満月の夜半だった。飯の時間も終わってすることもねえから寝てしまおうと寝台に寝転がっていたとき、今晩は冷えるからと彼女は厚めのシーツを持ってきた。無駄にでかい寝台に敷くせいで、そのシーツもバカみたいな大きさと重量がある。それなのに何でもないような顔をしてひとりで運んできた。言えば手伝ってやったのに。そう言っても私は侍女だからと控えめに笑うだけ。俺はその笑顔が嫌いだった。
シーツを下ろして、ベッドメイクを済ませた彼女はそそくさと帰ろうとした。まあ俺は今から寝ようとしていたことが明らかなので当然といえば当然だ。でもすることがなくて寝ようとしていたのはついさっきまでの話。今は、格好の話相手が見つかった。部屋を後にしようとしていた彼女を呼び止めて寝台の近くまで寄せる。ゆらゆらと揺れる燭台の光に照らされた顔は不思議がっていた。きょとんとしたその顔は年に似合わず幼くなっていて、思わず笑う。すると余計に意味がわからなかったのか、首は曲がる一方だった。

彼女は侍女のひとりだけれど、どうやらブタ野郎のお気に入りらしい。いや、正確にはブタ野郎の嫁といったほうがいいのだろうか。ともかくも、この国の繁栄に関してなにかしら有力である彼女は産まれたときからずっとこの王宮に縛り付けられているという。まるで、俺のようだと思った。アルサーメンに親を殺され、マギだと自覚がないまま駆使されていた駒。今となっちゃあそんなことはどうでもいいが、彼女を見ていると放っておけなかった。それは自分と重ねて、同情していたからかもしれない。そう考えると柄にもなく申し訳なくなった。
歳が近く、お互いに国に必要な人材ということで数年前から彼女は俺専属の侍女になった。とはいえ、日夜暇を持て余してそこらじゅうを放浪している俺の世話はまるで必要ない。そのため彼女はいつも雑用を押し付けられていたと知ったのは一年くらいしてからで、そのあとは遊びに行くときも一緒に絨毯に載せていくことにした。最初は嫌がっていたけれど、今ではわりと楽しんでいる。空中散歩をしているときの彼女の表情は生き生きとしていて、なんだか俺も救われた気分になる。

寝台のふちに座らせて、話をした。益体のない話だ。どうせ明日も明後日もすることなんてない。戦争はなかなか思うように勃発してくれねえし、無駄に人間を大量殺人しちゃあ紅明たちがうるさい。だから最近は毎日のように彼女と空中散歩をして、今みたいな益体もない会話をするばかりだった。別にそれがつまらないっていうわけじゃなくて、むしろ楽しかったりするけれど、やっぱり戦争のほうが心踊る。
彼女といるときは心臓がうるさいくらい早く脈を打ち、戦争が起こると心臓はスローペースで大きく鳴る。違いはよくわからない。でも、その両方がいっぺんに起きたら楽しいよなあと思って、思わず「戦争起きねえかなあ。」とぼやく。するとそれまでころころと、転がすような笑い声をあげていた彼女が息を呑んだのがわかった。どうかしたのかと問うて顔を覗きこむと、そこには見たことないような苦い顔がある。
それを見た瞬間、今まで感じたどの心音よりも不自然な速度で心臓が動き、きゅうっと締めあげた。…なんだ、これ。

「…………、ジュダルはどうして戦争が好きなの?」

たっぷりと間を置いてから彼女は口を開いた。思ってもみなかった質問に面食らう。彼女は俺のすることにはまるで口出しをしてこなくて、それはきっと紅炎たちと同じで戦争が好きだからと思っていた。でも、今の表情を見るとそれはまるで見当違いだったのだと思わされる。思えば彼女からは戦争に関する…死や殺しというワードは一度だって出てきたためしがなかった。偶然だと思うこともできたけれど、きっとそれは意図的だったのだろう。
ずっと一緒にいて、俺と同じ嗜好を持っていると思っていた。ずっと一緒にいて、俺は彼女の全部をわかった気になっていた。ずっと一緒にいて、俺はそれが普通なんだと感じていた。でも本当は全部違っていて、本当は彼女は戦争が嫌いで、本当は彼女について何も知らなくて、本当はそれは異常なことだった。なんで彼女は必要とされているのに優遇されずに侍女をしていて、なんで彼女は急に俺専属の侍女になって、なんで彼女は俺のすることに口出しをしなかったのかなんて、わからなかった。
わからないことは俺の脳内だけでぐるぐると回って、消化されないままはいずり回っていた。そして、ただ共有してきた時間という概念だけが真実として残る。今まで見てきた彼女は俺の一方的なイメージだったのだと事実を突き付けられたような気分だった。今まで見てきた彼女は俺の幻想にすぎなかったのだと突き放されたような気分だった。でも、だったら、いったい本当の彼女はどこにいるんだ。
胸が苦しく稼動して、呼吸をすることが難しくなり、目の前が歪んだような気がした。

「…ジュダル?どうかしたの?」
「いや…なんでも、ねえ。」
「でも、顔色が…、」
「っ、何でもねえって言ってんだろ!」

押し黙った俺を心配した彼女が覗き込んでくる。でも、その表情すら歪んで見えた。一度疑心暗鬼になってしまうと、もう全てが信じられなくなる。悪いのは俺だとわかっているのに、幼稚なプライドはそれを許さない。俺が見誤っていたんじゃなく、そもそもが偽物だったと頭は認識する。数年の間に築き上げてきた仲は、俺の勝手な妄想で音もなく破壊される。それは見事に呆気なかった。
怒鳴り声と一緒に彼女を振り払い押し倒した。そして首に手を巻き付けて押さえ込む。まともな食事をしていない彼女の矮躯など魔法を使わずとも潰すことは容易かった。どこの骨だって、少し力を入れたら折れてしまうくらいやわだ。彼女はこんなにも脆かった。俺はそれを知っていたはずなのに、どうして気づいてやれなかったんだろう。

「ジュダル、」
「喋るな。殺すぞ。」
「ねえ、ジュダル。」
「喋るなってば!」

ぎりぎりと力を込める。それは俺の虚妄が産んだ彼女を閉じ込めようとしているかのごとく。閉じ込めて、消し去ろうとしているかのごとく。そんなことはするべきじゃないと頭ではわかっていたはずだった。だから涙がぼたぼたと彼女の顔に染み込んで、首を絞める手は小刻みに揺れている。でも、止められなかった。

「ジュダル、」

もう息をすることすら苦しいはずなのに彼女は掠れた声で俺を呼ぶ。その顔は、俺が大嫌いな笑顔だった。でも、大嫌いなはずなのに、諦めがつかなくて俺は返事をすることができない。それでも彼女は言葉を続けた。

「大好きだったよ。」

そこでその笑顔は動きを止めて、一生動き出すことはなかった。


理想と現実の掛け算 //「僕の知らない世界で」様へ提出



第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -