ブリキの心臓 | ナノ

1


 ブランチェスタ=マッカイアの話をするのがまず先のことのように思われる。
 マッカイア家は典型的な中流階級で、宝石商を営んでいた。その一人娘のブランチェスタは両親から宝石のように愛された。社会的に見ても多くの人よりも恵まれていて、彼女の人生はまさに完璧だった――この世に生を授かってから、たった三歳のあいだまでは。
 彼女が三歳のころ、母親であるフランチェスカ=マッカイアが他界した。そしてその一年後、新しく妻として迎えられたのが、ベアトリーチェ=マッカイアだった。ベアトリーチェ=マッカイアにはデルゾラとアニシナという二人の娘がいて、つまり実質彼女の義姉にあたることになる。彼女の新たな家族となった三人は、彼女と折り合いが悪く、いつも父のバルテロが仲介役だった。窮屈な生活に不満を抱く彼女の頭を撫でてはバルテロは彼女に“すまない”と言っていた。寂しくても、不満でも、この繊細な父親がいてくれたから彼女はけして辛くはなかった。この父親が自分の頭を撫でてくれるなら、なんだって耐えれた。なにをされても。なにがあっても。けれど、彼女が五歳のころに、父親は死んだ。マッカイア家には、血の繋がらない家族だけが残った。
 それからが、ブランチェスタ=マッカイアにとっての悲劇の始まりだった。
 ベアトリーチェもデルゾラもアニシナも、あからさまな嫌がらせを彼女にするようになった。服を取り上げ、髪飾りを取り上げ、挙げ句には部屋まで取り上げて、彼女は廊下や屋根裏部屋で寝ることが多くなった。三人の機嫌が悪いときは馬小屋で寝なければならなかった。いつしか家賃までせびられるようになり、彼女は徹底的に三人を嫌った。彼女が持てる服はよれよれのシャツが二枚とチェック柄のズボン、継ぎ接ぎだらけのブーツに穴の開いたカーディガンぐらいのものだった。彼女が持てる財産は煙突掃除用の箒と靴の中に隠しておいた5ポンドル紙幣くらいのものだった。彼女が持てる幸福は掃除先の家から貰える一切れのレモンパイと、両親と暮らした自分の家を眺めることくらいだった。
 自分の境遇に辟易するたび、何故自分がこんな目に合わなければならないのか、ずっと考えていた。
 自分だけが不幸だとかそんなことを言うつもりはなかったが、どうしてこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないのかと何度も何度も思っていた。
 そんななか届いたのは一通の手紙だった。

 拝啓
 ブランチェスタ=マッカイア様
 呪われた人間の呪われた人間による呪われた人間のための国家研究機関・通称《オズ》への登録許可をお知らせします。
 一昔前では死の呪いとして扱われていた白うさぎの呪いも、《オズ》の研究により呪解可能にすることが出来ました。
 ブランチェスタ=マッカイア様の灰かぶりの呪いを解く手掛かりもきっと見つかることでしょう。
 もし研究員として正式に登録するのであれば手紙が届いた三日以内にお返事願いたく存じます。
 あらあらかしこ
 《オズ》 ソルノア=ステュアート

 愕然とした。自分が今まで“呪われた子供”だってことを知らなかったこともあって、最初は全く信じられなかった。けれど、それと同時に怒りが沸いて来た。自分の不遇を呪いなんて簡単な言葉で片付けられたことに、身も焦げるような怒りを覚えた。結局は《オズ》に向かうことを決めたのだが、それでも、どこか割り切れなかった。今での人生は運命だったのかと叫び散らしたくもなった。おまけに呪解方法が馬鹿げている。なにが“自分が愛し愛される運命の王子様と幸せになること”だ、そんなこと出来るか。ブランチェスタの中にはいつも不満が息巻いていた。愛されるわけがない、こんな灰かぶりな人間を、愛するわけがない。


 そう。愛するわけがない。
 好きになるわけがない。
 絶対に無理だ。不可能だ。


「ちなみにエイーゼはどう思う?」
「好きになれるわけがない。絶対に無理だ。不可能だ」
「だろ」
 ジャレッドははっきりとした溜息をついた。それに対してエイーゼがぽんと肩に手を置く。
「僕もお母様からマッカイアを勧められたんだが、会わなくてよかった。彼女たちの容姿を侮辱するわけではないが、あれじゃイルカだ」
 全く同じ意見を彼の双子の妹は抱いたのだが、そんなもの知る由もない。エイーゼはゆるゆると首を振って、シャンデリアに照らされたホールの一帯にいる、マッカイア家を見遣った。
 シベラフカ家の開く舞踏会は、真夏の暑い夜とは思えないほど涼やかに、且つ華やかに開かれた。淡いブルーを基調にしたのが良かったのかもしれない。広いバルコニーを展開するホールには、滑らかな夜空色のカーテンがわ金の絞め紐に結われて波打っている。床は大理石さながらにつやつやしていて、光を受けるたびにダイヤモンドのように輝いた。壮大な美曲を贈るオーケストラのステージでは、星空にも似たライトに、様々な楽器が照らされている。会場を匂やかにさせるライムと薔薇の香りは巧妙に踊っていた。あちらこちらでひんやりとした心地良さを放つ氷の彫像は、全て勇ましそうな騎士の姿をしている。美しいドレスを身に纏う女性や、粛々とした態度をする男性が、顔を綻ばせながら、楽しげなステップで流れるようにダンスをする。まさしく完璧な舞踏会だ。
 パーティーとは違い交流よりも踊り明かすことをメインとし、利益不益を一切忘れられる舞踏会では、みんな緊張のない朗らかな笑顔を見せる。そんななか、ジャレッド=シベラフカ一人だけは、泥よりも淀んだ表情で、親友のエイーゼとレモネードを飲んでいた。
「アイジーレベルとまではいかなくても、もっとマシな女はいただろうに」
「君も相変わらずシスコンだな。本当に嫌だよあんな……あんな……」
「にしても珍しい。なにに関しても無関心なお前が……いや、だからこそかもしれないけど……こんなに誰かを嫌がるなんて」
「……そうかな」
 離れたところで自分の父親と語らうマッカイア家の三人を見て、またジャレッドの胸には厭らしい感情が渦巻いた。やはりこの場に、あの輪の中に、彼女はいなかった。
 この、嫌忌と侮蔑が入り乱れた不可思議な感情がなんなのか、正直すぐにはわからなかった。
 けれど、ジャレッドの思惑は純粋だった。
 純粋に、この二人を好きにはなれなかった。
 マッカイア――今から約十年ほど前に当主のバルテロ=マッカイアが死んだことは、宝石好きな貴族界にも波紋を呼んだものだ。そして、そのバルテロ=マッカイアが死ぬ一年前に、ベアトリーチェ=マッカイア、旧姓ベアトリーチェ=ドリンジャーと再婚したのにも注目したものである。更にその一年前、前妻であるフランチェスカ=マッカイアが一人娘と夫を残して先立ったのは、まだ忘れ去られるようなものではない。当時のジャレッドは三歳でまだなにも知らぬ幼気な坊やではあったが、のちのちの社交場での聴取によりその無知は十分に補填が利いた。
 一人娘の名前は、ブランチェスタ=マッカイア。
 十二年経った今となってはその少女の存在は忘れ去られ、ベアトリーチェ=マッカイアとその二人の連れ子の名前だけが社交界に刻まれている状況だった。そしてそれはジャレッドとて同じことだ。自分と同い年の、両親を亡くした悲劇の少女の存在を、つい最近まで忘れていた。両親から並べられた“マッカイアのたった二人の娘”、デルゾラとアニシナの顔を無口に見つめる。

 だからだ。

 あの宝石商のミレディが、婚約者になるかもしれない二人が、こんなにもジャレッドの蹟に障ったのは、だからだった。
 バルテロ=マッカイアとフランチェスカ=マッカイアの娘である、忘れられた悲劇の少女、ブランチェスタ=マッカイアを、いないものとして扱っているからだった。
 ジャレッドの中に渦巻いているのはそれに対する怒りだった。――怒りであり、そして蔑みだった。
 ブランチェスタ=マッカイアとは友達でもなんでもない。赤の他人だ。この広い世界でただ同い年なだけだった全くの無関係者だ。昔読んだ絵本の中に出てくる不幸な目にあった哀れな少女。自分にとってはそんな、まぼろしい存在だった。

 それが等身大の人間として感じられたときのことは、まだ記憶として鮮烈に残っている。


× |
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -