ブリキの心臓 | ナノ

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「……あら、ここに来るのは久しぶりね」
「そうだね。こんばんは、アイジー」
「なにがこんばんは、よ……ジャバウォック。夕方話したときには挨拶もなしに厭味を言ってきたくせに」
「それを華麗に無視した君が言う? お生憎様、礼儀のなってない子供に非礼を咎められる筋合いはないね」
「貴方が先じゃないの」
 アイジーは真っ暗闇の夢の中で憤慨するように呟いた。確か今日は早くにベッドについた筈なのに、どうしてまたこの夢とも現実ともつかない暗闇の中にいるのだろうか。
 目の前で優雅に微笑む黒髪金眼の青年をじとりと見ながらアイジーは肩を竦めた。
「まあいいわ。ジャバウォック。暇潰しになにかお話でもしましょう」
「話って?」
「だから話よ」
「前は僕なんかと話したくないってあれほど頑なだったのに」
「目覚めるまでこーんな静かな中一人でなにしろって言うの? 暇潰しよ。ちょっとくらい付き合ってよね」
「暇潰しか」ジャバウォックは意味ありげに眉を上げた。「そもそも睡眠時間を削って暇潰しをするなんて、馬鹿げてるとは思わないの?」
 この真っ暗闇の中にいるときの彼の声は酷く聞き心地がよかった。アイジーが目を覚ましているときの彼の声も今と同じくらいに優美で落ち着きのある音楽的な声をしているのだが、どこか違和感がある。もしかしたらその理由は、彼が“アイジー=シフォンドハーゲンに憑いている呪い”だからかもしれない。呪いという存在は害悪的な概念であり、そして同時に忌ま忌ましいほど“自分自身”だ。アイジーが目を覚ましている状態、即ち感覚器官全てが外面に開ききっている状態だと、内面が疎かになり、それにつられるように“自分自身”であるジャバウォックの声が朧げになる――そういう過程をぼんやりと立てて、アイジーは彼に言葉を返す。
「これは、あくまでも私の過程なんだけど。私はこの眠っている状態でこうして貴方と面識――いえ、目を覚ましている状態でもしているわね――とにかく面識出来ているわけだけど、私がここを夢の中だと言うと貴方は……なんだっけ?」
「インナースペース」
「そう、それよ」アイジーはにっこりと笑った。「インナースペースだと訂正した。つまりこれは夢の中ではないということ。でも私は、確かに眠った記憶がある。つまり私が眠っていることに変わりはなく、夢の中――脳が作り出した世界とは別の世界にいる」
「言っただろう? ここはインナースペース。つまり、」「つまり、私の世界」
 アイジーは会話の主導権をもぎ取るかのように言葉を被せた。それに些か不快を抱いたジャバウォックが眉を潜める。
「脳からも逸脱した、けれど限りなく脳に近い内面世界。重ねて――つまりは、」アイジーは自分の心臓あたりを人差し指でトントンと叩いた。「今、私と貴方は《ここ》にいるのね」
 ジャバウォックは息を漏らしながら肩を竦めた。
「君の仮定構築能力には素直に拍手を贈るよ、いや、妄想力かな」
「伊達に《オズ》で研究員やってないわよ。カカシの呪いについての論文を書くにあたって更に力をつけたって感じ。聞きたい? 私の論文。まず書き出しはこうよ、“一体全体人間のなにを以って”――」「――“能なしと言うのか、まずはそのことから解きほぐす必要がある”、だろう? ずっと君の傍にいたんだ。内容を知らないわけがない」
「私、もしかしたらバグギガン教授やペレトワレ教授のような“呪いについての根本理論”を追究するべきなのかもしれないわ。副指揮官も言ってらしたもの。数打ちゃ当たる系統はルビニエル教授のようなゲテモノ遂行派に任せておけばいい、って。ペレトワレ教授の理論は頓知めいてるけどとっても魅力的、バグギガン教授は考え方が理屈っぽいわ……意外なことだけど。同じ理論家でもこうも組み立て方が違うのってなんだか不思議だわ。でもこうやって下地を考えることが大事なことのように思うのよ。呪いの“結果”を無くすよりもそれ以前を掘り起こすべきだわ。そうでなくて?」
「それを、《呪い》である僕に聞くかい? 普通」
 ジャバウォックは呆れるように言った。それにアイジーは「それもそうだわ」と返した。
「私の死の呪いについてもなにか考えを得たかったんだけど貴方が知ってるとも思えないし」アイジーはわざとらしく溜息をつく。「あーあ、せめて死の呪いと災厄の子についての因果がわかればよかったのに」
「……因果?」
「ええ。まあ、この二つに繋がりがあるとはあまり思えないけどね。どうして死の呪いが災厄になり得るのか、とんと検討がつかないもの」
 シルバーブロンドをふるりと揺らしてアイジーは「まあいいわ」と囁くように呟いた。ジャバウォックに向き直る。
「こんな堅苦しい話をするつもりじゃなかったのよ、本当は。もっと楽しい話をするつもりだったの」
「たとえばどんな?」
「うーんと、そうね……」アイジーはにんまりと笑いながら頬を薄桃色に染めた。「楽しいほうの、未来について考えましょう」
 ジャバウォックは一つ瞬いた。
「暗くてじめっとして憂鬱なほうの未来は、もうとうに考え尽くしたわ。少しくらい、寝ている間くらい、楽しいことを考えたいものだわ」
「今夜は珍しく上機嫌だし饒舌だね。……そういえばアイジー、君は僕の前の質問にちゃんとした答えを寄越さなかったな。君は睡眠時間を削って暇潰しをするなんて馬鹿げてるとは思わないの?」
「あーら、私は答えた筈だわ」アイジーは不機嫌にこまっしゃくれた態度をした。「ここは私の世界。脳とも体とも分離したスペース――つまりは、一応“睡眠を取っている”ことになるんじゃなくて? 脳も体も休んでいるんだもの」
 その答えにもう諦観したのか、ジャバウォックは肩を竦めた。彼の反応にアイジーは留め具を外された凧のように軽快な舌を転がす。
「まずわね、私、ユニコーンの角のお菓子をエイーゼとたっくさん食べたいわ! エイーゼったらまだアンデルセンに偏見があるんだもの。ちょっと面白おかしいお菓子が出てくるとすぐに音を上げるのよ。つまらないわ! あとはね、ブランチェスタと友達になりたいの……シオン、ユルヒェヨンカに続き三人目の友達よ! それから、出来れば次の私の誕生日には、推進ジェットが欲しいなあ……勿論それまでに生きていたらの話よ!? 言っていて空しくなるけど夢見るぐらいは自由じゃあないの。それからね――」
 アイジーは滔々と、蕩々と、明るい未来をその唇で語る。それにただジャバウォックは黙って耳を傾けていた。
 朝日もまだ遠い、ある夜のことだ。





真夜中に添える二人



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