ブリキの心臓 | ナノ

1


 ある休日の午後。スイカズラの軽快な翠に包まれた《オズ》の連絡橋の真下にて。一つの再会が成されていた。


「あ……お前、あのときのお馬鹿ちゃんじゃないか」


「もう馬鹿じゃないもん」声をかけた主にユルヒェヨンカはぶすったれた顔をする。「お久しぶり、ミスタ・ヘイル。今日はミスタ・シベラフカはいないんだね」
 次はその言葉にゼノンズが心外そうにする番だった。凛々しい眉を寄せて堅そうな顔を思いっ切り淀ませる。
「俺はあいつの付属品か? お前こそシオノエルママはどうしたんだよ」
 ユルヒェヨンカは仏頂面な頬を更に膨らませる。眠たげなグレーの瞳を嫌そうに細めた。
「私は親離れ出来ないお子様じゃありませんよーだ。シオンは今アイジーと一緒じゃないかな。私は今から帰るとこなの」
「アイジーとケッテンクラートが一緒にいるのか……?」
 ゼノンズは眉間にぎゅっとした皺を浮かべる。話すたび互いに皺の寄る会話に、ユルヒェヨンカは呆れたふうに両手を広げて空を仰いだ。こういう動作をするとシオンにそっくりだ。幼馴染みだからちょっとしたことが似通ったりもするのだろう。ユルヒェヨンカは「そんな怒りんぼうにならないで」と言葉を漏らした。
「アイジーにはアイジーの、シオンにはシオンの付き合いがあるでしょ。そして二人は素晴らしいお友達なだけ、それだけ。それだけなのに、なにが悪いの? 貴方って本当に不思議」
「黙れ、アンデルセンの野蛮人め」ゼノンズは嘲笑うように言う。「俺からしてみたらお前のほうがよっぽど不思議だ。アンデルセンの野蛮人どもが、貴族の貴族、シフォンドハーゲン家の娘とつるんだりして許されるわけがないだろ。俺がアイジーなら、お前ら全員にそれ相応の報復をしてるね」
 そんなゼノンズにユルヒェヨンカはぱちぱちと目を瞬かせた。ぼんやりとした緩慢な動きで首を傾げて、それから困惑の吐息を漏らす。チロリアン柄のスカートの裾を持ち上げて自分の靴を見つめた。一通り見飽きたら、ぷちぷちと自分の服の釦を外して色白い腕を晒す。それにゼノンズは肩を強張らせた。しかしユルヒェヨンカは気にせずに自分の腕を見つめる。それからゼノンズに視線を移し、二歩ほど彼に近寄った。彼よりも随分と華奢な手の平を彼の胸板に伸ばした。ぺたぺたて手を這わせてまさぐる。その所業にゼノンズは動揺して素っ頓狂な声を漏らした。二つ年下の、それも先ほど自分が馬鹿にしたばかりの庶民の女の子に、こんなことをされる意味がわからなかった。一瞬深読みした意味を考えてしまったゼノンズだが、次に繰り出されるユルヒェヨンカの言葉にそれを引っ込めることとなる。
「でも、貴方には胸がないよ」
 甘く幼い声は間抜けな発言を空中にぶち撒けた。ゼノンズは「は?」と息を吐く。
「貴方は女の子ですらない」
「そりゃ当たり前だろ」
「だから、貴方は絶対にアイジーじゃない」
 ゼノンズは眉を潜めるようにして押し黙った。
「今私の履いてる靴も、お洋服も、腕も、野蛮人と言われるほど汚れたりしてないよ。勿論シオンだってそう」また一つ首を傾げた。「どうして仕返しが出来たりするのかな?」
 ゼノンズの頬に少し朱みがさした。この目の前にいる頭の弱そうな、そして実際に弱い少女に、どうにかしてかしてやられたような気分になってしまった。ユルヒェヨンカ=ヤレイはカカシの呪いに犯されていた少女で、呪解が完了した今でも平均よりかは幾分か劣る頭脳しかない。馬鹿で無能で、おまけにアンデルセンの野蛮人で、だからこそこう言いくるめられたことが酷く屈辱的だった。
 なにか言い返してやりたくて、この間抜けな表情を潰してやりたくて、けれどその間抜けに見えるユルヒェヨンカの表情は、同時に敵意や悪意なんかをゼノンズからごっそり削ぎ落としていった。彼女が放つ落ち着いたチョコレートの香りは、それを更に過剰させる。まるでお菓子で作られた人形のような少女だ。彼女のそれこそが、アイジーの言う“ユルヒェヨンカの性質”であり“ユルヒェヨンカの魅力”であった。だんだんと居心地の悪くなっていく状況にゼノンズは口ごもる。
 よくよく考えてみれば、年下の女の子相手になにをむきになっているんだと思った。馬鹿馬鹿しい。これじゃあ自分のほうが馬鹿みたいじゃないか。
 ゼノンズは浅く溜息をついて「ああそうだな」とユルヒェヨンカに返す。
「俺はそんなこと出来ない、悪かったよ、俺が間違ってた」
 そう言うとユルヒェヨンカはにっこりと笑った。丸い赤毛がそれにつられて揺れる。エプロンのポケットからホワイトチョコを一つ取り出し、ゼノンズの手に握らせた。そして少しだけ背伸びをして、彼の髪を優しく撫でる。
「えらいえらい」
 まるで子供をあやすようなそれにゼノンズは機嫌を悪くした。さっき消え失せた筈の悪戯しい感情がじんわりと滲むのがわかった。
 ゼノンズは流れるような滑らかさで明後日の方向に人差し指を向ける。
「あ、ユニコーン」
「えっ? どこ、どこ」
 きょろきょろと緩やかに首を振るユルヒェヨンカに自分の人差し指を向き直して、意趣返しと言わんばかりにそのちょこんした鼻を強く弾いた。
「ぅいたっ」
 予想通り痛そうに両手を鼻に宛てがうユルヒェヨンカは「おぉお……」と呻きながらすごすご惨めに縮こまっていった。

「やっぱり馬鹿だ」

 ゼノンズはその可哀相な様を見て鼻で笑った。





頭の悪い女の子



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