大学には進学をせず、就職した私の生活は存外忙しいもので、そういった暇な思考を働かす時間がなかったのかもしれない。けれど昨日、いきなり解雇を言い渡されてしまったせいかあと三十日の間の仕事に身が入らず、子供のときのように時間ができた。どうしていきなり解雇されたかはわからない、別に何かいけないことをした訳でもないのに。でもまあこんな世の中だし仕方がないと言えば仕方がない、世間はいつだって理不尽だ。
次の職を探すわけでもなく、解雇当日まで精一杯働くわけでもなく、ぼんやりと考えているととあるマンションまで行き着いた。折原臨也のマンションだ。無駄な縁で中学、高校と同じだったせいかその繋がりはぼんやりとだが今も消えずに糸がある。現についさっき折原から電話がきた。携帯番号を教えた覚えはなかったのだが、情報屋である彼が知っていることはさしておかしいことではなかったので気にとめずに、電話で指示された通りに彼の住まいの前までやってきたのだ。
ちなみに折原の家を知らない私がここまで来れたのは折原の助手だと言った女の人、確か矢霧波江だったか、その人が懇切丁寧に案内をしてくれたからである。もちろん折原の携帯電話で。通話料はかけてきた折原持ちであるから私は気にすることなく長電話してやった。ついでに言うと少しだけいつもよりゆっくりとスローペースで歩いた。これで無駄に通話料を払わなくてはいけないだろう。ざまあみろ。
性悪な私がそんなことを思っているとやがて折原が出てきた。相変わらず黒い服を身に纏っている。日の光りが集まって暑くないんだろうか、と訊けずに終わった学生時代を思い出した。そういえば、彼はあの頃から黒かった。ぼうっと眺めていると折原が私の方までやって来て軽く挨拶する。それに適当に返しながら、ふと思い出した疑問を彼に問うた。折原臨也は情報屋だ。少なからず私なんかよりも多大な情報は内に秘めているはずである。
空は何故色が変化するのか、彼は一瞬動作を止めて私を見下した。幾度となく受けたその視線攻撃にもはや怯むこともなくなった私は金は払わないけれど教えてくれと付け加えた。すると彼は少しだけ考えるそぶりを見せた後で逆に私にどうしてそんなことを思ったのかと質問返しをしてくる。どうして、と言われても私が日本に存在すると同時に空が広がっている以外何もない。もし空がなければ、もし私が極地に生まれていたならばそんなことは考えなかったかもしれない。
そう話すと彼はふうんとつまらなさそうに返してきた。これも慣れてしまったので気にはならない。そういえば折原はどうして私を呼び出したのか。再び口を開こうとしたとき、彼の大きな手が私の視界を覆う。さっきまで空調設備の調ったところでいたのか彼と私の体温はずいぶんと違っていて少しだけビックリした。
一体何がしたいのか、見当がつかない私がほとほと呆れたように訊ねると「これで君は空が見えない。」と言った。顔など見えるはずないのに彼のにんまりとした微笑みが暗闇の中に浮かび上がったのは長い付き合いのせいだろう。もしかしたら、視界を独占する黒がそう思わせたのかもしれない。どうにも黒ばかりだと折原に占領されたような錯覚に陥ってしまい気持ちが悪くなってきた。手をのけようとしたが案外力が強くて上手くいかない。腐っても彼は闇社会の一員だから平和島ほどではないがそれなりに力があるということか。くそう。
確かに空は見えなくなったがそれがどうしたんだ、と訊こうとしたとき、私がそう質問してくるのを予想していたかのように彼が先に口を開く。折原はいつだって私を見透かしたような行動を取る。すごくムカついてウザいのに今のいままで付き合いが続いたのは何故だろう、という疑問もやはり学生時代が終わるとともに消えてしまっていた。
「見えなくなったんだから、もう疑問に思うことはないだろう?」
ぬけぬけとそう述べた彼の顔もまた思い浮かんだ自分が憎い。そんなの屁理屈だろうと文句を浴びせたが彼に効くはずもなく、無事に解決したんだからそれでいいじゃないかと宥められる。これじゃあまるで私が子供みたいだ。少しむっとしていると、彼は私の目を覆ったまま歩きだしてお代はまた後で、とか何とか呟いた。金ならやらないぞ、と言うと「好きな女から金を巻き上げるような野暮なことはしないよ。」とカラカラ笑う。そうは言っても折原から金を取られた記憶はばっちりあるのだが。
金じゃないなら何をする気なんだろうか、とかさりげなく好きな女って言われたなあとか考えつつも、私が本来ここに来た理由を思い出して質問する。今日の私はずいぶんと質問ばかりするなあと思っていたら、どうやら折原も同じことを思っていたらしく指摘をされた。それから少しの沈黙の後に「君の疑問を解消するためだよ。」と答えた彼は空いているほうの手で私を撫でた。どうやら今回も彼の手の上で躍らされたらしい。次の就職先はどうしてくれるんだ、と嘆くと彼は俺の所にでも来なよ、とどこかの扉を開いた。
色彩が鮮やかだったはずなのに、私の世界はいつの間にか黒に染まる。
旧世界 //「彼方此方」様へ提出