅れる」
「早く行かなきゃまたあのミスタ・古雑巾に叱られるからな!」
 エイーゼは二人と共に駆けていく。アイジーの知らない世界を、アイジーの知らない顔で駆けていく。

 なにも知らないのは、エイーゼも同じことだった。

 何も知らない災厄の子でも、無邪気な傲慢でも、それでもエイーゼが傍にいるから、アイジーはとても満たされていたのだ。

 彼女の傍に、彼はもういない。





馬鹿な妹の兄



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