彼は憧れだと友達にはいつも言っていた。流行りに乗り切れず、口下手で話題もない、たいして可愛いわけでもない地味な私からしてみれば、確かに紀田正臣という人物を尊敬することは実に的を射ていると誰もが思っただろう。憧れという名目で近づき、よく話すようになっても他の人から文句のひとつも言われなかったのは、私じゃあとうてい正臣くんのようにはなれないとみんなに見切られていたからに違いない。
確かにその通りである。だがそれは私が本当に彼に憧れていたら、の場合。憧憬と恋慕は紙一重だ。つまり私は彼を好いていた。誰か気づいている人もいるんじゃないのと思うかもしれないが、あいにくその可能性はない。だって、私と彼は違う。世界が逆回転を始めたら、もしかしたら有り得るかもしれないが、所詮は私の高望みの無謀な恋なのである。

第一にぶつかった壁は杏里ちゃんだった。こちらはいまだに越えられない。というよりも、越えてはいけないような気がした。友達は園原杏里も私も同じような類の人間だと笑っていたがそれは違う。私のような人間と杏里ちゃんを一緒にしたら失礼だ。彼女は淑やかでそれでいてしたたかだ。醜くひ弱な私とはまるで真逆の人間である。それをどうして同じとくくることができようか。
第二にぶつかった壁は三ケ島沙樹という女の子だった。こちらもまだ打破できずにいる。一度だけ写真を見せてもらったが彼女も私とは違い慎ましく逞しいイメージがあった。おまけにいえば彼女は正臣くんの彼女だったという。噂によれば今は入院しているそうなのだが。だったと過去形になっているのは正臣くん本人がそう語ったからであり、決して私の卑しい願望によるものではない。
結局どうあがいても捕まえることのできない紀田正臣という人物に私はもがき苦しんだ。彼の好きなところが浮かび上がっては消えていく。そんな無限ループをいつまで繰り返さなくちゃいけないのだろうか。いつまでも、だ。私が正臣くんの隣にいる限りそれはグルグルと楽しげに回って私を嘲笑する。それすらも愛おしく思えたら私はとうとうおかしくなってしまったという証だろう。

「おい、なにしてんだよ。」
「あれえ、正臣くんじゃないですか。どうしたんです?こんな時間に。」
「それは……、それはこっちの台詞だ。」

真夜中の公園だった。月さえも見当たらない、文字通り真っ暗な夜。公園のベンチでぼんやりと空を仰いでいるとコンビニの袋を提げた正臣くんが私のほうにやってきた。夜食でも買いに行ってたのかなあなんて思いながらもどうしたんだと訊いたのは少しでも会話がしたいという乙女心から、だったらいいんだけど。
冷たいベンチは側にある外灯に照らされながらも薄暗い。そこへやってきた正臣くんはとても明るく、浮いていた。ああ、これじゃあまるで私と正臣くんじゃないか。薄暗い陰に侵入する黄色。飽和することのない明るいその色は、未来への道を導くわけでもなくただ無意識に陰を苦しめる。滑稽すぎて思わずくつくつと笑うと正臣くんはよけいにわけがわからなくなったようで眉をひそめていた。

「そういや、昨日は寝ちまったのか?」
「ああ、そうなの。ごめんね、メールの途中だったのに。」

いやに重苦しい空気を打開するためか正臣くんは日常的な会話を切り出した。こちらとしてもこんなときまで彼と与太話をするつもりはない。袋の中からソーダアイスを取り出して食べはじめた彼は、半分食うかと差し出してきたが丁重に断った。夜中に糖分をとると日中よりも脂肪になりやすい。それに間接キスだなんて、いまさら。
おもむろに私の隣に座った彼は、それから何を言うわけでもなく夜空を見上げたままぼうっとしていた。だから私も何も言わずにぼうっとしていうようと思ったんだけれどそういうわけにもいかない。だって私が夜中にこうやって外に出てきたのは気晴らしでも、正臣くんに会うためでもないんだから。むしろ正臣くんとは会いたくなかった。
交代するように今度は私が立ち上がる。正臣くんはゆっくりと私に焦点を合わせて、ぐにゃりと顔を歪めた。どうしてそんな顔をするの、なんてわかりきった質問はなし。原因は私にあるから。他人の表情を読むのがうまい正臣くんならさとるかもしれないなあとは思っていたけど、どうやら案の定らしい。ひどく情けない顔をしていた私はそのままくしゃりと苦笑いをしてから正臣くんの頭を撫でた。
彼はどうして私がそんなことをするのかわからないようで、何すんだよと少し照れたように私を見る。でも私は答えないまま微笑むだけだった。答えはいらない。彼はまだ知らなくていい。ようやく手を離した私はそのまま彼にさようならを告げて踵を返した。彼はいつも通り軽く手を挙げてまたなと言う。またな、か。

「あ、そうだ、正臣くん。さいごにひとつお願いをきいてもらってもいいですか?」
「ん?なんだ?」
「どうか、どうか幸せになってください。」

私のぶんまで。そう続いた言葉の最後は声をすぼめたからおそらく正臣くんには聴こえていない。頭上にクエスチョンマークを浮かべる彼だったが、やっぱり笑顔で頷いてからじゃあお前も幸せになれよと言う。ああ、別れの言葉にしちゃあそれはあまりにも残酷ですね、正臣くん。

こっそりとポケットに忍ばせておいた携帯でメールを送る。頷いたのか首を横に振ったのか、自分でもとらえがたい返しをした私はそのまま振り返らずに姿を消した。翌日、私の携帯はどこかで寂しく震え続けていたそうな。


たったふたつの贈り物に、わたしの知りうる限りの、宇宙よりも果てしない意味を込めましょう //「無条件降伏」様へ提出



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