なるべくわかりやすく伝えたつもりだが少し冷たい物言いになってしまったかもしれない。しかし俺は朽崎との健全な仲を取り戻すため、無駄な誤解は避けたかった。
朽崎は今にも泣きそうな声で「だって」と呟く。


「並木さんだけなんです、私の、私のことを、綺麗だと言ってくれたのは、私の、顔を、こ、怖がらなかったのは――――」


そこで、俺は、二回目の“迂闊”を犯す。
よりによって、反応してしまった。
息を呑んで、顔色を変えてしまった。
“顔”というキィワードで――“怖がらなかった”という単語で。
それに気付いた朽崎は、悟ったように目を剥いた。そこに感情はない。何もない。真っ暗で真っ黒で、落ち着き払った失望が、ズルズルととぐろを巻いている。


「並木さん」


まるで枯れたような――茶けた百合の花の声で――朽崎は俺の名を呟く。そしていつかの夜のように、徐にマスクを取る。
やめろ。
やめてくれ。
今、それを、見せないでくれ。
俺は冷や汗を掻いた。
あのときは――あの夜は、酒という、失態めいてはいるが確実性の高い、強力な麻酔があったのだ。しかし今は素面そのもの。無防備な赤子そのもので。千鳥足でもなければ奇怪な言葉を吐いてもいない。ありのままそのもので。だから。
たとえどんなに美しくても。
たとえどんなに可憐でも。
――端から左耳にかけて、刃物で裂かれたような――その残酷なまでにリアルで生々しい――白い肌にくっきりと浮かび上がるそれに――――その恐ろしい顔に――。


「――――私、綺麗?」


俺は、反射で、拒絶の姿勢をとった。
顔色を変え、後ずさり、短く、小さく、悲鳴をあげてしまった。
なんでだろう、なんで朽崎に、自分のクラスメイトに。
俺は。
こんなに、これほどまでに。


「……怖い――――――、」


と――――次の瞬間、朽崎は目の前から消え、眼前に現れた。至近距離に傷口を晒され鳥肌が立つ。そして息をつく暇もなく、どこから出したのか、彼女は俺に、鋏を向けた。


「ッ!」


バッと後ろへ後ずさるも頬を刃が掠める。まるで炎の矢が通ったような感覚。物凄い熱量を孕んだ痛みが、鮮血と共に湧いて出た。
俺はバランスを崩してその場に倒れる。仰向けになった体位のまま、朽崎は、恐ろしい形相で俺の腹に乗る。振り乱した髪を気にも止めず。彼女は俺の制服の襟をギュッと掴み引き寄せ、鋏を振り上げる。
やばい。
殺られる。
そう――――思ったとき。
俺目掛けて降ってきたものは、鋭利な鋏なんかじゃなく。


「…………う、……ぁ」


温く、しかし確実に凍え切った。
彼女の、涙。


「だめだ……」


かりん、と。鋏を落とす。
彼女は、拾わない、拾えない。
恋い焦がれた王子に振り落とすはずだったナイフを諦めた人魚姫のように――――彼女は煌めく涙を流しながら――――全てを捨てる。


「だめだ……貴方だけは、だめだ……」


俺の襟を掴んでいた手をやんわりと話す。襟はぐしゃぐしゃになっていたがそんなことはどうでもいい。彼女はその手でゆっくりと俺の頬を撫でた。鋏を落とした方の手を、自分の耳に寄せる。


「だめ……だめ……殺せない。貴方だけは………貴方だけは……」


なにを思い出しているのか、彼女は目をつぶる。その間も涙は止まらない。宝石みたいに煌めいて泉のように沸き立つ。彼女は耳に意識を集中させ、宝物を抱きしめるように。



「貴方、だけは……」



これほど悲哀な響きはない――――彼女は小さな呟きを残して、その場を去る。走り抜ける姿は必死で懸命で、そしてこれ以上なく、孤独だった。
俺は仰向けの体勢のまま、咥内を舐める。彼女の涙の味が口の中に広がった。空には彼女が手放した赤い風船がふよふよと流れて行っている。もう、戻ってきそうに、ない。


「イエスまやかし、とは、言えないな」


足元に落ちたラムネソーダは、どろりと溶けて死んでいた。


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