図書館に行くとたまに見かける彼女はいつもムスっとした顔で本と睨めっこ。綺麗な紫がかった長い髪がたまに鬱陶しいのかやたら気にしている様子だった。少ししては髪を後ろにやって、首をはらう。くすぐったいのかなあ。くすくすと本棚の陰から覗いていた私はバレないように笑った。いけない、これじゃあ私変態みたいだ。ハッと気づいてからその日はそそくさと図書館を後にした。
寮に戻る気にはなれず、学園を探索していると聞いたことのある声がした。たしか、勝呂くんとか言ったかなあ?志摩くんが坊とかいう呼び方をしていた気がしなくもない。なにやら荒げた声を出しているようで、知りたがりの私は躊躇することなく建物の陰から顔を覗かせた。勝呂くんの他には志摩くんと…たしか三輪くんと、あとは赤くて細長い包みを背負った男の子がなにかを囲むように立っていた。でもその中心にはなにもいない。
なにか新しい遊びかなあ。特に興味のない私は気づかれないうちにUターンしようと踵を返したのだけれど刹那に志摩くんが「ああ!」と焦ったような声を出す。ゲームに負けたのかな。そんな悠長なことを考えていると急に体に何かが当たったかと思えばずっしりと体が重くなって、豪雨に見舞われたときのようになにかが打ち付ける。いたい、いたい、いたい。声を出そうにも上手くいかない。なにがあったの。
飛びかけた意識をどうにか保って前を見ると驚いた顔をしているさっきの男の子。ねえ、助けて。そう叫ぼうとしたときに私の大好きな声が後ろからした。神木、さん。小さい紙切れを取り出したかと思えば狐みたいなのが二体出てきて、彼女はそれらをこっちに寄越す。その様子は助けるなんて優しいものじゃなくて、私を殺してしまいそうな勢い。たまらなく怖くなった私は「やめて!」と声を振り絞って叫んでいた。
するとたちまち体中が支配されていく感覚。そうだ、小さいころに聞いたことがある。ひとの負の心を巣くう悪魔がこの世にはいるんだと。じゃあ、私が悪魔に取り憑かれたのは、どうして。そう考えて思いついたのは神木さんのことで、それでもやっぱり私はどうしてだろうと自問するばかり。だって、こんなの普通じゃないもん。女の子が女の子を好きになるなんて、気持ち悪いって蔑まれてもおかしくない。……ああ、この葛藤に付け込まれたのか。
ぶわあっと黒いなにかを噴き出す自分の体を抱いて崩れ落ちた。お願いだから神木さんだけは傷つけないで。勝呂くんたちと神木さんの会話がすごく遠くでしているように思える。いよいよ思考までも支配されていくようだった。悔しいけれど自分の愚かしい感情と意気地のなさが招いた結果なら仕方ないとも思った。もし神木さんに話しかける勇気が私にあったならば、こんなことにはならなかっただろう。
できれば迷惑をかけないように逝きたいだとか弱気なことを考える傍らで、そういえば神木さんはどうしてこんなところに来たんだろうと考える。ここは図書館からも寮からもずいぶんと離れた場所で、普通なら生徒はあまり近寄らない所だ。勝呂くんたちが集まっていたのは、こいつを退治しようとしてたからなのかなあ。ということは祓魔師か。格好いいなあ。
意識が途絶える一歩手前、お経みたいなのが聞こえたかと思えばさっきの神木さんの狐さんたちが水みたいなものを私に浴びせた。するとたちまち体は軽くなって、でも体力を吸い取られたのか体に力は入らない。私から出ていった悪魔はしぶとくも逃走を謀ったらしく、勝呂くんが神木さんに「そいつ頼んだで!」と頼んで去っていくのが聞こえた。
「あんた、大丈夫?」
「うん、なんとか。神木さんたちが助けてくれたから。…ありがとう。」
「べ、別にお礼なんていいわよ。私は当然のことをしたまでだし。」
当然のことを当然にできちゃうことは実はすごいことなんだよ。心の中で語りかける。ひゅうひゅう言う喉はもうあんまり喋れないらしい。だとしたら私が訊きたいことなんて決まっている。立てるかと肩を貸してくれた神木さんに掴まって歩き出す。初めての距離にいる彼女に少し戸惑いながらも私は口を開いた。喉が、いたい。
「神木さん、どうしてあそこにいたの?」
「え、なっ、ど、どうでもいいじゃない。どこにいようと私の勝手でしょ。」
「でも、私、気になるなあ。」
そう言ってすぐに咳込んだ。血が出なかっただけましかなあ。痛々しい咳に神木さんはもう喋るんじゃないと私を叱ったけれど、私は知りたい。もう引っ込み思案のままではいたくない。あの悪魔は実は私に勇気を与えてくれたんじゃないだろうか。もう二度とこんな目に遭いたくないならさっさと勇気を出せってね。だとしたら祓われちゃうのは少しかわいそうだなあ、なんてなけなしの同情。
ねえ、神木さん。私が答えを乞うように詰め寄ると彼女は真っ赤な顔を逸らした。可愛いなあ。神木さんはクラスメートに対してはいつもつっけんどんしていて、あんまりデレたりしないはずなんだけど。初めて私だけに見せてくれたその表情に嬉しそうに笑っていると、神木さんはぽつりぽつりと話しはじめる。
「あんた、いつも私の座る席の三つ向こうのテーブルに座るじゃない。」
「え、気づいてたの。」
「当たり前よ。私を誰だと思ってるの?…それで、今日は座らないまま帰ってたからどうしたのか気になっただけよ。」
「心配、してくれた?」
「そ、そんなんじゃないわよ!なんで名前も知らないあんたのことなんか私が心配しなくちゃならないの。」
早口でまくしたてた神木さんはつんっとそっぽを向いた。あはは、からかいすぎちゃったかなあ。でも、こうやって会話ができるようになっただけでもすごい進歩だよねえ。再度ありがとうと言った私はついで程度に名前を名乗っておいた。覚えておいてくれたら、嬉しいな。
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