コーンコーンと空っぽの何かを叩く音がする。自室にてゆっくりと目を覚ますと部屋の真ん中でボウルを叩く彼女がいた。まだ時刻は深夜。眠たい目をこすりながら何をしているのかと問う。どうやって入ってきたの、なんていう質問は今更だ。彼女の不法侵入は今に始まったことじゃあない。そのうち本当に犯罪を犯しそうだから(まあ不法侵入も十二分に犯罪だけど)やめろと注意はするものの直す気配はまるでない。別に俺は構わないけれど。
ずいぶんと薄着をしていた彼女に近くにあった上着を貸してやるとやんわりと笑ってお礼を言われた。俺はどうもこの笑顔に弱いらしい。いつもたくさんの女の子を連れて笑顔なんてたくさん見ているはずなんだけど、彼女の笑顔を見ると胸がきゅうっと締め付けられるような感覚。好きだからそう思うのは当たり前かもしれないけれど。
起き上がって隣に座ると彼女は叩く手を止めた。ぼんやりと俺を見上げてからおもむろに抱き着いてくる。細くて白い小さな手が腰に回り俺を求めるように強く抱く。まるで何か怖いものを見たあとの子供みたいに、彼女は頭を俺の胸に押し付けてうんうん唸っている。そっとサラサラの髪に手を滑らせると清潔感漂うシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。
もしかして酒を飲んでいるのか。そういえば彼女は自分よりいくつか年上であるということと、酒癖が妙にたち悪いことを思い出す。いつの間にか動かなくなった彼女を自分から離すが、どうやら俺の考えは間違っていたらしく、いつもと変わらない表情をした彼女がぼうっと空中を眺めていた。酔ってもいないのにいつも以上に行動の意図が理解できないのはどういうことか。小さく名前を呼ぶと彼女はようやく俺の目を見た。

「千景、すき。」
「うん。俺も好き。」

何を言うのかと思えば。普段は絶対に言ってくれないようなことをさらりと言ったのは、やはりどこかおかしいからなのか。おでこに手をやって確かめるも熱はないようだし。一体どうしたの。少し心配したように問い掛けると彼女はたちまち泣きそうな顔をして俺に擦り寄ってきた。でも理由は教えてくれない。だから俺も無理をしいることはしなかった。

午前三時を回るころ、ウトウトとし始めた俺はまたコーンコーンという無駄に響く音で覚醒する。俺のあぐらの上でこじんまり座りながらもボウルを叩く彼女はやはりどこか悲しそうである。泣きはしないものの、いつにもまして口数は少なく目も合わそうとしてくれない。気にならないわけじゃあない。でも彼女がときどき他の人には理解できないようなことを考えたり行動したりすることを知っていたから、訊くに訊けなかった。わざわざ教えてもらってやっぱり理解できなかったじゃ格好がつかないし彼女に失礼だ。悪ければ余計に傷つけてしまう可能性だっていなめない。…まあ、そこまで繊細な性格はしていないと思うけど。
意味の理解できない行動を止めようとはせずゆっくりと髪を撫でるとくすぐったそうに身をよじらせた。それからすぐに手を止めて俺を見上げた彼女の顔ははじめのころよりか幾分ましになったと思う。そっと頬を撫でてから触れるだけの優しいキスをすると嬉しそうに笑ってから俺を見た。上目遣いでその笑顔は反則だよ、困ったようにそう言っても彼女の頭上にはクエスチョンマークが飛び交うだけ。
それでも少しすれば興味がなくなったのか笑顔をなくして無表情になり、また俺に背を向けてぼうっとする。しばらくは沈黙が流れたけれどそれほど苦しいものではなかった。そろそろ頃合いかなあ、ちらっと彼女の顔をさりげなくうかがってから、俺は再度どうかしたのかと訊く。ゆっくりと振り返ったその瞳にはじんわり涙が浮かんでいて少し驚いた。泣くなんて、珍しい。

「死んじゃったの。」
「……え、誰が?」
「千景が、私の夢のなかで。だから怖かったの。正夢になったらどうしようって。」
「…そっか。」

大丈夫とは言わずに頭を撫でた。ここで俺はお前を置いて死なないよ、なんていうキザな台詞が言えたらよかったんだけど。あいにく彼女にはそんなありきたりで陳腐な着飾った台詞は通用しない。むしろ煙たがって邪険するだろう。偽りほど彼女が嫌うものはない。だから俺は彼女の前では俺でいられるし、どうやら彼女も自分でいられるらしい。いつだったか言っていた。
また抱き着いてきた彼女は俺がどこにも行かないようにかさっきより強く抱きしめる。それでもやっぱり女の子だから息苦しくなるくらい強いわけじゃない。ついにはボロボロと泣き出してしまった彼女の頭をそっと自分の胸に押し当てると、堪えきれなくなったのか大泣きになる。俺も彼女の腰に手を回し、ゆっくり背中を撫でてやるとしゃくりはしだいに穏やかになった。

ひとしきり泣いたあとで彼女は真っ赤な目を瞬かせて、またすきだよと言う。それに俺は静かに頷いてほっぺにキスをした。


命が聞こえないの //「催眠享受」様へ提出



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