宮中を歩いていると急に後頭部に衝撃が走った。しかも当たってきたのは固形物ではなかったらしく、ぐちゃりと潰れる音がして私の額を液体がだらだらと流れる。かすかに香しいし、妙にべたべたしている。何事かと思って後ろを見ると絨毯に乗った神官様がけたけたと笑っていた。どうやら投げてきたのは桃らしく、まだたくさん絨毯に乗っている。確か今、彼は食事中のはずだったのだが。どうかしたのだろうか。
だらだらと流れる果汁を服の裾で拭いながら、こちらにやってきた彼にどうかしたのかと問う。それにしても、桃をぶつけただけなのにどうしてあんな痛みが走ったのだ。どれだけ力をこめて投げたのですか、神官様。果汁の流れる勢いがすごすぎます。止まりません。

「よお。今からちょっと付き合え。」
「は、はあ。承知しましたが…えっと、もしかして絨毯で移動なさるのですか?」
「当たり前だろー。ほら、早く乗れよ。追っ手が来る。」

…本当に何をなさってるんですか。いやまあ、さしずめ食事を抜け出して来たのだろう。理由は知らないが神官様は自由奔放な方だし、こういう奇行はよくあることだ。その奇行に毎回私が巻き込まれるのはどうしてなのか今でも疑問でたまらないのだが。私はさして面白い反応を見せているわけでもないのに。今だって桃をぶつけられたのに多少驚いただけで、憤りも焦りも笑いもしなかったわけだ。それなのに神官様は爆笑していらっしゃったが。どこに笑える要素があったのだ。つくづくわからないお方である。

あまり気乗りはしなかったけれど、言われるがままに絨毯に乗った。するとどんどんと地面を離れて空に舞い上がる。きらきらと輝く太陽と、目の前に座っている神官様が少しだけ重なって見えた私はゆるゆるとかぶりを振った。私ごときが、何を思っているのだか。まばゆく人の目を眩耀する太陽が手の届く範囲にあると思うだなんて、間違い甚だしい。そんなことを思ってふっと自嘲した私に気づかない彼は「これで顔拭けよ。」と布切れを渡してきた。
思わず受け取ってしまったが、よく見ればそれは食事のときに敷くテーブルクロスではないか。これは神官様や王家の方々専用のものであって(そもそも私たち侍女や召し使いは食事のときにそんな高貴なものは使わない)、レームからわざわざ仕入れた高価な糸で綿密に編み上げられた代物だ。そんなもので汚れを拭くなど恐れ多い。ましてや神官様専用のものなど…。
私がそんな風に戸惑って固まっていると桃をかじっていた彼は私にどうかしたかと言ってきた。なので理由を話すとあからさまに不機嫌な顔になる。なぜだ。意味がわからず首を傾げていると、握られていた布を無理矢理奪われた。かと思えばそれは容赦なくわたしの頭に押し付けられて、乱雑に掻き回される。それは拭っているというよりかは撫で回していると表現したほうが正しかったかもしれない。
私が慌てて「何をなさっているのですか!」と腕を掴むと、不愉快そうな顔は少しだけ和らいだような気もした。しかし、すぐに眉間にシワを寄せた神官様は布を私の顔に投げつけてふいっとそっぽを向いてしまう。いまいち理解できない行動ではあったけれどせっかく私の汚れを拭いてくださったのだから(テーブルクロスを使ったことはいただけないが)お礼を言うのが礼儀である。そう考えて素直に礼を言うと神官様はまた笑い出してしまった。なぜだ。

「あっはは!お前ってホントわけわからねーやつだな!」
「……それは褒めていらっしゃるのですか?」
「褒めてる褒めてる。」
「ありがとうございます…?」
「なんだよー、もっと素直に喜べよな。」

むしゃむしゃと桃をかじりながら彼は私の肩をばんばんと叩く。それはさながら気が置けない友人に接するかのようだった。なんて思ったけれど、さすがにそれは失礼だろう。私と神官様じゃあ身分が違いすぎる。そもそもこうやって気軽にお話をすることすら本来ならば許されないはずなのだ。神官様は私が仕えるこの王家…ひいてはこの国において重要かつ重大な人物である。それに引き替え私は卑しい侍女。彼の前では素顔を見せずに常に頭を下げていなくてはならないくらいに下っ端の下っ端だ。
そんな私がなぜ神官様とこんな戯れをしているのかというと、それは実のところ私もよくわかっていない。私は半年前程に王宮入りしたのだが、彼はその時から私にやたらと絡んできていた。もちろんはじめはいくら神官様だからとはいっても不躾な真似はしてはいけないからと取り合っていなかったのだが、さすがに毎日となると限界だった。私の精神的に。話し掛けたりするだけならまだしも、神官様は無理矢理私を悪戯に付き合わせたりするのだから困ったものだった。
一度話を取り合ってしまえば後は早いものだった。とはいえ、敬語は使うし自分から触れるなどという無礼は働かない。何度も名前で呼べとも言われているがそれだって承諾はせずに、周りと同じく神官様としかお呼びしていない。まあ呼ぶ機会自体が少ないのでこれについてはたいして心配はいらないのだが。神官様はどうしたものか私が侍女として接するのを嫌うらしかった。じゃあどう接すれば満足していただけるのか、よくわからない。

「それで、今日は何をなさるのですか?」
「ん?ああ、暇だから皆に桃ぶつけてやろうと思って。」

暇だからという理由でそんなことをされたらいい迷惑である。それに皆というのはおそらく練家のみなさんであって、一族様はきっと全員がまだ食事をしているはずだ。ひとりで食事をしている最中にそんなことをされたら余計に迷惑じゃあないだろうか。忠告はしてやらないが。したところでどうせ聞いちゃくれないだろうし。

…では、私は必要ないのでは?と反抗してみたところで神官様は取り合ってくださらないことなど目に見えているので黙っておくことにして。代わりに布を畳むことで暇を潰しているとふいに影ができた。ここは空飛ぶ絨毯の上。乗員は私と神官様のみ。だから犯人は言わずもがな神官様だった。驚いて顔を上げると思いのほか近い距離にその顔があって思わず後ろに転げてしまう。

しかしそこに布はなく、私は重力に逆らえぬまま絨毯から落ちた。

…はずだった。これだから空飛ぶ絨毯はあまり好きじゃないのだと今更ひとりごちて、地面とぶつかる衝撃を待ち構えていたのだが、いっこうにそれはやってこなかった。観念して目を開くと、仏頂面の神官様がいる。絨毯は浮いたままなのでおそらく彼が浮遊魔法でも使っているのだろう。などと細かい分析ができたらよかったのだけれど、現実を認識してしまうとそうもいかなかった。
私は神官様に抱き抱えられていたのだ。しかも俗にいうお姫様だっこ。ベタな展開すぎて逆に悲しくなるが、恥ずかしいことにかわりはない。顔を真っ赤にした私が早くおろしてくれだのいっそ落としてくれだの騒ぎに騒いで暴れていると唐突にそれは阻止された。

神官様の唇が私の口を塞いだのだ。

「〜っ!?なっ、ななな何をなさっているのですか!」
「あー…お前があまりにもうるさかったから、つい。」
「つ、ついって!そんな軽々しくしないでくださいよ!」
「別に軽々しくじゃねーよ。前々からしようと思ってたし。」

それもそれでどうよ。………、というか前々からってどういうことだ?

「えーっと、あの、神官様…?」
「…俺の名前はジュダルだって何回言ったらわかんだよ。」
「いや、それは知ってますが…。」
「ふうん。じゃあ呼ぶまで降ろしてやんねーからな。」
「ええ!?」

そんな横暴な!と私が顔を真っ青にすると、神官様はまたけたけた笑い出した。その笑顔が燦然と輝く太陽に重なってきらきらと見え、少しだけ胸が高鳴ったのは、気のせいだろう。


眩耀 //「花瞼」様へ提出



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